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古いパソコンから出てきた「アルパドッピア」の話(1993年記)

1993年12月16日(木)
アンドリュー・ローレンス=キング氏を招いて「アルパ・ドッピア」に関するレクチャー
於:日本ハープ協会 主催:日本ハープ協会

初来日の「トラジコメディア」のメンバーのひとりアンドリュー・ローレンス=キング氏が、来日中の公演の合間をぬってアルパ・ドッピア(ダブルハープ)の講習会を開きました。これは日本ハープ協会の主催によるもので、当日は少人数ながらハープの専門家達が未知の楽器とその奏者の講演に興味津々、耳を傾けました。さて、当夜にこやかに登場したローレンス=キング氏の話は、とても貴重な話でした。舌足らずの誹りを覚悟で、要約します。

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 楽譜に忠実という19世紀半ばに起こった原典主義から、20世紀に入って当時の楽器を復元したり、演奏習慣を調べ、考慮にいれて演奏するように変わってきました。例えば、バッハのカンタータにオーボエ・ダ・モーレやコルノ・ダ・カッチャなどが復元されて使われるようになりました。特にバロック音楽に関しては単に音符をなぞるだけでは不十分で、演奏者が当時の習慣に従って装飾音などのアイデアを盛り込み、演奏して初めて曲として完成すると考えられていました。→*1

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ここで例として会場にあったピアノで、ヘンデルのメサイアの序曲を譜のとおりと、付点をつけたリズムでスイングするやり方と対比させました。
  
 ただし注意すべき点は、逸脱した自由を与えられたと勘違いしないことです。演奏する側のモラルのようなもの、聖書の研究のような謙虚さを持ち続けながら、より正しいものを目指さなければなりません。実際の演奏にあたっては、できるだけ多くのソースから情報を集めます。音楽を音楽だけから考えることは一面的な見方です。歴史、美術、文学からも学び複合的に考えます。楽器や民族音楽の研究からアイデアを得ることもありますが、十分な検証をもとにより正しくという決断を下さなければなりません。例えば、民族音楽の演奏家は時折、自分の演奏するものが先祖伝来で昔と全く変わっていないと主張します。ウェールズの現代トリプルハープの名手であったナンシー・リチャーズが残した録音の中には、全く別出典の17世紀の筆写譜にある曲が多く含まれ、伝統の正確さが確認されました。従って彼女の奏法は過去の伝統をかなり正しく伝えるものといえます。それでも200年300年の時代の変化は考慮しなければなりません。

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 さて今回持参の楽器はイタリア・スタイルのアルパ・ドッピアです。CD「イタリア・ルネサンスのハープ音楽」のジャケットに使われた絵と同じ様式のものです。モンテベルディのオルフェオに使われただろうハープです。ジョバンニ・ランフランコ作「音楽の寓意」の部分。この絵はローマのバルベリーニ宮殿(現、国立絵画館)にあるものです。バルベリーニ家は、法皇ウルバヌス8世をだしたトスカナ出身の名家です。そして、この絵のモデルになったハープが楽器博物館に現存してます。比較した結果、とても正確な描写であることがわかり、楽器の形態や描かれている奏法にはかなり信憑性があります。イタリアでは、元来が通奏低音楽器として発達したので、構え方や手の位置が低音を弾きやすいフォームになっています。アルパ・ドッピアは、今までダブル・ハープと訳されてきました。それは弦が2列張ってあるところから命名されたと考えがちですが、当時の資料を見るとドッピアは倍の大きさの意味で使われることが多かったようです。つまりダブルベースのような意味です。ちょうどゴシックハープの倍の大きさなのです。イタリアには、3列弦のいうなればトリプルハープも残っているのですが、それもアルパ・ドッピアと呼ばれています。→*2

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高音域---------
 半音階-----------------
   低音域  -----------
弦の交換は弦と共鳴胴をつなぐ黒い止め具をはずしてします。
左右逆に構える人もいます。クラシックではほとんどいませんが、民族音楽の世界にはまだいます。
弦が3重列に張ってあるので複雑ですが、気をつかうのは発音よりも、有効な消音の方です。
上昇スケールは、2・3・2・3・2・3‥‥下降スケールは、1・2・1・2・1・2‥‥下降の運指では親指は、人差し指の下をくぐるのです。

 1580年頃の北イタリアのエステハープとの比較で、アルパ・ドッピアがどのような変化を辿ったかわかります。中央の1列は全音域が、ピアノでいう黒鍵の音が張られています。白鍵の音階は、最高音から真ん中までが右手で弾く側に、真ん中から最低音までは左手側に張られています。高低を一覧すると列は違うものの2列で作られているのです。しかし、規則的に高音低音を左右に振り分けるには、実際の演奏には不向きな場合が生じ、右側の高音弦は低く低くと本数が増え、左側の低音弦は高く高く本数が増え、ついには、3列の音域ができました。今回のハープは、中央部分の音域が左右両側に同じ音が張られているものです。ピアノならば白鍵7に対して黒鍵は5しかありませんが、このハープのちょっと変わった点は、白7に対して黒7の対応をしている事です。余計な黒2はなにか。ペダル機構がないので、演奏する曲に合わせて、予備弦とするわけですが、初めはレとラに調弦してこのハープにとって重要なニ短調調弦の響きをより豊かにするために使っていたのです。もちろん運指を楽にするためにも使います。しかし、その後純正調の和音に近付けるために使われました。現在私の調弦もそれに倣って平均律ではありません。特にレ・シャープとミ・フラットを違う音に調弦し、それぞれの和音ができるだけ純正に近い形にします。運指に関しては、17世紀初期にスペインで最初に出版されたハープの教則本が参考になります。それは基本的な考え方に相違があります。現代ハープの運指においては、例えば、薬指が弱ければ薬指を鍛えて他の指と対等になるようすべての指の平均化をはかります。古楽のハープにおいては、弱い指にはそれなりの意味があって、弱い音のときに使うのです。その教則本では、(1=親指=グッド)(2=人差し指=バッド)(3=中指=グッド)とされています。バルベリーニ宮殿の絵は、小指も使っています。従って、スケールも均一な音の粒揃いにはなりません。イタリア語の発音に起因する音楽語法との関わりもあるかも知れません。→*3

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例として、大袈裟な抑揚で「スパゲッティ」「アマリッリ・ミア・ベッラ」と発音。  スケール演奏に関して、楽譜の読み方と実際の演奏の変化の例をフローベルガーの「フェルデナンド3世の死を悼む哀歌」を演奏。曲の最後に現われる昇天を意味する上昇スケールにハープを持ち味を活かしたものでした。
  
 イタリア・スタイルの他に現在研究が進んでいるものにスペイン・スタイルがあります。余談ですが、数年前、17世紀バルベリーニ宮殿のハーピスト、オラツッオ・ミヒ・デル・アルパの曲を録音した際に使ったアルパ・ドッピアは、3列部分が少ないエステハープに近いものでした。今この楽器の方がずっと簡単に同じ曲が弾けます。研究の成果を踏まえて、楽器を選ぶならば、この場合、より楽に弾けることが正しい考え方になります。ちなみにイタリア・スタイルの楽器ではヘンデルの協奏曲は弾けません。ヘンデルは高音域が多く、音域不足なのと、イタリア・スタイルの構え方では高音域の手の動きも不自由なものになるからです。従って、この楽器で弾けない曲は、どうするのか。むりして弾かないのです。むりして困難に立ち向かうことが、常に正しいやり方とは考えません。さて、スペイン・スタイルは、やはりCD「ルドビーコのハープ」のジャケットに使ったスルバランの絵が信頼できる資料です。この絵で特長的なのは構え方でしょう。スペインではイタリアとは逆に高音域が弾きやすいように、ハープの上の方を肩に当て、ハープ本体は寝かせぎみです。従って、手の位置も違います。弦の真ん中あたりを弾いています。イタリア・スタイルでは、弦の下の方を弾いていました。イタリアと違って基本的にスペインでは通奏低音の役目は弱かったことがわかります。この系列のハープでは現代の民族楽器パラグアイ・ハープにその名残が見られます。植民地時代に南米に伝わったのです。アイリッシュにせよパラグアイにせよ、民族音楽においては舞曲が重要なレパートリーです。これはルネサンスからバロックにかけてのヨーロッパにも同じことがいえます。実際には無理ですが、ダビデ王がアルパ・ドッピアを肩にしょって踊りながら演奏している絵が残っています。この時代、ヨーロッパの中でも様々な音楽の交流がありました。特に中世ルネサンスの頃のことは、文学作品がとてもよい示唆を与えてくれます。中でもシェイクスピアは資料としても重要です。これからシェイクスピアがパーシーメジャーパヴァンと呼んだ曲を演奏してみます。よくご存じの曲です。→*4

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かなり即興的な前奏後奏付きのグリーンスリーブスを演奏。
  
 パーシーメジャーとはパッサメッツォのことです。そして、この曲にはイタリア渡りのバスが使用されています。メロディはご存じのイギリスの民謡です。このようにヨーロッパ各国の要素が混在しているのです。さらにもう一例、おそらく南米が起源の舞曲で、スペインを通じてイタリアに伝わったと考えられます。「パラデータス」という舞曲です。一定のリズムと旋律をもとに変奏していきます。→*5

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ディビジョン・オン・パラデータスを演奏。共鳴胴を叩いてリズムを提示する導入。パラグアイハープ風な即興も交えて。

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 さて、ハープの歴史においては、18世紀フランスでエラールがシングル・アクション・ハープを開発し、現代に至るペダル式ハープが普及していくわけです。しかし、今までお話ししてきたアルパ・ドッピアの直系の子孫ではなさそうだということまでは、研究が進んできています。それから17~18世紀にかけて、盛期バロックのドイツとフランスのハープの辿った道はまだまだ研究が始まったばかりです。フランスではリュート族とレパートリーが共有していたのではないかといわれていますし、ドイツに関してはチロリアン・ハープなど、研究対象には事欠かないのです。ともあれこの研究自体が始まったばかりで、これからの課題が山積しているのです。

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