『橋の下』〜どんとの生家・大垣市
大垣に行く用事があり、どんとの生家も見に行ってみることにした。
どんと。BO GUMBOS、ローザ・ルクセンブルグのヴォーカリスト、中心人物。私はそんなに彼らの音楽にハマっていたわけではない。ローザのベストは大好きでヘビーローテーションしていたけれども、ベストしか持ってないし、BO GUMBOSは音源持ってない。生で見たのは2回。1回はMETROFARCEのライブに単独でゲストに来ていた姿、もう1回は、友人に誘われて野音で見たBO GUMBOSのステージだ。
当時の情報不足もあるかもしれない。ローザが好きでもメンバーのことはよくわからなかった。ましてやその後のことにおいてをや、だ。80年代後半から90年代、足つかって本気で追いかけなければ、情報なんて手に入らない時代だったのだ。
どんとが大垣出身だということも、ご実家の場所もネットで知った。ご家族がプロダクション活動をなさっていた時期があったようでログが残っていた。街道沿いのお米屋さん。歩いてみた。
大垣を訪れるのは初めてだ。聞いてはいたが、水の都っぷりに驚く。埋められない川。たくさんの橋。観光ルート沿いには自噴泉が設けられ、汲めども尽きせぬ水がこんこんと湧き出している。
東京の下町なんかも水郷だが、決定的に違うのは、暗渠化されていないことだ。
もちろん暗渠らしきものもあるにはある。しかし、すごく少ない。歩いて30分の範囲に2本の川が走り、家と家の間には狭い水路が生き残り、細かい橋が次から次へと現れる。
よい街だ。古いものと新しいもののバランスが絶妙。デカいマンションなんかはない。役所の周りみたいな広くあるべき道はちゃんと広く、住宅街の道はそれなりの広さで、他の東海地方の街に比べて歩いている人が多い。
どんとの生家はそこにあった。もうやっていないお米屋さん。建物は横長で、幅全てがお店らしくガラス張りの引き戸で、なんだか懐かしい気持ちになる。
向かいや並びのおうちもとても古い。60年や70年くらい経っていそうな日本家屋の店舗兼住宅。軒下には陶器の碍子。ああ、この光景をきっとどんとも眺めていたのだな、となんだか胸がキューンとなる。
いきなり訪ねてこられても迷惑だろう。大ファンだったってわけでもないし、と、しばらく佇んだあと一礼して去る。しかし、帰ってきてからネットを見返すと、訪ねるとお墓の場所を教えてもらえる、と書いてある方がいてああそうすればよかった!と後悔した。すぐそばのお寺さんにお墓があったみたいだ。行けばよかった。
どこへともなしに歩くとまた橋があった。ようやくピンときた。ああ、どんとにとって橋というのは、ほんとに日常なんだ。
お花の種を蒔けるような橋は京都鴨川あたりの風景かもしれないけど、彼にとっての橋は、そんな特別なもんじゃないんだ。
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