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霊と不確定性原理

電子は波の性質と粒子の性質があります。

仮定とした粒子の位置や速度が
不明瞭で、粒子がどこにあるか
特定できないという理屈を不確定
性原理
といいます。

そもそも分子や原子は、デモクリトス
がアトム仮説をぶち上げて以来、
様々な学者が分子原子の存在を探求
し続けてきました。

宗教的にやばい部分もありーの、
哲学的にも考えられてきました?

実在する分子や原子は水面のブラ
ウン運動の研究から、18世紀前後
に発見されました。

それまでは原子が存在するか
どうかは、肯定派と否定派に
分かれておりました。

現在は素粒子の存在までは認め
られておりますが、全貌の5%
くらいまでしか解明されていません。

それを踏まえた粒子の世界を
量子ともいいます。

量子は基本的に見えない
から、実は矛盾だらけです。

見えない現象を見るというのは、
観測者の憶測によります。

しかし憶測だけではなく、
物理的な現象は確実に起きています。

現象に及ぼす量子の影響を
場や界といいます。

量子に影響を及ぼす原因は
二つに分かれます。

一つ目は「人間が観測した時」で、
脳波が粒子に影響を及ぼすという
考え方です。

二つ目の場の実験を「シュレー
ディンガーの猫」といいます。

人間の観測による影響は、空間の
量子とは無関係であるとする考え方です。

アインシュタインは「神様はサイコロ
を振らない」
と、人間の影響を否定
しました。

シュレーディンガーの猫もその一環です。

この実験は実際には実験してません。

理論上で「放射能を出す元素と猫を一緒
に密閉して、観測者が元素を検出器で観測
したら被爆して猫は死ぬぞ」
みたいな
パラドクスの実験です。

貞子や死霊を見たら呪いで死ぬぞ!
みたいな、それに近いものがあります?

この状態を、マクロな物理世界
での状態の共存というそうです。

この場合、マクロ世界では
猫の生と死が共存しています。

貞子の呪いでも、真田広之の
生死は実は共存しています?

この二つの世界は互いに影響
し合っています、よって、
共存が成立します。


観測者が検出器を見るまでは、
生きてる猫と、元素の化学変化で
死んでる猫の両方が共存しています。

被爆で死んでたとすれば、見る前に
死んでたのか、見た瞬間に死んでた
のかも分かりません。

ゼノンのパラドクスによる
瞬間という概念自体も分かりません。

この思考実験では、人間の認識に関係なく
猫の状態の共存の行く末は解決していません。

そこで考えられたのが、
多世界解釈という理論です。

猫の実験の場合、観測者が放射能を
検出した瞬間、片方のアルファ崩壊
しなかった状態は消滅しますよね?

この場合、片方が存在すれば片方が
消えるという消去法的な考え方になります。

二択や消去法による状態を、
状態の消失というそうです。

多世界解釈では、消失ではなくて
両方が存在するという考え方になります。

猫が死ぬか生きるかの物理的事実が
起きる前は、脳の認識に関係なく両方
が時空間上に存在しています。

共存といっても、富裕と貧困、死霊と
善霊などが和を持って永遠に仲良くやって
いこう、とかそういうのではないです。

「両方存在している」という考え方で、
粒子的には「量子の揺らぎや量子の
重ね合わせ」
といいます。


多世界解釈では、放射能で猫が死ぬ前
には猫が生きてる世界と死んでる世界
が常時干渉し合っています。

原子から放射能が放射された時や猫が
死んだ後は、生きてる時の世界との
関係が途切れます。

そして互いに干渉できなくなります。

科学的には、この状態を分岐したといいます。

分岐はお馴染みのパラレルワールド
(並列世界)
の概念です。

時々刻々と並列状態から、
無限に分岐しています。

多世界では、宇宙などの極大から、
素粒子などの極小まで無限に分岐し
続けます。

人間もその一つです。

この瞬間にも、記事を書いてる私と
記事を書いてなくてクソして寝てる
私に分岐しています。

電子で例えると、観測してない段階
では、霧のように広がる可能性電子の
位置は特定出来ていません。

このような不確定な状態を
位置の揺らぎというそうです。

粒子の不確定性原理では、電子の
速度も位置と同じく不確定です。

その速度は、運動量(質量×速度)
で表わされます。

位置と同じく、運動量の揺らぎといいます。

不確定な運動量と位置には相関があり、
どちらかの揺らぎを小さくすれば、
どちらかの揺らぎが増大します。

例えば転がってるボールが止まると、
止まった位置は分かりますがボールの
速度や運動状態は不明確になりますよね?

転がってる状態のボールは、速度は
分かりますが止まる位置が特定できません。

理論的にはボールと電子は一緒ですが、
ボールの場合は重量や抵抗などが最初から
計測しえますから、完璧に揺らいでいる
とはいえません。

その計算も測定器で可能ですよね?

電子の場合は質量もないし、肉眼で
見えませんから予測的な測定は最初
から不可能です。

揺らぎや不確定性理論は、そのような
状態の原理を指します。

霊の場合はどうでしょうか?

霊の存在の否定には、不確定性原理が
使われる場合があります。

「霊がどこに居るか特定できないから、
人間は霊とコンタクトを取ることは
不可能である」
という考え方です。

しかしこの考えにも矛盾があります。

霊を特定する以前に、否定するにしても
霊という概念自体が肯定されちゃって
いるから、霊自体はどっかに居るよ
という考えになるんです。

居ないと居るは、比較しちゃってます。

ヒトの神経網では一緒になります。

パラドクス上で、片方を消去
することは出来ません。

これは、輪廻転生や来世の否定的
存在にも当てはまります。

本当に存在しない時は、その単語
すら最初から思い浮かばないんです。

結局、猫の生死と似たような
経路を辿るのではありませんか?

霊が現れる時には揺らぎがあります。

出る世界と出ない世界とに
分岐されるということです。

この両者は、素粒子的にも
共存しています。


心霊という単語で分かる通り、
霊とは「心の中の幽霊」という意味です。

ところが、UFO同様に、カメラや
ビデオのような観測機材に映りこんで
るケースがあるんで、網膜のみに
入り込む現象ではないと考えます。

カメラに映りこむという
ことは、霊も光の一種です。

しかも記憶や思考との相互作用
が存在している筈です。

というわけで、霊も観測者の把握
状態によりますので、電子の揺らぎ
と一緒だと思います。

ちなみに、霊の存在は、憑依や
先祖、アミニズム的な思考方法で
石器時代から存在しています。

再生という概念も霊の一種です。

霊という言語は、宗教や文明が
出来てから使われてきましたが、
概念自体はその遥か以前から
存在しておったんです。

つまり、霊とか魂なる概念には、
数千年単位で、思考的な年季が
入っておるんです。

扁桃体の蛇と一緒です。

恐らく、遺伝的にそれが
ゲノムに組み込まれています。

フォルマント周期と一緒で、
霊性は人間の場合、自然に
出てくるものです。

否定する方がおかしいと
思うから自然ではありません。

霊=自然世界です。

粒子と同じくらい存在を認めても
おかしくは無いと思います。

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