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バラモン教

輪廻は2500年前のバラモン教の
教義のひとつです。

葬儀に近い風習はその遥か古代から
存在していましたので、死や転生に関する
漠然とした考え方?は宗教権威以前から
あったと思います。

こういうのは元はといえば古代の
シャーマニズムが原型になっています。

輪廻のほうではなく再生的な思想を研究的
な用語で、死後生存(死後存続)ともいう
そうです。

題名のバラモンとは、カースト制度
(血統制度)という意味です。

現代社会の収入やキャリアによるカースト
制度とは些か違っていて、露骨に征服者と
被征服者から生じた制度だと思います。

人種差別の方が近いと思います?

そのバラモンの教義をブラフマニズムといいます。

ブラフマ(ブラフマン)とは宇宙の
原理(梵)という意味で、個人(アート
マン)とブラフマンは根源が同一です。

宇宙=自分と考えてさしつかえないと
思いますが、バラモン教上では支配層の
バラモン(アーリア人)だけの特権です。

その教義の一つである輪廻の思想は、
ヴェーダ聖典のウパニシャッド思想
から生じています。

ヴェーダ聖典はいわゆる宗教の
教義書で、ウパニシャッドは聖典の
中の奥儀中の奥儀です。

バラモンの聖典上では、現世に
生まれることがカルマ(業)です。

現世に生まれないようにする修行や
思想がウパニシャッド(奥儀)です。

修行して解脱(モクシャ)すると、
カルマ(業)は消滅します。

カルマが何度も繰り返される現象を
輪廻(サンサーラ)といいます。

元々の輪廻転生とは「現世に生まれる
必要が無い」
という意味なんです。

なので「生まれ変わらない」がバラモンの
転生教義で、解脱によって社会的輪廻から
姿を消します。

その解脱概念が、後年の大乗教で
煩悩的な考えになったのです?

「実社会に捉われる」が煩悩や転生なの
で、古代バラモンの感覚では修行が足りない
ということになります笑。

「生まれ変わる」という思想は後年に
考えられたか、或いは石器人の頃の風潮が
復活したかどっちかだと思います。

生まれ変わる必要があるというのは
幽霊の影響かもしれませんが、現代
社会に続いているのは心霊主義の影響
だと思います。

ちなみにヴェーダ聖典は、オリエントや
地中海の宗教(神秘思想)にも影響を
与えました。

聖典の神の一柱であるミトラ神
(ミトラス神)は後に弥勒菩薩として、
密教の仏に組み込まれました。

ミトラ神信仰が地中海に渡り
ローマ帝國では軍神になりました。

ローマでは他地域を征服するとその
地域のイデオロギー、政治思想である
信仰(神)を吸収しておりました。

吸収というより、西洋人の思考では
明らかに征服だと思います。

軍神は最初から征服主義の神
(イデオロギー)で、エジプトの神も
ローマに吸収されてエジプト帝國は
滅びました。

この辺は定かでは無いですが、ミトラ神は
聖典では「契約の神」ですので、ユダヤ教の
山岳信仰(シナイ山)の神であるヤーヴェ
とも融合したのではないかと思います。

ある説ではヤーヴェは元々は
エジプトの神なんだそうです。

ローマ帝國は、権威と軍隊に逆らって
いたキリスト教を敵視していましたが後に
吸収し、コンスタンティヌス皇帝時代に
何らかの理由でキリスト教の方を優先させ
ました。

やがて軍神ミトラは御祭りの日(クリスマス
=12月25日)を残して消滅しました。

ローマ帝國そのものもキリスト教で
ケチがついたのか、キリストの呪い
(怨念)で消滅しました。

太平洋戦争で日本国のイデオロギー(神)
は一応残されましたが、実はキリスト教で
征服されていたという説もあるようです。

話を戻して、輪廻の概要は釈迦とその弟子達
が作った、仏教(大乗仏教=密教)にも受け
継がれました。


仏教(大乗教)でのあの世は浄土のことで、
キリスト教では「ヘブン」です。

ヘブンや再臨のような思考はゾロアスター
やシュメル時代からありました。

天国の明確な定義はキリスト死後に
神秘思想と混ざった考え方だと思います。

仏教では仏陀や仏がこの世に再臨しますが、
人間ではなくて仏界にいる仏の方が地上に
降りてきます。

古代エジプトでもあの世(死者の国)は
存在し、黄泉の国の神々もおります。

しかし結局、元々はシャーマニズム
という考え方です。

預言者であるシャーマンには
神々が降臨して憑依します。

憑依の元は、悪霊ではなく、リーダー
である酋長(シャーマン)に降臨する
祖先の霊や神々です。

悪霊は病気や敵対する集団に憑依
している、おおむね負のほうの考え方です。

または、怨念とか幽霊という考え方
も輪廻から広がった思想だと思います。

幽霊という考え方は元々は祖先の
ことで、祖先信仰から来ています。

実はこれにもリアルな生まれ
変わりが関わっているのです。

近現代の新宗教では、解脱が目的であった
本来の輪廻が目的論のほうに変わっています。

目的というより、フォーエバー、ネクスト、
不老不死のほうが正確かもしれません。

再生思想とはちょっと違う考え
(仮説)が当方にはございます。

逆に、バラモンの時代かそれ以前に転生
しすぎて嫌になって、解脱という考え方
が出てきたという説です。

この当時は人も少なかったから
狭い範囲内で転生しまくって
おったんです。

例えば、バラモン以前の文化圏で、
王族の誰かが死んだ後、シュードラ
(奴隷階層)に転生したのです。

シュードラの過去性記憶は知者が調査
した時に実在が認められたのです。

当時の調査レベルがどのくらいの
能力だったかは知らないけど、この辺
から軸の時代だから、宗教一辺倒
でも無かったと思います。

科学的な判断は充分に可能だったと
思うんですけど、どうなんでしょう?

しかし医学的観測や調査は現代でも確実
ではないから、今とほぼ一緒です。

こういう事例がバラモン時代か以前に
沢山あって、中には「前世が奴隷で、
奴隷が王族の誰かに生まれ変わっていた」
ケースもあったと思います。

この時にバラモンや王族が、カースト
(血統制度)の無情を感じたのです。


貴族や上級国民の優雅な暮らしだったのに、
死去した後で奴隷や難民に生まれ変わったら
支配者層には恐怖です笑。

そこで出てきた考え方が
解脱という思想です。

恐らくこの類似の現象は、古代から
歴史上、数多く生じていた筈です。

近世、近現代だけに転生や過去性記憶
が起きるのはおかしい話です。

恐らく古代では密儀や秘密結社として、
そのエッセンスが(秘法、秘術として)
秘匿された状態で成立していた筈です。

天○家の密教にも転生の秘術があった筈です。

トップシークレットだから記録には
残さなかったか、他の何かの秘伝に
組み込まれていたのです。

こういう思想上において
私の中では明確です。

浄土(天国)や神話の正体も
古代人の臨死体験です。

エジプトのミイラは王族が現世に
転生できないようにするためです。

とうことは、ウパニシャッド以前から
解脱が存在していたということです。

キリストの再臨も御伽話(神話)
や創りではないんですよ。

キリスト再臨思想の元もバラモンの
輪廻転生だったのは明白です。

釈迦は瞑想で擬似的な臨死をして
いますが、キリストも恐らく臨死体験
をしている筈です。

ひょっとしたらキリスト本人に、
過去性記憶があったのかもしれ
ないです。

このように古代人の考えは宗教から
来る迷信一辺倒だけでもなく、現代人と
同じようにリアルな幻覚体験をして
いるんです。

古代人は頭いいから、アフリカの
土人とは分けが違うと思います。

しかし当時はまだ医学的に未知数だから、
秘法や密儀を土台にして中間性記憶の原因
を探っていたんです。

恐らくリアルな転生の儀式は、錬金術
(神秘思想)や医学とも融合していた筈です。

そもそも最初から釈迦の瞑想はウパニ
シャッドの奥儀(密教)なのですが、
その奥儀というのが、臨死体験の技術です。

本当に死なないように呼吸法によって脳や
生体のレベルを低下させたのが瞑想です。

そしてバラモンの僧とは異なる技術を
開発したのが釈迦なのでありましょう。

キリストは元はユダヤ教の宗派の人
ですが、新教でブレイクしちゃったので
元の宗派からは睨まれていたのです。

キリストは支配層から徹底的に嫌われ
ましたが、釈迦は元は王族でバラモンの
一部からも支持を受けました。

バラモンイズムとそんなに大きく相違
しているわけではなかったと思いますが、
独自の教義を貧乏人に開放している部分
は決定的に違います。

キリストと釈迦は貧乏人や奴隷層の救済や
啓蒙という部分では共通しています。

釈迦は「何故人は死後も再生してしまう
のか?その木の枝はどこから生じたものか?」
と考え、更に思考して宇宙のシステムを理解
したのです。

輪廻は存在しない、という思考ではなくて、
輪廻は何故起きるのか?という命題があった
のだと思います。

勿論、カースト制度の否定という
政治的な考えもあったと思います。

釈迦やキリストだけではなく中国の占いも、
臨死と転生がベースになってます。

恐らく殷や周時代の皇帝にもバラモンの
ような転生現象が起きているはずです。

プラトンもまた然りです。

空間で思考できるようなIQの高い人物が
アトランティス大陸の幻覚を見るくらい
だから何かを見ていたはずです。

仏教で釈迦が「あの世は存在しない」という
話をしたという伝説は、後年の弟子の誰かが
解釈した考えです。

2000年以上前の口伝が正確に
伝わるわけないだろう笑。

現存されてる記録にしたって、後年の
誰かが文書化した制度録であるだけです。

私は釈迦は死後存続は肯定していたと思います。

釈迦死後、数百年後に分派した密教では
幻覚の存在によって、死後存続を大いに
肯定しています。

釈迦だった仏が沢山出てきますが、仏は
キリストと一緒の教祖の再臨思想です。

これがキリスト教と混ざった
浄土教になった分けです。

釈迦以外にも幻覚を見ていた人物も
大勢居た筈です、奴隷層にも居た筈です。

「これはドーパミンによる幻視なり」と
当時の医療レベルで書くわけ無いですから、
幻覚(超能力)を幽霊や祖霊という表現に
していたのです。

調べてないから詳しく分かりませんが、勿論、
心的な錯覚(見間違い)なりと断定した人物
もいた筈です、これも現代と一緒だと思います。

・・というのが私の仮説だけど、
調べてるわけでないから漫画レベル
でございます。

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