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反対意見に屈しない

ある文章を書くことになって、自分の思いの丈を認(したた)めてみた。分量はクリアしたので、あとは内容ということになるのだが、一人に見せると「良いと思います」というコメントが返ってきた。もう一人に見せると「これはダメだ」となった。

誰が見ても良くない文章、というわけでもなさそうだが、2人とはいえ賛否両論があったということだ。誰が見ても良い、要するに万人受けするのはいいことだが、ある意味、誰でも書ける当たり障りのない内容になる危険性もある。この"賛否両論"というのは、メッセージ性としては意外といいんじゃないかと思っている。

何か意見があれば、賛成もあれば反対もある。自分としては、この状態が「正常」だと思っている。どっちかに偏り過ぎるのは、何か特別な力が働いているようなきがしてならない。賛成意見ばかりというのは、もしかしたら立場の上の人が発したことで、周りはおべっかを使っているだけかもしれない。反対意見ばかりなのは、非人道的な意見や多くの人が共感し難いことなのかもしれない。ここで難しいのは、反対意見ばかりの状態は、周りがその人の意見に追いついていない可能性があるということだ。それはイノベーションになり得る。周りに反対されたからといって、決して間違っているとは決めつけられない。

兵庫県三田市で「エス コヤマ」を営む小山進さんは自著の中で、出店を決める時に複数のコンサルタントにその土地の評価をしてもらったそうだ。結果は全て「止めたほうがよい」だった。しかし、小山さんはこれを聞いて逆に「しめた」と思ったそうだ。誰もその土地の魅力に気づいていない何よりの証拠、むしろ、賛成されていたら出店を取りやめようかと思ったくらい。それくらい自分の感性に自信を持っていたのだろう。結果は今のエスコヤマが証明している。行けばわかるが、買いに来るお客さんでいっぱいである。
反対されるというのは、たしかに怖いことだが、たとえ反対されても自分の意見に自信を持てるなら、それは相当強い。そんな軸を磨くために、日々、感性を研ぎ澄ませ続けたいなと思う。

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