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五月病の日

五月病という病気はない。が、ゴールデンウィークすら明けてないのに、ここ数日はすっかり気分が滅入っていて、五月病以外の病名が思いつかない。

たまった仕事のやる気は全然起きないし、そもそも今の仕事が本当にやりたい仕事なんだっけ……というどうしようもない疑問すら湧くし、イヤだったことばかり思い出すし、そういえば少し前にクジラが飛び跳ねる超吉夢を見たのに全然いいことなんて起きないし、おまけに全く痩せない。最悪だ。

しかし、こういうときはなんでか文章が書きたくなる。気落ちや苛立ちや怒りは、執筆のガソリンだ。ハイオク満タンである。人間、ハッピーハッピージョイジョイな気分のときは文章なんて書かないし、ものなんて作らない。世界は鬱屈した人間たちの感情の掃き溜めなのだという自説すら持っている。

仕事もたぶん失敗はしていないと思うし、よい友だちもいてくれるし、プライベートも充実していると思う。それなのになぜ?というのは自分が一番聞きたい。満たされていないのか、ただ強欲なのか。漠然とした不安や、常に根底にある嫉妬心にまみれながら、毎日仕事して、子育てして、たまに友人と会っている。その当たり前に流れる毎日に飽きたのか。これは飽きなのか。

タイムマシンがあったなら、いつの自分に戻りたいだろう?なんてくだらないことすら考えたが、小中高はずっとつまらなかったし、仕事を始めてからも怒られてばかりでお金もなかった自分には、大して戻りたい過去なんて存在しない。だからきっと、いまのこの、どうしようもない自分のままで、なんとか生きていくしかない。タイムマシンすら頼れないなんて。

久しぶりにプライベートで書いたのがこんな雑文だなんて自分でも笑えるが(最近はずっと仕事で書くのに追われていて、日記のような文章は全く書いていなかった)、ほかになにも技術のない自分は、こんなときすら言葉に頼るしかないのだ。自分に文章があってよかった、なんて、美しい結論じゃない。つらつらとした文章でしか書けないことなんて、大したことじゃない。もっと愛してくれよ!とか、もうすきにさせてくれ!とか、そういう叫びに似た気持ちなのだ、たぶん。

でもわたしは2歳児じゃないからレストランで大声で泣かないし、電車でも喚かない。いいな、幼児は。うらやましい。大人だって、たまには大声で泣きながら叫びたいのだ。

がんばって生きます。