笑うバロック展(194) 「フィドラーの物語:ハリウッドとビバルディが私を発見した方法」

Q : ビバルディの「四季」の最古の録音は?
A : ミュンヒンガー?1950年かしら。イ・ムジチ?が1953か54年みたい。

「フィドラーの物語:ハリウッドとビバルディが私を発見した方法 Louis Kaufman(1905-1994)回想録」Louis Kaufman with Annette Kaufman著 ウィスコンシン大学出版局2003年9月(なお、伴奏者でもあった夫人アネット・カウフマンは、ロサンゼルスで2016年に101歳で亡くなりました。)

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おそらく、ほとんどの音楽愛好家は、ルイス・カウフマンという名前に遭遇すると、「誰?」。「風と共に去りぬ」「白雪姫」「サンセット大通り」「ベンハー」「カサブランカ」「アンネの日記」「嵐が丘」「怒りの葡萄」「スパルタカス」を見たことがある人なら誰でも、彼のことを聞いています。私の世代のクラシック愛好家は、ヴィヴァルディの「四季」の最初のレコーディングを覚えています。1950年のグラミー賞をとりました。また1954年に発表したトレッリのバイオリン協奏曲は、20世紀の最も影響力のあるバロック時代の音楽学者の一人として称賛されるかもしれません。ルイス・カウフマンは、映画音楽の仕事により、これまでに最も記録され、広く聴かれたヴァイオリニストです。
彼はオレゴン州ポートランドで生まれましたが、彼の両親は素晴らしい文化的なルーマニア系ユダヤ人でした。一家は一時ルーマニアに滞在し、ルイスはその間にルーマニアのネイティブな音楽を経験しました。親戚と暮らすためニューヨークに移り住み、ブラームスとバート・イシュルで過ごした厳しいが愛情深いフランツ・クナイスル(同じくルーマニア人)とともに音楽芸術研究所(現在のジュリアード)で学びました。クナイスルは彼に、「どんなに上手にプレイしても、多くの聴衆があなたを好まないなら、あなたにはキャリアがない」と言った。そのクナイスルの死後、カウフマンは、レオポルド・アウアーのレッスンを受けました。3回のレッスンの後、アウアーと意見の相違から喧嘩別れしました。そのアウアーが卒業試験の審査に参加したとき、カウフマンは「ガチョウはすでに料理された」と思いました。審査委員長が「私たちはカウフマンに90点または100点を与えるべきですか?」。アウアーは、「彼に150点を与えてください!」と言いました。 彼のキャリアは順調にスタートしました。東海岸の音楽の世界を征服したカウフマンは、西海岸に移り、音楽移民コミュニティと親密になり、1934年から1965年の間に500以上の映画サウンドトラックで演奏する映画音楽業界で過ごしました。
彼は特に若いアメリカ人の作品に興味を持ち演奏しました。コープランド、ポーター、ブロッホ、スティル、ラッセル・ベネット、マクブライド、キュービック、アイブスなど。彼の提案で、1951年の春にアメリカで最初のビバルディフェスティバルがニューヨークのタウンホールで開催されました。(ポール・シューメイカーの評より)

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ヴィヴァルディ作曲ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み」~第1番~第4番「四季」(録音1947年12月25日・30日・31日、ニューヨーク、カーネギー・ホール)ルイス・カウフマン(vn)ヘンリー・スウォボダ(指揮)コンサート・ホール室内管弦楽団----アメリカを代表するヴァイオリニストであり、多くの20世紀作品を初演・演奏したカウフマン。録音当時はまださほど重要視されていなかったヴィヴァルディ作品、とりわけイ・ムジチ合奏団に先んじて、最も古い1947年録音された「四季」は、録音史に残る貴重なものです。切れ味の良さとほのかなロマン風が持ち味のカウフマンによる演奏は、半世紀前のバロック音楽演奏スタイル(通奏低音のオルガンが時代を感じさせます)を伝えてくれます。

この録音のサンプルを聞いた限りではポルタメント多用。ミュンヒンガーの1958版と比較すると驚愕もの。そのミュンヒンガーは、今聴けるものが1958年録音、しかし1950か51年に最初の録音があるらしい。
その後イ・ムジチの登場で、一気に世界中にブレイクするらしい。 と、これがとりあえず「ビバルディの『四季』事始め」とあいなり候。

追記。アルフレード・カンポリ(1906-1991)によるフランスのラジオ放送のアセテート盤から再生したヴィヴァルディ「四季」の録音が残っています。1937年から1939年頃の演奏とのこと。

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