人を見切らないことで気づくことは大きい

今回の記事も、前回書いた自分の中でのヒット記事 「シンデレラの物語がハッピーエンドなのは王子様と結ばれたからではない 〜人はその「人となり」に見合うだけの幸せを手に入れる〜」 を書いていて思いついたこと第二弾。

なんだかドラマのスピンアウトみたいな感じですね。Huluで配信中みたいな。

さて、冗談は置いておいて。今日は人を見切らないことで気づくことは大きいなっていうことです。

またまたドリゼラ

二日連続ドリゼラ(シンデレラの継母の娘のうちの一人)の話です。どんだけドリゼラ好きなやねんって話ですが。辛抱して聞いていただけるとありがたい。

最初の記事を書いている途中、ドリゼラの話を書こうと思ったときに物凄い気づくことが多かったんです。

普通に物語を読んでいると、ドリゼラにフォーカスを当てることはあまりありません。せいぜい「意地の悪い姉」くらいにしか思わないでしょう。

ドリゼラにも悩みがあるはず

しかし、昨日も書きましたが、彼女は彼女で色々な悩みを抱えているはずなんですよ。

シンデレラに辛く当たるのは、母親に愛されたい気持ちからかもしれない。
本当はシンデレラをいじめることにためらいがあるかもしれない。
彼女がこれから成長していくためには母親との関係を見直さなくてはならない。

彼女にちょっと焦点を当てるだけで、これくらいの気持ちはすぐに湧いてきました。

私たちはあまりに早く人を見切っているのかもしれない

ほんのちょっとドリゼラについて考えただけですが、簡単に3つくらい彼女をおもんばかる感情が湧いてきました。

調べたわけじゃないけど、おそらくドリゼラについてこの視点を持った人というのはあんまり多くはいないんじゃないかなって思います。

「意地悪な姉」というところで、彼女を見切ってしまう人が大多数なんでははないかと思います。もちろん、そういう私もゆうに30年以上は彼女のことをそう思っていたし、noteの記事にでもしない限りそこまで彼女について深く考えることなどなかったでしょう。

こういった見切りは、おそらくドリゼラだけに限った話ではなく、それこそ想像もできないくらいほとんどの人に対して行なっているものと思われます。

その人のファッション、髪型、ちょっとしたしぐさ、ちょっとした言動

現代人は忙しいので、一人一人にそんなに時間かけるわけにはいかないとしても、なるべくその人を見切るのではなく、その人に想いを馳せる時間を意識して持つ必要があるんじゃないかなって思った次第です。

おそらく、その「人を見切らない」ことで気づくことは、大きいのだと思うから。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。



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