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成地さんのこと

書籍『カミ・コメ・ツチ・ヒト』にもそのお姿が掲載されている成地さん。無償で熊野古神道を歩み守り続けてきた方でした。

その昔、パソコン通信サービス(Nifty-Serve)の中にあった世紀末フォーラムの人達と一緒に、修験道の山々を巡り、玉置神社にお参りしてカミゴトのお手伝いをさせて頂く流れのなかで、和歌山県の某所で成地さんにお会いした日の事を覚えています。

成地さんはとても気さくな方で、初対面の私たちにも笑顔で接してくださいました。「あの野茂のトルネード投法は、日本の渦が海外に渡った象徴なんだ」といった興味深いお話をされていましたね。初めてお会いしたのに、まるでどこかでお会いしたことがあるかのような不思議な感覚になりました。

その成地さんがこの世から旅立たれていたのを知ったのはつい最近のことです。第100代の継承者の方から直接、その時のお話を伺いました。病床におられた成地さんがその継承者の方に語った間際の最期の言葉は、こんな言葉だったそうです。

「わしには神が何なのか、結局わからんかった」

この言葉をどう受け止めるか、人によってさまざまでしょう。長いことやってきても、わからなかったんだ、と失望の色を隠せない方も居たのではないかと思います。

だけど私はこの言葉にこそ、不可知である神の得体の知れなさ、その深遠さは、人間というちっぽけな存在にはまるで理解しえぬものであるという、どこまでも謙虚な響きを感じ取りました。人生を賭けて神と向き合った人間にしか分からない、そんな深い畏敬の念から発せられた言の葉なのではないでしょうか。

成地さん、あなたにお会いできて本当に良かったです。
あなたの「カミ」に対する真摯な思いに共鳴します。

ありがとうございます。

また、どこかで。

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