笑うバロック展(272) (270)の補足シャインと「ワードペインティング」

ウィキ検索によると「----シャインは、イタリア・バロックの新機軸—モノディ、コンチェルタート様式、通奏低音—を理解し、それらをドイツのルター派の文脈に効果的に用いた最初の人物のひとりである。シュッツが少なくとも一度はイタリアに旅行したことがあるのに対し、シャインは生涯をドイツで過ごしており、それでいて驚くべきことにイタリアの形式を理解しているのである。彼の作曲した初期のコンチェルタート様式の音楽は、当時ドイツで書物として用意することが可能であったヴィアダーナの「Cento concerti ecclesiastici」をモデルとしている様子が見受けられる。」父バッハの先輩にふさわしいですね。「----シャインの作品のいくつかは強烈な表現力をもっており、例えば、壮観な「イスラエルの泉」(1623年)に関して、シャインはドイツのワード・ペインティングの可能性を「イタリアのマドリガーレの形式を用いて」使い切ろうとする意志を言明している。」うん?なんでしょうこの文章の意味。
特に「ワード・ペインティング」についてさらに検索を進めました。いい加減豪傑訳ですが。「----ワードペインティング(トーンペインティング、テキストペインティングとも)は、楽曲の曲想と旋律の相関、楽譜上のイメージ、文字や語感に対する音の模倣など、文字通りの意味を反映した音楽を書いている音楽の手法。たとえば、上昇スケールが上昇の意味の歌詞を伴うような。遅い、暗い音楽が死についての歌詞を伴うような。」 フローベルガーの誰かのトンボーが昇天する様をチェンバロの最高音まで音階上昇して終わる、あれのことかしら。「----言葉の抑揚の旋律への呼応は、グレゴリオ聖歌でもある。FA-MI-SOL-LAは、キリストと栄光への死と復活を意味します。 SOLは復活で、LAは昇天、FA-MIは、反対に死を意味します。このような音楽の言葉は、聖書のラテン語のテキストの単語の上に配置されます。FA-MI-SOL-LAは、キリストが死と復活を通して罪から私たちを解放することを意味し、自由を表す歌詞(ラリベラ?)に使われたりします。 」モンテベルディにもそんなのがあったような。「----16世紀と17世紀のイタリアのマドリガルで試みられました。バロック音楽の時代に入っても用いられヘンデルのメサイアの中でも確認できます。ヘンデルの旋律では「谷」は低い音に、「高貴」は上昇。「山」は旋律がピークを形成し、「丘」はそれより小さく見える単音で歌われ、荒地は急速な4つの異なる音で。「平地」は長い音の連続拡張で。」
なるほど、それをシャインはドイツ語のマドリガル形式の「イスラエルの泉」で活用しようとしたらしい。件のyoutubeコンサートも比較的言葉が聞き取りやすかったかもしれません。バッハ(BACH)を音で読み替える、そんな後輩が現れるのもまあ、そうなのかもしれません。うーんしかしそう考えるとシャインからバッハまでの間、何が起きたのか興味深いです。「イスラエルの泉」を聴いて、バッハの諸作を想起できるでしょうか(シャインとバッハの間には差異が大きいような)。諸外国の影響や感情の表し方の変化やら。

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