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前世の学問的解釈

前世は、学問的には外国では超心理学の分野です。

日本には学問的研究がありませんので、
心霊と一緒のサブカルチャー(オカルト)、
もしくは宗教学扱いになるようです?

生命や死の分野は、医療を始め心理学、脳神経学、
遺伝学、分子生物学、情報として情報工学、認知科学、
最近では物理学など様々ありますが、転生そのもの
に関しては断片的にしか解答が出来ません。

全体像で無い部分は、日本の科学者は公言すべきです。

学問的な用語は外国の超心理学の概念
だと思いますが、詳しいことは分かりません。


前世記憶のような現象を、学究的には
「過去性記憶」と呼ぶそうです。

死後世界=あの世の記憶は
「中間性記憶」と呼ばれています。

これらは「生まれる以前の記憶や
痕跡を持つ」
という意味です。

それが本人であったかは
医学的に確認できないから、
「その記憶を持つ」ということです、
事実かは確認できません。

DNAにしても転生後は別の人物だから
遺伝的調査は現代では不可能ですよね?

しかし記憶の正確性は、正規の調査に
よって数多くの事例で証明されています。

記憶にしても、記憶システムの全貌すら
まだハッキリとは分かっていません。

輪廻転生を語る上で、学問的にハッキリ
させておくべきことがあります。

まず、錯覚と幻覚は種類が違います。

錯覚とは、知覚される物理的性質において
イメージや思考時の構文内で大きな歪みが
生じる現象です。

平衡感覚が歪む騙し絵などがその
代表で、視覚の時は「錯視」とも
いうそうです。

「一瞬友人と見間違えた」「後ろの人の
咳払いが自分へのサインかと思った」
などの記憶による混乱も錯覚の一種です。

壁の染みが霊(人の顔)に見える
なども、明らかに錯覚です。

対して、例えば「壁の染みが無い状態で
明確に霊が見える」など、視覚状況における
物理的要因や対象物が何も無い時が幻覚です。


何故それが現れたのか、物理要因どころか、
心的要因が全く見当たらない状態の時があります。

ましてや、意図的にそれが出来るケースも
ありますので、幻覚は錯覚でも精神病でも
ないです。

共感覚も幻覚の一種だと思います。

幻覚は、医学的には心的要因(ストレスなど)
がフィードバックされた病気と思われがちです。

しかしコントロール出来る時は、本来は
平均値以上の記憶機能(超能力)だと思います。

超能力と幻覚の境目は分かりませんが、
私には混同されているように思われます。

出来る人と出来ない人が存在するだけで、
超能力は特殊な能力ではないと思います。

ファントム現象や視覚のタイムラグ
だけでは言及不足です。

視覚や記憶の歪みが錯覚、錯覚ではない
歪みが幻覚、幻覚と錯覚のどちら(も)かが
制御できなくなった状態がノイローゼや
精神病だと思います。

精神病の時は、心的要因以外にも神経や
内臓的な障害がある場合が多いそうです。

心的要因だけの時はノイローゼです。

精神病(外科や内科的治療が必要)
ではないです。

ノイローゼや精神病如何に関わらず
出てくるのが幻覚です。

このように錯覚と幻覚の混同は、勘違い
させたままの学者方が悪いと思います。


過去性記憶の子供は、共通してIQが高いら
しいから記憶の分析が出来るのだと思います。


しかし記憶の無い人物だから転生して
いない、ということはないと思います。

定かではありませんが、単に
忘れているだけだと思います。

遺伝や脳科学的には、育つにつれ親の傾向や
周囲の人間の傾向に似てくると思います。

教育によって学習が活発化したときに
前世の傾向が喪失してくるのかもしれません。

ただし、縁起という部分では微妙です。

例えば、30歳を過ぎたあたりから突然奇妙な
偶然や縁起が出てくるとか、そういう意図でき
ない何かが起きる可能性はあるのではないかと
思います。

それが前世の縁起かもしれませんが、
記憶が無い以上何とも言えません。

または親や縁者は百姓なのに、子供の頃から
医者になりたかったとか、見知らぬ土地なのに
懐かしい感じがするとか・・。

こういう、記憶には無いが、過去に見たような
(ような気がする)共時性を、デジャ・ビュ
(デジャ・ヴェ)
と呼ぶそうです。

日本語ではデジャブと呼んでますが、
元はフランス語らしいから、ヴェの
発音が正しいようです。

視覚のほうをデジャ・ビュ、運動を伴う
体験のほうをデジャ・ビュキュというそうです。

逆に、何度も体験している筈なのに、
初体験のような感覚になる現象を
ジュメ・ヴェというそうです。


感覚が直ぐに喪失する時は一時記憶です。

その感覚が常時残り、場所や時間まで
ハッキリ記憶している時が幻覚の一種です。

このレベルだと錯覚や一時記憶ではなく、
フラッシュバック記憶に近くなるんですよ。

デジャ・ヴェは、脳科学的には何らかの
原因の側頭葉刺激によって、記憶していな
かった記憶が想起されるという現象です。

その錯覚を既視感ともいうそうです。

元々は超能力を研究していた超心理学者が、
予知能力を前提として命名した概念だそうです。

既視感は、心理学では以前の夢が想起された現象で、
フロイトが定義つけました。

脳科学では、長期記憶と短期記憶の
重なり合いが原因とされます。

このように、本来は予知能力だったものが、
錯覚として扱われるようになった概念が
デジャ・ヴェなんです。

一緒にされてますが、デジャ・ビュは超能力で、
上記の錯覚のほうは既視感(既視体験)です、
両者は意味が違います。

何故混同されるようになったのかは分かりません。

脳はバグだらけですから、ネットワーク上の
混乱や記憶の混乱というのは良くあります。

しかし全部を混線のせいにするのは
無理があると思います。

記憶の中が分かる、というのは
心の中が分かるのと一緒なんです。

デジャビュは錯覚ではないから、予知能力
やテレパスという考え方も出来ます。

推測上でなら、脳科学的に予知能力はあるそうです。

ただしアリゾナ大等の前世研究では、予知能力
でも思考察知能力でもないと、太鼓判を
押しているようです。

前世かは別にして、人間の能力や
記憶を凌駕した能力といか言い様が
無いと思います。

前世は物理的、学問的に解釈すべき問題です。

宗教やサブカルチャー扱いにしてるのは
日本くらいだと思います。

そういう意味で、前世否定論ではある
ものの、学問的解釈をしていた立花隆
は先駆的だったと思います。


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