笑うバロック展(197) 偏愛してもいい曲(3)CPEの「カンタービレ」または「アンダンティーノ」

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Amazonレビューによると、----『クラシックは死なない』シリーズ第4弾。今回は有名作曲家の知られざる作品や、無名作曲家の知られざる名曲のCDを多く取り上げている。ついつい財布のひもが緩んでしまう、独特の熱いテンションの紹介文----。

哀愁漂う、美しくも気高い作品 
カール・フィリッブ・エマヌエル・バッハ『音楽通・愛好家諸氏のためのソナタ集』から
そのすべてがすごい!というわけでなくても、そのなかに数曲とてつもなくすばらしい曲があると、それだけでそのアルバムを手放せなくなるということがある。このアルバムはまさにそんな1枚。このアルバムに収録されたのは、当時世界最高の鍵盤奏者だったカール・フィリップ・エマヌエルが残した作品。
ご存知大バッハの息子。音楽家として最も成功した息子であり、生存中は父親よりも名声が高かった。だが、歴史は残酷なもので、いまや彼はバロック後期と古典派の大偉人たちの陰に隠れ、「バロックと古典派を結ぶ貴重な作曲家」という名声にとどまる。
エマヌエルが生きた時代はすでにバロックの全盛期を過ぎ、「疾風怒濤」で「多感様式」、つまり聴いてわくわくどきどきする新しいタイブの音楽が主流になりつつあった。なので彼の作品にも、のちに現れるモーツァルトやベートーヴェンを彷彿とさせる、感情豊かな音楽が多く現れる。とはいってもエマヌエルの作品すべてが「どきどきわくわく」する美しく感動的な作品というわけではない。実際このアルバムに収録されている曲も、ほとんどはよくある「古典派への橘渡し」という哀しいあだ名を付けられてしまいそうなフツーの曲だ。
しかし、なかに2曲とんでもない名曲が人っている。最初にそれをいってしまうと推理小説の犯人を先に言ってしまうようなもので恐縮だが、「ソナタ第3番」の「カンタービレ」そしてこのアルバムの中核をなす「ソナタイ短調」。哀愁漂う、美しくも気高い作品。やがてモーツァルトやベートーヴェンに降りてくるあの「天からの音楽」を、エマヌエルは早くもこの時点ですでに作りあげている。こうした「激情的」でロマンティックな音楽はそれまでほとんど存在しなかった。(とくに「ソナタイ短調」は1759年の作曲で父バッハの死後まだ10年もたっていないし、モーツァルトはまだ幼児)。まさに新しい時代の先駆であり、ある種革命的な作品といえるかもしれない。そんな痛切な曲をまた、クラヴィコードのジョスリーヌ・キュイエが抜群の繊細さで、まるで詩を語るかのような演奏で聴かせてくれる。この2曲が聴きたくて、何度このアルバムをかけたことか。

キャプチャしふらばっは


2014年アニバーサリの年に、カール・フィリップ・エマヌエルの「カンタービレ」を偶然発見しました。
シフラの残したもの。シフラは1955年録音。
専門家と愛好者のための6つのクラヴィーア・ソナタ Wq.55 第3番 ロ短調 Wq.55-3 H. 245  第3楽章「カンタービレ」(アンダンティーノとの表記も)
親の教育の結果がこれなら、「率直に」参りました。
しかし本当に未知が多い息子。もともとビルトーゾのアンコールピース扱いだったのかもしれません。後代こうした小さな名曲銘品たちが、その分かりやすさ派手さから敬遠され往年の「ピアノ名曲集」といった類の録音が減りました。CD時代には長時間収録が当たり前になり、バッハの鍵盤作品やベートーベンのそれなど、全曲とか全集がまるでひとつの大長編かのようにまとまりとして録音される機会が増えました。
生きた時間より残りの時間が短くなると、いいとこどりのようなアンソロジーの考え方がまた大切に思えてきます。CPEや続く古典期の作曲家たち、ハイドン辺りまでは気の利いた選集は大事かもしれません。

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