2010年8月20日の「ヤオイ」な音楽

銀座に新築されたヤマハビルにて。
はるか昔、ブリュッヘンとブッケ、ハウヴェがサワークリームというグループを組んでヘンリーⅧの曲とボルドウイン手写本を録音したレコードへのオマージュです。この師弟、その後は、指揮者、中世音楽、現代奏法へとそれぞれの道を歩みます。
鈴木俊哉さんはハウヴェの弟子なので、そういった分野の承継にはうってつけです。何より昔と違うのは、今回のメンバー三人ともそれぞれユーモアを交えつつ音から様々な想像を羽ばたかせる解説プレゼンの言葉をもった、ことかしら。
海の中の様子を想い出すかのような音が続く「ヤオイ」な音楽です、みたいな。ブクブク泡が湧き出るような連続するトレモロ、とか。能楽のような破裂音みたいな奏法とか、尺八のようなオーバートーンとか、キンキンと耳をツンザク音も多いのだけれど、アンコールのヘンリーⅧのコンソートまで聴くと、ルネサンスの和声の静謐感やモノフォニックな旋律美がいかに日本人の耳から遠いかがよく体感できます。プログラム全体がマーラーの交響曲のような混雑感があります。
しかし、俊哉さんは西洋音楽の逃れられないシステマチックな部分と、くだんの海童道祖みたいな竹林に吹く風のような自由さとを自在に行き来する----そんな風に聴こえました。田中さんとダニエルさんがそれぞれ選んだ現代曲ソロが良い意味でアナクロチックなクラシック・モダンに聴こえます。前述の「行き来」の仕方が三者三様なのでしょう。プログラムそのものは、ボルドウインの「キリエ」で始まりコリの新作でオケゲム・スタイルへのオマージュの曲、最後にわかりづらかったけれど「武装した人=ロム・アルメ」が現れます。美しいと感じ記憶したいと感じた旋律を一本の銘木のごとく活かして、複雑な装飾を施した柱のような曲たち。昔の人が何が「よい」と思ったかの証拠のようなもの、こうした技法は時代を追うごとに減っていきます。
誰かの美の記憶を封じ込める音楽と思います。掛け軸は表具の端切れ一枚まで気を使うみたいな感じでしょうか。
トマス・ハリスのレクター博士はヘンリーⅧの音楽を使って主人公を治療するのです。よい音楽は精神的に何か効果が期待できそうですが、誰でも癒されるものではありません。音楽そのものが「癒し」ではなく、適切に選ばれた音楽が、聴く側に適切に感受されなければ「癒し」にはならないということでしょうか。

そう、聴いたことがない現代の曲は休符も多く、演奏家が終わりの合図で立ち上がるまで、聴く側も終わったことが確認できません。ですから、どの曲も本当に最期の残響まで味わって拍手していました。周知の曲の最後の音を出すや否やブラボーのツィメルマンとはわけが違います。あの聴衆の耳の感性はやはりモラル欠如だと。


第2回 トリプルム演奏会
2010年 8月20日(金)午後6:00開場 午後6:30開演
「思索の音楽」:ボールドウィン手写本と現代
手写本として残る16世紀イギリスのボールドウィン、ジャイルズらの作品は当時、Musica Speculativa(思索の音楽)と呼ばれていました。それは比率を駆使した、極端ともいえるほど複雑な拍子を持つ音楽ですが、その斬新さは現代音楽にも通じるものがあり、他のルネッサンス作品とは一線を画しています。
トリプルム第2回演奏会はこのボールド ウィン手写本と、様々な国の作曲家による現代作品に焦点を当てます。「思索」という共通の過程を経て生まれてくる、新旧の響きの世界をお楽しみください。

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プログラム:
ジョン・ボールドウィン「キリエ」
トーマス・ウッドソン「ウト・レ・ミ・ファ」
フース・ヤンセン「ラルゴ」
松永通温「カンティクム」
ジョン・ボールドウィン「ブラウニング」「カッコー」
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ジョン・ボールドウィン「優しい言葉(静かな話)」
サルヴァトーレ・シャリーノ「風によって運ばれた、対しょ地からの手紙」
ルカ・コーリ「トリプルム」(2010 初演)
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アンコール:ヘンリーⅧのコンソート
 
TRIPLUM:田中せい子、ダニエレ・ブラジェッティ、鈴木俊哉
場所:ヤマハ銀座コンサートサロン(ヤマハ銀座店6階)

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