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86.わたし、「死」について思う。

先日書いたはずの
あなたがまだ生きていた頃の文章は
何故だが下書きには残っていなかった。

感情のままに書くここでの文章は生物だ。
その時を逃したらもう駄目なものになってしまう。

いつ死ぬかもしれないと言われていた
父の兄弟の1番上のお兄さんが、
今日亡くなったそうだ。

わたしもたぶん会ったことのあるだろうその人を
しかしわたしは、思い出せなかった。

1947年生まれの父は6人兄弟の末っ子。
歳は離れているお兄さんだけど、わたしは
あぁ、遂に死の順番は父の兄弟のところまで来てしまったと。

確実に忍び寄るその瞬間を
意識せずにはいられないのだ。

寂しい?寂しいとはきっと、違う。

どこか自分とは遠い世界での出来事のようにも感じるし
現実の様々な感情に押し潰されそうな自分自身の問題の方が
より占めるものは大きかったりもするのだけれど。

でも、無視はできない。

あぁ。
今銀河鉄道に乗れたなら、まだあなたと会えるだろうか。
確実に乗って逝ってしまうあなたと、
最期の旅を共にするジョバンニになりたい。

こんな気持ち、どこにも吐き出せないから
心だけいつかの車掌車に飛ばして
心だけで、あの日のベンチに座って
自身の心を見つめられるよう、夜に浸ろう。

死ぬ時は、誰しもが独りだ。
だからそこには、孤独を感じるのかもしれない。

死を待つ日々というのは
本人にとって、どのようなものだったのだろうか。

どのようなものなのだろうか。

いつかわたしも、家族の死を待つ日が来るかもしれない。
突然死でなければ。
そんな日も来るかもしれない。可能性は高い。

そして自分だって
いつその状況に陥るかもしれない。
病は突然にやってくるかもしれない。

「心配性すぎますよ」

何故だが今、先日劇団の後輩に言われたその言葉を思い出した。
生き辛さは往々にして、自分自身の問題なのだろうな。

布団に横になりながら綴る午前0時30分。

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