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笑うバロック展(2) 「バッハロ短調ミサ演奏の歴史」

吉田秀和「LP300選」の「フーガの技法」についての一文。
『フーガの技法』は、『音楽の捧げもの』とならんで、バッハ晩年の傑作であるばかりでなく、『平均律クラヴィーア曲集』とあわせて、音楽の不滅の聖典といっても過言ではないだろう。ゲーテの言葉をかりれば「これは、率直にいうと愛想が悪くて近づきがたいが、芸術としては最高の作品である。それは近づくことによってのみよろこびを感じうる、また感じなければならぬ美的命令である」ということになる。
異論異解釈多い点で共通するかもしれません。

上から2枚目3枚目。ライプチヒの聖トーマス教会少年合唱団。70から80人編成。
上から4枚目5枚目。永遠不滅のミュンヘンバッハ合唱団。100人以上。

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上から1枚目。バッハコレギウムジャパン。24、5名。
上から2枚目。バルタザルノイマン合唱団。30名。CD録音は27名表記。
上から3枚目。サバル、コンセールナシオン。24、5名。
上から4枚目。カペラアムステルダム。25、6名。
上から5枚目。ミンコフスキ、ルーブル宮音楽隊。10名。
上から6枚目。バット、ダニーデンコンソート。10名。リフキン校訂ブライトコプフ版。リフキン自身の1981年録音は8名編成。

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1984年執筆1992年補筆の樋口隆一氏のリフキン盤の解説は、当時学界通説、マーシャル3人説に賛成しています。ただし通説通りの演奏録音例はほぼなし、とも。
リフキンは各パート1人説を1981年に学会発表、録音もし、2006年にブライトコプフから校訂譜を出版、それをもとにバットが2009年に上写真の様子で実演録音しました。
音楽に親しんでこなかったわたしのような人間が事情聴取読解する限りでは、リフキン説は説得力というより、かなり状況証拠が固まっていて、これを受け入れないのは感情の問題としか思えません。もっともこの理屈を受け入れない「感情の問題」が人間の営みでは重要であり厄介なわけですが。
最近わたしが思うのは、こうした理屈はわかるけど心情的に認められない、という場合、たった一人で最良の環境で音楽を聴取できていないのではないかしら。
そして、最後の課題「演奏そのものの説得力」について、リフキンの録音はまだ不十分だったと思います。音楽の場合、各パート1人説の「説得力ある演奏」が登場しない限り、説は説から進まない。メーヘレンの絵も情報が氾濫する現代、簡単に並べて見られる真作群から見れば、違和感があります。リフキン説は情報が洪水になる前夜の発表で、その後氾濫する情報の中で、多くの理にかなっていない対抗馬に勝る説得力を聴かせることができなかった、と思います。
もっとも、バッハ当時リフキン説だったとして、その演奏が現代のわたしたちが聴いて説得力があるかないか----。



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