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心霊主義とは

霊界の研究の一環として、歴史事項の
素人研究もしております。

流れからしたらこんな感じだと
いうことで、大雑把に書いてます。

1800年代半ば、日本の幕末時代(江戸末期)
の頃、唯心論(精神主義)の一つとして、
心霊主義(スピリチュアリズム)思想
米国で台頭しました。

心霊主義思想は宗教としても成立しました。

1843年以降、キリスト教の教義体系を
融合させたエホバの証人運動が起こりました。

こういう、この時期に始まる新しい宗教的
運動(ムーブメント)は、後に新興宗教
や新宗教
と呼ばれました。

つまり、心霊は宗教運動の一環で起きました。

新宗教では、再臨思想(死後存続)の他に
救済論や終末論が全面的に出てきます。

何故なら、世相の方に終末観が漂ってるからです。

心霊主義が起きた18世紀半ばから
19世紀にかけてはどういう時代か?

産業革命による社会構造の変革が起き、
1789年フランス革命、1803年ナポレオン
戦争、1861年南北戦争
が起きています。

この時期の思想的背景には、産業転換
の他、フリーメーソン(プロテスタント)
の影の影響が大きくありました。

フリーメーソンについては
別枠で書くとします。

天変地変では、1815年、スンバラ島(インド
ネシア)・タランボラ火山が大噴火をして
「夏の無い年」と呼ばれる、世界的異常
気象が起き、暫く続きました。

1993年のピナツゥボ火山程度とは
レベルが違うと思います。

ちなみに1993年、冷夏で米不足でしたが
翌年は酷暑で、短期で解消されております。

タランボラに呼応して日本では、1833年からの
異常気象で天保の大飢饉、1854年、南海トラフ
時間差巨大地震、翌年の安政江戸直下型地震
(東京湾地震)
と、立て続けに気象災害が
起きています。

南海トラフの年には、富士山も150年
振りに小噴火?しました。

ざっと見て分かるとおり、社会情勢の
不安定さも精神主義台頭の背景では
ないかと思います。

地震を含む気象変動と社会的変動は
歴史上、大小様々ありますが、自然と社会
が呼応しているのは間違いないと思います。

日本に心霊主義が本格的に到来
したのは、1920年代以降のようです。

心霊主義は、和製新宗教にも大きな影響を与えました。

しかし宗教というよりは科学で、
明治期からは日本でも、霊や
超能力らの研究が科学的になされました。

1910年、貞子でお馴染みの福来友吉
念写(透視)の研究をしています。

同時期、海外ではエジソンが霊界
通信機を発明しています。

時期的には大正末期から昭和の始め頃です。

その頃には、関東大震災によって鉄道や
近代建築化など、いわゆる重工業が発達
していった時期です。

タイタニック事件もその頃(1912年)です。

要するに精神主義と科学工学の発達が
奇妙な融合を遂げた、のがその頃の
心霊主義だと思うんです。

心霊主義は精神主義一辺倒ではなくて、
科学理論が入ってます。

これがリアルを醸し出したと同時に、
自然科学者の不快感を呼んだのです。

それが現在まで続いているというわけです。

大槻教授VS韮沢編集長のバトルは、
大正時代まで遡る根の深い因縁が
あったのです?

海外の心霊主義では、死者との交信(降霊会)
や超能力的なパフォーマンスが行われました。

エクトプラズムとか、例の有名な写真です。

これらも科学との奇妙な融合の一つです。

その中には見世物やトリックを使った
インチキも数多く出回り、そのシンジ
ケートが存在していました。

その集団はサイキックマフィアとも
(最近ですが)呼ばれました。

サイキックマフィアは、サイババなど?
現代にも存在しておるそうです。

まとめると、心霊主義は二段階の
遍歴
を辿っております。

18世紀当初は宗教的要素が強かった
ものの、日本の明治期には戦争用の
重工業や自然科学の発達というか
進歩で、霊に物理が混入されました。

思想的には恐らくプラグマティズム
の一環であったように思えます。

プラグマティズムとは実験科学的な
思想
という意味で、平等を表わします。

そして心霊主義というか、霊の分野にも
実験が導入されるようになったのです。

実験そのものは中世の頃の錬金術
で導入されてますが、やはり宗教的
側面が強かったように思えます。

魂という考え方もあり、デカルトは
医学的に考えてますが、霊とは
少し違うように思えます。

霊という考え方はホログラフィック
的に生前の肉体情報がそのまま残る
という考え方です。

近世文学の四谷怪談などの幽霊も
そのホログラムの一種です。

明治期以後の幽霊には、医学という
より、物理的な原則が科学実験に
よって導入されたのです。

その科学幽霊が、明治後期以後の
心霊だと思います。

よって、心霊主義はプラグマ
ティズムの一環だと思います。

プラグマティズムとは、キリスト教
ユニテリアン宗派
が作った学問(哲学)
思想とされています。

ユニテリアン派はフリーメーソン
の一派だそうです。

「現象は実験の則で決めるべき
である、それ以外は真実ではない」

というのがプラグマティズムの
考え方です。

その思想が幕末の頃に来ました。

佐久間象山が、科学を危険視して、
和魂洋才思想を啓蒙しました。

和魂洋才そのものは、誰が考え
たのか不明です。

和魂洋才は「蘭学と洋学の技術だけ
を重視する」
という、国産の思想です。


和魂洋才以前にも和魂漢才という
思想があって、西洋同様に中華帝国
に征服されないための防衛的な
考えだと思います。

和魂洋才に対して洋魂洋才
という考え方もあります。

洋魂とは「西洋科学は考え方も西洋人
思考でなければマスター出来ない」

いう思考なんだそうです。


和魂洋才は明治期から本格的にイデオ
ロギー化?しましたが、戦後に喪失?
しました。

ちょっと脱線しましたが、心霊主義
に求められたのは合理性で、霊性に
宗教的要素が喪失していった時期
だったかもしれません。

宗教は新宗教として世界中で運動が
起きましたが、特に日本の神は、
科学とは融合しませんでした。

戦後のオカルトブームで心霊科学
の再興があり、宗教にも自然科学
が融合するようになりました。

この辺の出来事は宗教史で
再考しようと思います。

明治維新後には、交霊術の一つである、
テーブルターニングが、英国の船員に
よりて日本に上陸しました。

その憑依の呪術はコックリさん
と呼ばれ、庶民に広がりました。

コックリさんはその頃から存在し
ていたようですが、昭和40年代の
オカルトブームに乗じて、再度
ブレイクしたようです。

お稲荷さんが頷くからコックリさん
なのか、コーンと鳴くからなのか、
ネーミングの理由は分かりません。

交霊術の一つとして、守護霊、指導霊
などの造語は、心霊主義の時代に作られ
たという説もあるようです。

幽霊そのものは、既に弥生時代
以前から概念がございます。

古代では先祖の魂を霊といい、
またはとも呼んでいました。

卑弥呼の鬼道は先祖霊のことで、
憑依による御神託です。

霊が幽霊として成立したのは
三国志時代以後の文学の世界
だと思います。

ただし、幻視としての霊
バラモン時代から出まくっています。

その幻視は、宗教的タブーとして、
文学での登場まで暫くの間封印
されていたのではないかと思います。

その記憶情報は、レプトン系粒子です。

霊の情報は空間に残ってます。



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