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20年経つ今も「からだ」への興味は失われず、むしろ増している。この興味はどこまでつづいていくのか、書き記してみたい。

わたしは小さい頃から「身体をうごかす」ことが好きだった。

父が野球を、母がバレーボールをしていたことも影響していたと思う。幼いころの写真をみると野球をしている様子がよく写っているし、マット運動(器械体操)は大好きだった。地域の父母が集まりやっていた「ママさんバレー」にはよくついていき、友達と汗だくになりながら遊んでいた記憶がある。


ふりかえると、

下校のときに雪道を遊んでかえるためにスキーウェアをきて小学校へ通っていたこと。や、父が布団の上でみせてくれた「跳ね起き」を見よう見まねで練習して完成させたこと(その後は中学校でもバク転・バク宙を自力で完成させた)。日が落ちるまで友達と空き地や神社で遊びつづけていたこと。夏は家族で毎年のように海へキャンプへ行っていたこと。など記憶のほとんどが遊んでいることや自然とかかわっているものだ。

まだまだ記憶のなかにはたくさんの思い出がのこっている。今になっても残っている記憶のほとんどが家族や友人と遊んでいること、一所懸命に取り組んでいたこと、自然とかかわっていることなのはなんでだろう。
純粋に楽しかったからか。



その後、

わたしが10歳のときに母が乳がんで他界してからは家族全員が大変な時期を過ごした。いまだにその傷が癒えていない部分はあるけれど、そのときの悲しさをまぎらわすために遊びでやっていた野球を本格的にはじめるようになった。リトルリーグに入った。

10歳より前のできごとは断片的な記憶で、母が他界した後の記憶はわりと鮮明に残っているような気がする。

記憶はあいまいなものだから、自分の興味関心を勝手に選んでストーリーをつくりだそうとしているのかもしれない。この頃から自分の内側に起こる心の動きと外の世界とつながる肉体との関係に自然と意識を向けていた気がします。

当時はわからなかった。いま思い返すと「あのときはそういうことをしていたのかな?」と思える。



高校入学時には、

社会人になってもつづけようとしていた野球を早々にあきらめた。監督の指導方針と自身の怪我がおもな理由。怪我で思うように動けなかったときに「スポーツの現場で働きたい」と思ったのがきっかけで現在まで「からだ」にかかわりのある仕事をつづけている。

20年経つ今も「からだ」についての興味は失われず、むしろ増している。自分自身の興味を辿ってきた冒険譚、いまなおつづけている探求を記してみたい。

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