舞台「オルレアンの少女-ジャンヌ・ダルク-」を観劇して

こんにちは。れすです。

舞台「オルレアンの少女-ジャンヌ・ダルク-」を観劇しました。東京7公演が終わり、大阪3公演を残す今、ぼく自身がどんな解釈をしているのか残しておこうと思い、筆を取っています。

本ブログは例によってネタバレに配慮はせず、すでに観劇後である読み手を想定しています。まだ観劇されていない方は大阪公演のチケットを買うことをおすすめします。こちらで買えるようですよ。本当にいい舞台なのでいけるならいったほうがいいです。

「オルレアンの少女」概要

オルレアンの少女はジャンヌ・ダルクを題材として、1801年にフリードリヒ・フォン・シラーによって書かれた戯曲です[3]。オルレアンの少女が書かれる約四百年前に起きたフランスとイングランドの百年戦争中、劣勢のフランス陣営に「神の声」を聞いたという少女ジャンヌ・ダルクが現れ、そのカリスマ性からフランスを勝利に導く逸話をもとにしています[4]。

オルレアンの少女は英仏百年戦争から四百年後に生まれ、さらにその二百年後にこうして舞台となっているわけですが、シラーがオルレアンの少女を書いた時代背景と、現代の情勢にどこか通じるものがあったからこそ選ばれた舞台なのではないでしょうか。

シラー自身、本作を「ロマン主義的悲劇」と名付けていることが本舞台のインタビュー記事でも言及され[7]、本舞台中でもこの言葉が使われます。[6]によるとロマン主義は「近代国民国家形成を促進した」とあります。産業革命以降、英国や日本といった地理的に国への帰属意識を育みやすい国々が近代国民国家化をいち早くに成功させたように思えます。シラーがオルレアンの少女を書いた1801年頃はまだナショナリズムが確立には至っておらず、[4]でも「コスモポリタン的な啓蒙時代とナショナリズムの時代のはざま」と表現されています。

シラーはそんな時代の潮流に揺れ動きに、百年戦争当時に状況を重ねていたのではないでしょうか。本舞台でも序幕のドンレミ村のシーンでのティボーの演説で、今はフランス領でも、明日にはイングランド領になるといった旨が語られます。そんな誰に統治されるかがすぐに変わってしまう時代であることが示唆され、立ち止まるジャンヌに周りの人達が肩をぶつけていくシーンもそんな情勢に翻弄される様子を表現しているように思えました。そして劇中で触れられるウクライナもまたその地政学的な特性上、歴史的に分割統治や統治者の入れ替わりに振り回されてきた国で今まさに激動のさなかにあります。本劇はシラーが当時感じていた百年戦争との類似性を、現代に生きるぼくたちの中に見つける舞台だと感じました。

処女と聖性。「少女」を「しょうじょ」と読むことについて。

本舞台のタイトル「オルレアンの少女」の「少女」は「しょうじょ」と読ませています。一方で岩波文庫版[3]の冒頭には、少女を「をとめ」と読むと注意書きされています。[4]では、ジャンヌが神の道具となることを受け入れるために「処女誓願」をし、その時から「乙女」を自称するようになるエピソードが書かれており、今回の舞台で意図的に呼び方を「しょうじょ」としているように思えます。

同書[4]には「プラトンの『饗宴』でアリストファネスが語る原初の中性人間を「おとめ」=「男-女」とした」という話があるように「おとめ」読みには聖性を含意しているのではないでしょうか。

この中性性の獲得はジャンヌが兜を受け取り、男装することとして描かれています。史実での異端審問でも、悪魔との交わりがないことを確認するためジャンヌの処女性が何度も検査されています(結論、ジャンヌは処女だったとされている)[4]。また異端審問においてはジャンヌが敬虔な信徒であったことから審問によって異端であることを断定できず、ジャンヌを拷問し、もう二度と武器を取らず、男装をしないことに署名させました。女性の服を着たジャンヌは牢番に暴力を振るわれるようになり、身を守るために再び男装を所望したことを異端と断じられ、「戻り異端」による火刑が執行されたのです[4]。

このように男でも女でもない中性的な存在には聖性があり、ジャンヌがドンレミ村で男性しかまとわないはずの兜を手にしたときが聖性を獲得したその瞬間なのです。その他にも劇中、初めて人を殺すシーンでモンゴメリとの対峙の中「私は神の使いだ、男でも女でもない」というセリフもこのことを示唆しているシーンでしょう。

このように考えるとライオネルとの逢瀬によってジャンヌが処女ではなくなり(逢瀬のシーン後、ラ・イールの「血が流れているぞ」という台詞からも処女ではなくなったことが示唆されている)、その聖性も失われたと言えます。

その直後、戴冠式のシーンから、旗が血に染まっていることもこの出来事が契機になっています。前半のジャンヌがシャルルから旗を受け取るシーンにおいて、聖母のお告げで「聖なる旗」と表現されたものを、ジャンヌは「純白の旗」と言っています。このことからも「純白の旗 = 聖性のある旗」であり、聖性がなくなったから旗は赤く血に染まるのです。

マイクについて

さて、今回の舞台のキーアイテムとも言える存在は「マイク」ではないでしょうか。ジャンヌが「神の声」を聞くときにはキィィンという音が鳴っていることから音響装置を通していることが示されていますし、ジャンヌが「神の声」を民衆に届けるときにはいつもマイクを使っています。逆にジャンヌの奇襲にやってくるシーンでは、タルボットがわざわざスタンドマイクをどけて喋っていることからもマイクの有無で意味が変わることは明確に区別されていると考えています。

そしてその役割は「ぼくたち観劇者への問いかけ」ではないでしょうか。神が舞台中の人物に語りかけるように、舞台からぼくたちへ問いかけがなされているのです。さらにこのことは舞台と客席が分断された世界ではなく、地続きであることでもあると思います。

これまでも何度か深作さん演出の朗読劇に遊びに行かせて頂いていますが、おなじみの演者が役から語り部に役割を突如スイッチングする演出は今回の舞台でも健在です。そしてそのスイッチングした演者を、まだ舞台中でジャンヌを演じているはずの夏川さんが目で追います。このことからも舞台と客席は繋がっていることが示唆されており、そのことを明確に気づかせてくれる役割をマイクが担っているのです。

イザボーの役割

アイテムとしてはマイクが舞台と客席を繋いでいる存在ですが、登場人物としても異質な人物がいます。イザボーです。

タルボット、ブルゴーニュ、ライオネルに邪険に扱われ、激昂するシーンでは「ギターもっと上げろ!」と裏方に口を出す演出(「上げろよ!」になっている回があってちょっと変化があるの好き)であったり、ジャンヌを捕虜にするシーンでは、ステージ裏のそれまでずっと演者が出入りしていた出入り口ではなく、イザボーだけが非常口からステージに入ってきます。その他にもイザボーはステージ上で壁に寄りかかって観劇((余談)イザボーさん、立ち見席なの...?当日券買った...?となる)しているし、そのあとも椅子に座り足を組み舞台を見ています。

その姿はぼくらの投影のようですし、自由にステージ上を闊歩する姿は役という縛りに囚われないメタ的な存在でもあります。

ジャンヌと黒の騎士

ジャンヌが初めて人を殺したあとから登場する黒の騎士。台本[2]上では「亡霊?」と説明書きされていたり、劇中でジャンヌが「この世のものではなかった」と述べていることからも一際不可解な存在です。

舞台を観劇して、黒の騎士はもうひとりのジャンヌであると解しています。そしてそれは孤独ゆえに生み出された存在です。序幕のシーンではレーモンと目が合ってもすぐに逸らされてしまい、ジャンヌのことをわかってくれる存在はいません。さらに聖母のお告げにより、誰かと寄り添うことも叶わなくなり、戦果を上げれば上げるほど孤高な孤独な存在として祀り上げられていきます。

戴冠式で魔女だと糾弾され、すべてを失ってなお一緒にいてくれるデュノアとレーモン。彼らとともにいることを選ばず、それでも「一人で大丈夫」と運命を信じ、孤独に臆病にならないと言うジャンヌ。黒の騎士は「さようなら世界夫人よ/頭脳警察」とともに、鎧を外しながら喜びに満ちた表情で自由に舞いを踊ります。ジャンヌは黒の騎士と見つめ合い((余談)ここプロポのパンダくんと夏川さんのシーンなんだよな...)、「ありがとう、こんな私と一緒にいてくれて」と言います。この言葉はレーモンではなく、黒の騎士に向けて発せされたもので、もう臆病にはならない、臆病だから誰かにいてほしかった、それが黒の騎士だったのだと思います。

シラーの戯曲から深作組の新ドイツ三部作へ

冒頭の繰り返しになりますが、オルレアンの少女は英仏百年戦争から四百年後に生まれ、さらにその二百年後にこうして舞台となりました。本舞台では基本的にシラーの原作に沿いながらも、火刑のシーンとジャンヌの死が三度になっているという「味付け」がなされています。

劇中で「大きな戦争のたび、ジャンヌが取り上げられ、戦争責任の追求として異端審問や火刑が描かれる」と言及があるように、シラーはあえて火刑を描かなかったわけですが、それを本劇では描いたわけです。ぼくは本劇を通してジャンヌを「戦争そのもの、または戦争へと駆り立てる存在」として描いているように感じました。

ジャンヌが自身を「生かしておいてはならない」というセリフがありますが、これもジャンヌ=戦争と解釈すると、戦争の発生を望んでいないと主張しているのではないでしょうか。それでいてなお二度の「復活」を遂げることも、非戦・反戦といった思想が根付かず、戦争が何度も繰り返されることを示唆しているように思いました。だからこそ聖母が「跡を継ぐ者」と述べた後に聴こえてくるのはサイレンであり、爆撃音であり、赤子の泣き声なのです。

そしてジャンヌの復活が一度追加され、マイクやイザボーが示すメタ的な役割は劇とぼくたちのいる現実が地続きであることを教えてくれます。特にイザボーはもうひとりのジャンヌともいえるほどジャンヌと対比される存在です。ジャンヌと同じく鎧を纏って戦場に立ったことも劇中で言及がありますし、戴冠式で味方に見捨てられたジャンヌに対して、イザボーはシャルルに見捨てられています(少なくともイザボー本人はそう思っているでしょう)。ジャンヌが捕虜となるシーンで、なぜ軍を離れたのかと問われたジャンヌがシャルルに関する返答をしているのも、一見意味が取りづらい会話ではありますが、ジャンヌとイザボーが同じ境遇であることを示唆しているのです。

ジャンヌは1456年の復権裁判で異端を無効化され[8]、さらに1920年に聖女にまでなります[9]。しかし対比されるイザボーは違うのです。国に捨てられた女として後の作品でも悪女として描かれることが多いでしょう。そして上述のように観劇までするメタ的存在であるイザボーはジャンヌよりもぼくたちに近い存在ではないでしょうか。

そういったジャンヌとイザボーの対比という意味でも今回の舞台では、行進の足音、銃声、爆発音が鳴り響き「導け!」と強い語調で促されるシーンでも、ジャンヌはきっぱりと「違う!」と言えるようになります。
神の声の操り人形にならない。戦争を繰り返さない。一人ひとりが王(ナショナリズムの興りと自身を見つけることと解釈しています)となる。それらにたどり着いたジャンヌは「ジャンヌに旗を!」の締めも合わせて、戦争の象徴ではなく一人の少女に解放されたのだと思います。
虹が架かりジャンヌが天へと召されるラストシーン。原作の注釈に虹は天とジャンヌの和睦を象徴であることが書かれています。このあとに本劇オリジナルのジャンヌの復活を描くのではなく、ラストシーンはラストシーンのまま最後に置いてくれたことに少しだけ希望が残されているように感じました。

救われたジャンヌに対して、旗が掲げられたあとサイレンが鳴り響くように我々は救われていません。ジャンヌの三度目の復活があるのか、ぼくたちはイザボーになるのか。そんなことを考えさせられる終劇となりました。果たしてぼくたちはーー

終わりに

改めて本当に素晴らしい舞台をありがとうございました。深作さんを始め、演者の方々、音響、照明、美術、衣装などなどスタッフの皆さんの息遣いを感じられる舞台で、皆さんが作られる朗読劇や舞台特有の静謐な空気感は何度味わっても褪せません。

そして何より、夏川さん初舞台・初座長という場に立ち会えたこと、この上なく幸せです。CultureZなどでも稽古がどれだけ大変か伝わってきていましたが、ラブシーンを始めこれまで見たこともなかった夏川さんの表情や表現・演技に何度も何度も鳥肌が立ちました。個人的に一番胸をざわつかされたのはヘルメットを抱え、驚きと怯えが混ざったシーンです。夏川さんの怯え演技えっぐい。

東京千秋楽のカーテンコールでふっと糸が切れたように崩れ落ち、涙ながらに「一個もできないってしたくなくて」とお話してくれたこと、ずっと忘れません。重ねてになりますが本当に本当に最高の舞台でした!!

参考文献

  • [1] 舞台「オルレアンの少女-ジャンヌ・ダルク-」パンフレット

  • [2] 舞台「オルレアンの少女-ジャンヌ・ダルク-」台本

  • [3] シラー作, 佐藤通次訳, 「改訳 オルレアンの少女」, 1951/01/20刊行, 岩波文庫, ISBN: 9784003294000.

  • [4] 菅利恵, 「『オルレアンの処女』と一八〇〇年前後のドイツ」, 2013/03/30発行, 人文論叢 : 三重大学人文学部文化学科研究紀要 P45-56, https://mie-u.repo.nii.ac.jp/index.php?action=repository_view_main_item_detail&item_id=1601&item_no=1&page_id=13&block_id=21

  • [5] 竹下節子, 「ジャンヌ・ダルク 超異端の聖女」, 2019/06/12刊行, 講談社学術文庫, ISBN: 978-4-06-516276-7

  • [6] ロマン主義, Wikipedia, 2022/10/10アクセス. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E4%B8%BB%E7%BE%A9

  • [7] 夏川椎菜のジャンヌ・ダルクは深作健太が誰よりも観たいと思ったから実現した 『オルレアンの少女-ジャンヌ・ダルク-』インタビュー, SPICE, 2022/10/5公開, 2022/10/10アクセス. https://spice.eplus.jp/articles/308925

  • [8] ジャンヌ・ダルク復権裁判, Wikipedia, 2022/10/15アクセス. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%AB%E3%82%AF%E5%BE%A9%E6%A8%A9%E8%A3%81%E5%88%A4

  • [9] ジャンヌ・ダルク, Wikipedia, 2022/10/15アクセス. https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8C%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%AB%E3%82%AF

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?