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本日の一歩🦶日本の福祉の歴史〜7世紀編‼️

日本の福祉の歴史を1世紀ごとに区切りながら眺めていく第二弾‼️
今回は7世紀ですね😊✨
一歩一歩🦶まとめてみたいと思います‼️🔥


7世紀前半

大化の改新の時代

この時代は、大化の改新や律令制度(国のしくみ)が始まりました。
国が強くなる一方で、人々の生活は苦しくなりました。
税や労役が重くなり、貧富の差が広がりました。

光明皇后の時代

そんな中で、光明皇后は、興福寺に施薬院と悲田院を建てました。これらの施設は、聖徳太子が作ったものよりも大きくて立派でした。
光明皇后は、皇后宮職に施薬院を置き、国家や個人からの賑恤(ねんきゅう)*や施行(あげること)などの福祉政策を行いました。光明皇后は、自分の財産も施しをすることで、人々から尊敬されました。

*賑恤とは

貧しい人々や困っている人々を救済するための施しや援助のこと。
光明皇后は、自身の地位や権力を利用して、賑恤の活動を積極的に行った。彼女の賑恤は、人々の生活向上や社会の発展に大きな影響を与えた。

7世紀中頃

天武天皇の時代

この時代は、天武天皇が即位し、天平文化が花開きました。
天武天皇は、仏教を国家の守護とすることを宣言しました。
天武天皇は、四天王寺にあった四個院(施薬院・悲田院・敬田院・療病院)を改善しました。

四個院の改善

天武天皇は、四個院に医師や薬師を置き、病気や怪我をした人々に無料で薬や治療を施し(あげること)ました。
天武天皇は、四個院に貧しい人や孤児(おやがいない子ども)を収容し、食事や衣服を与えました。
天武天皇は、四個院に老人や障害者を収容し、尊厳を保ちました。天武天皇は、四個院に仏教の教えを説き、人々に慈悲(やさしさ)や施し(あげること)を勧めました。

7世紀後半

持統天皇の時代

この時代は、持統天皇が即位し、律令制度が完成しました。
持統天皇は、光明皇后や天武天皇の遺志を継いで仏教と福祉に力を入れました。
持統天皇は、全国各地に寺院や施設を建立しました。

法隆寺八院

例えば、法隆寺に悲田院・施薬院・療病院・敬田院・養老院・養幼院・養病院・養貧院など8つの施設が建てられました。
これらの施設は、「法隆寺八院」と呼ばれ、日本最古の総合福祉施設と言われています。
持統天皇は、自分の財産も施し(あげること)をすることで、人々から尊敬されました。

本日の一歩🦶は、ここまで‼️

日本の福祉施設の始まりは、
興福寺、四天王寺、法隆寺などの、
今も超有名なお寺が関わっているんですね😊✨
福祉とお寺とは、深いつながりがあることに気づかされました😊✨
今後も、日本の福祉の歴史を眺めていきたいと思います‼️😆🔥

では、また👋

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