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安田隆夫(ドンキホーテ創業者)の現在は?シンガポールの自宅や家族、資産がスゴイ⁉

本記事は企業から取材費や提供を受けた商品・体験させていただいたサービスをもとに記事を執筆しています。


こんにちは!しおみんです。

深夜でも食料品や日用品はもちろん、衣料品までなんでも手に入る便利でお得なショップといえばドン・キホーテ。
いまや日本だけでなく、海外でも展開し、現地で大人気なのだとか。

今回は、そんなドン・キホーテの創業者である安田隆夫氏について調査。
安田隆夫社長の経歴や資産、自宅やご家族、書籍・本やシンガポール移住の理由や現在についてまとめてみました。
安田社長を知ることで仕事や人生の成功のヒントが得られるかも⁉


安田隆夫氏の経歴・プロフィール

まずは、安田氏のプロフィールからみてみましょう。

安田隆夫(やすだたかお)氏のPROFILE
■生年月日/1949年(昭和24年)5月7日
■年齢/満73歳※2022年時点
■出身地/岐阜県大垣市
■学歴/岐阜県立大垣南高等学校、慶應義塾大学法学部卒業
■家族/妻(マ・ヤピン)・息子(安田純也)

ドン・キホーテ誕生の経緯とは

安田隆夫氏は岐阜県大垣市出身。岐阜県立大垣南高等学校を卒業し、慶應義塾大学法学部に進学しています。
大学卒業後は、不動産業界に就職するも倒産。フリーターとなり、麻雀に明け暮れる毎日を送っていたそうです。
しかし、このままではいけないと一念発起。1978年、安田氏が29歳の時に東京都杉並区の西荻窪に雑貨ショップ「泥棒市場」をオープン。

当時、珍しかった深夜・終夜営業という業態がヒットし、成功を納めるものの、5年で売却。売却後は現金問屋の運営をスタートしました。
1989年に現金問屋の運営で得たノウハウと資金をもとに東京・府中市に「ドン・キホーテ」の1号店をオープン。その後、全国各地に続々と店舗をオープンさせます。
そして、1998年に東京証券取引所市場第二部に上場。創業以来26年間連続で増収増益を達成するなど、一代で事業を成功へと導いています。

妻はどんな人?息子さんは?家族構成をチェック

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安田氏の奥様はマ・ヤピンさん。国籍はわかりませんが、お名前から外国のかたであるようです。写真を拝見すると、とってもお綺麗な女性ですね…!(一緒に写っている安田社長も幸せそう……^^)。
また、息子さんがおり、長男のお名前は「純也」さん。株式会社トライ・ディーという、雑貨企画販売を手掛ける会社の代表取締役を務めています。

日本長者番付の常連⁉ 資産・年収は?

一代で事業成功へと導いた安田氏。気になるその資産は3360億円。
2022年5月31日にアメリカの経済誌であるフォーブスが発表した「日本長者番付」で15位にランクインしています。すごい資産額ですね…!

馬主⁉人気競走馬「レッツゴードンキ」との関係は?

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資産家である安田氏は、馬主との噂も。噂になったのは、2015年の桜花賞で優勝した競走馬「レッツゴードンキ」。
名前からドン・キホーテを連想しますよね。しかし、安田氏は馬主ではなく、名付け親。馬主である実業家の廣崎利洋氏と親交があったことから名付けを依頼されたそうですよ。

本・書籍の口コミ評判は?

一代で、事業を成功に導いた安田隆夫氏。その生き方や成功のヒントを知りたい人も多いせいか、本・著書も多数出版しています。一部ですが、人気の著書の口コミ評判を調べてみました。

■安売り王一代 私の「ドン・キホーテ」人生 (文春新書)
2015年11月20日発売

引用元

口コミ評判
「あまり自分をよく見せようとしていないで、等身大で自身を語っているので、読んでいてなるほどと感じるところが多い。読んで良かったと感じた。
一度は大失敗して、それから這い上がるというのはスゴイパワーである。誰もやったことがない販売方法で成功を収める。一歩間違えれば、万引きされやすい形態で商売されていた印象が強く、でもどこの店にも置いていないおもしろ商品で若者を呼び込み、一部の商品を激安で販売して、トータルで一般のスーパーと同じくらいの価格になる営業方法はスゴイ」

■ドン・キホーテ 闘魂経営(徳間書店)2005年8月31日発売

引用元

口コミ評判
「お客さんを飽きさせない技術やそれにいち早く気づく勘が大切などどれもが泥臭く現実的で地に足がつきながらも常にチャレンジし続けることに恐れないドン・キホーテの姿に奮い立たされました」

「放火事件の前後からも何かとバッシングを受けた当時の安田社長。私自身も当時はあまりいい印象はありませんでしたが、しかし、実は誰よりも従業員やお客様を第一に思い、ひたむきに戦い続ける優しくも厳しい孤独な安田社長の姿が見えるようでした」

知っておきたい名言や格言の数々

安田氏には、数々の名言や格言があります。ほんの一部ですが、ピックアップしてみました。

「ワクワク、ドキドキ」がドンキの店舗のコンセプトだが、店を作る方もワクワク感がなければ、顧客をワクワクさせることはできない。
常に忘れてはいけないのは、不都合な真実を含めて客観的に見つめ、咀嚼したうえで自らが変わらなくてはいけないということだ。そうでなくては、限界は壁にしかならないだろう

顧客の心のひだにスポットライトを当て、新たな業態を創造していくという飽くなき執念、我々の言うところの「はらわた」は何ひとつ変わっていない。

人間関係の構築はやや苦手だが、陳列をさせると異才を発揮する人もいる。そのような人を適材適所で使い、それが売り上げのアップに直結すれば、さらに自信かつく。欠点を無理に矯正しようとせず、得意分野を磨いたほういい

「道理は通じる、努力すればうまくいく」と思っているから、ストレスがたまるんですよ。「うまくいかないのが当たり前」と思えば、そうした気苦労はなくなります。

「若い頃にリスクをおかさず、人生の最後に『もっと思い切りやっておけばよかった』と後悔することが最大のリスクだと思います」

う~ん。為になりますねぇ……。

2015年にCEOを辞任。シンガポールで事業を展開

安田氏は、2015年に株式会社ドンキホーテホールディングス(現株式会社パン・パシフィック・インターナショナルホールディングス(PPIH)の代表取締役会長兼CEOを勇退し、創業会長兼最高顧問に就任しました。
そして、Pan Pacific Retail Management(Asia)Pte. Ltd. の会長兼社長兼CEOとなり、シンガポールに日本産品専門のコンセプトショップ「DON DON DONKI」を創業

「DON DON DONKI」は、日本のドンキと全く異なり、工業製品をほぼ置かない、食品メインの商品構成。というのも、安田氏は「日本と同じドンキを作っても意味がない」と考えていたそう。
そして、シンガポールでは中間の流通業者が利益を得るためか、日本の食品が日本の2倍から4倍ほどの高値で売られていました。
この状況を見た安田氏は、「お客様を軽視している」と憤りを感じたそう。この問題を解決することで、日本の食品の生産者を支援することにも繋がり、何よりも、日本駐在員などの家族のみならず、シンガポールの人々も喜ばれる。結果として日本のイメージはさらに向上すると直感。このような経緯から、現地の人々に愛される「DON DON DONKI」が誕生。大成功を収めました。

現在はシンガポールに移住し、「DON DON DONKI」の経営に全力投球

また、ご自宅も東京都世田谷区からシンガポールの南に位置するセントーサ島に移住されています。セントーサ島は、ユニバーサル・スタジオ・シンガポールなどがある観光地として有名な島。
17億円で購入したという海と湖の景観が楽しめる敷地面積約8,500平方フィートの一軒家にお住まいとのことです。

2022年4月20日付けのWEBメティア「財界ONLINE」のインタビュー記事によると、アジア6カ国・地域30店舗(2022年2月時点)に拡大した、「DON DON DONKI」の経営に現在も全力投球しているとのこと。
また、以下のようにコメントしています。

「社員の頑張りがあって、ここまで来ることができた。現場の社員に権限を委譲する現場主義と、顧客最優先主義を実践してきたことが大きい。こうした原点は今後も変わらない」
「円安もそうだし、賃金も上がらず、物価も上がらない。日本のモノがどんどん安くなっているから、海外でメイド・イン・ジャパンの専門店をつくっても海外のお客様からは、何だこんなに安いのかと思われている。お客様が喜んで買っていただけるのは嬉しいが、日本人としてこれを喜んでいいのかどうかは疑う」

ウクライナ侵攻や出口が見えないコロナ禍の影響で、経済悪化が懸念される昨今。
遠く離れた海外の地にいながらも日本を愛し、商売人としての誇りと高い意識を感じられるコメントですね。

さいごに

シンガポールに拠点を移しても、ドン・キホーテの成功で培った経営理念と強い信念をお持ちの安田隆夫氏。
世界を舞台にさらなる飛躍が期待されますね!今後も安田氏の手腕に注目です。

それでは!


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