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個人の固有性とは?

私たちの固有性とは
  コミューンとは、ラテン語のコムニスが語源であるといわれている。フランス語のコミュヌ(基礎自治体)の呼称は、日本の市町村とは違い、そうした市町村の自治区分がない。
  そもそもコミュニズムを私たちは共産主義と訳された文字で受け取り、特定の政治・経済・社会の総体的なメージで理解する。コミュニズム的な考え方は、ヨーロッパでは古くからあった。しかしマルクスとエンゲルスは理論的に突き詰めることで私有財産制の廃棄や、資本家による労働者階級に対する搾取のない脱資本主義的な世界をイメージした。また人間的な平等社会の実現のために、財産を共有し、できるだけ共同で生産したものを分配する。疎外された労働の社会的諸関係は人間的な自然関係の確立できた社会といった理想郷すらも思い浮かぶ。しかし、彼らの共同体の深層には共同体と自治体と共有するという概念が混在している。ここに新しい分析と論理がくわえられてコミュニズムとして蘇生していったといえる。
  ロシアではアジア的農村共同体が古くから続き、資本主義的生産様式へと移行していたが、ロシアは同時にその特徴として村落共同体の構造を持っていた。これはマルクスにとっての大きな課題でもあった。広大な大地に広く小規模に分損している村落共同体は、中央が統括し共同の管理としない限り統治は困難だと考えるとともに、そのことがロシアの課題であり、権力と結びつきやすい支配構造の課題になるだろうと考えた。
  ヨーロッパでは資本主義段階へと入り、すでに村落共同体はなくなっているが、かっては存在していた。いずれロシアる段階的に村落共同体は消滅するであろうと考えていた。このロシアの村落共同体の長寿性は、逆に考え方としては資本主義と同在して存続する可能性もあり、方法論としては政治革命では壊さないとも考えていた。小土地所有の自作農を主体と、施設や全体の運営も自治体権力を形成するのではなく、農民が分担して自主的に行うすべきだと考えた。なにがなんでもゆーろっばを模倣するのではなく、ロシアの歴史性を踏まえて統治機構を独自に民衆が考えていくことのほうが大事だとも考えた。第一に大規模集団農業、第二に広大な領地に散在するソ暗く共同体の統治方法は中央管理をせざるを得ないだろうが、しかし中央権力への依存という形で行うが故に、それが権力として機能する仕組みへと転化する可能性がある。そこに弱点があり課題があるといいきっていた。しかし、実際その中央権力は消滅することはなく、また権力機構の中枢として後々機能してしまったというのがロシアのたどった歴史だ。
  本来、農民の自主清算と利益の個人取得を進めるとともに、共同で管理したほうがよい部分だけは残して、交代で農民が自主管理するといった方法ではなく、その後のレーニンがとった方法論は、ソホーズ、コルホーズといった集団農場方式での生産強制といった手段で計画経済を実施し、農業を権力機構の傘下へと入れてしまった。それがスターリンによってさらに強化されたことになる。つまりアジア的専制の強化へと進んだのがロシア革命の実態といえる。
アジア的専制の特徴は、貢納制、中央が軍隊を持ち、公共事業部門の3つが特徴的だ。またさらに日本の特色は、大陸の諸王朝と違い、外敵が攻めることである王忠支配は交代してしまうといった歴史を、日本はもっていない。また特定の農耕民族や、あるいは狩猟民族、あるいは騎馬民族といった民族固有の特色がなく、ある狩猟民は農耕民へと転換した、漁労民が山へ移り住んだれといった可変民族といえる。ですから農業を営んでいる農耕民の先祖をたどると漁労民であったり、山林の林業民族のはずが農耕民へと転換したりしていることがある。こうした産業の転換は日本の特徴だ。たとえばインドが自然の内面化、瞑想化を特色とし、中国は自然の制度化であり君主は天の神であり、その原理を上が天とすれば道や大地化される支配構造である。では、日本はどうだろうか。
  西欧的な方法論だけでは到底解決できない日本固有の問題との両方で、私たちは現在を浮き彫りにし、悪しきものを排除し、その先に私たちのより良き未来を模索しようとしている。安易に答えを模倣せず、体勢を占めている主流的な考えなどには駆逐されず、着々と自立の歩みを進めている。

よろしくお願いします。