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プロセカイベント楽曲「演劇」ゲームサイズから朝比奈まふゆのこれまでを振り返る。


この記事を読むのに必要な前提知識(知っているようであれば読み飛ばしてOK)

ゲーム「プロジェクトセカイカラフルステージ feat.初音ミク」とは

・初音ミクを代表とする「ボーカロイド」を使用した楽曲に焦点を当てたリズムゲームである
・また、初音ミクを中心とするボーカロイドたちとゲームオリジナルのキャラクターたちによる物語が展開される「アドベンチャーゲーム」である
・メンバー4人で構成される以下の5つのユニットがある
  ・LeoNeed:幼馴染によるバンドユニット
  ・MOREMORE JUMP!:アイドルユニット
  ・Vivid BAD SQUAD:ストリートユニット
  ・ワンダーランズ×ショウタイム:ショーユニット
  ・25時、ナイトコードで。:ネット上で集まった音楽サークル

朝比奈まふゆとはどんなキャラクターか~自己紹介を起点にこれまでのイベントストーリーを振り返る~

『25時、ナイトコードで。』の作詞担当。母親に『いい子』であることを求められ続け自分を見失っていたが、音楽活動をとおしてサークルを居場所だと認識するようになる。しかしその居場所さえ奪われそうになり、ついに限界を感じ家を飛び出して奏に助けを求めた。

https://pjsekai.sega.jp/character/unite05/mafuyu/index.html?year=now

これはゲーム公式サイトにあるキャラクター紹介です。先日ゲームが3周年を迎え、この紹介文がこれまでのイベントストーリーの知識を前提としたものに変わったので、少しずつ補足を入れます。

母親に『いい子』であることを求められ続け自分を見失っていた

https://pjsekai.sega.jp/character/unite05/mafuyu/index.html?year=now

イベント以前のユニットストーリーにおいて詳細な説明があります。朝比奈まふゆ自身は幼いころに母親に看病された時の記憶から看護師を目指したいと考えていました。その旨を両親に伝えようとしたところ、看護師という言葉を出す前に「まふゆは頭がいいからお医者さんが向いているかもしれないわね。生活も安定するし、安心だわ」というような母親の言葉がかぶさり、父親もそれに同意します。それを聞いてまふゆは医学部受験へ向けた勉強を始めますが、看護師になりたいという本心と親の希望を叶えたいという(これもまた本心である、からこそ)気持ちの齟齬に強くストレスを感じ、食べ物の味を認識できない、感情の表出がうまくできないなどの問題を抱えるようになります。このあたりのストレスマックス状態のまふゆはイベントストーリー「囚われのマリオネット」で確認できます。

音楽活動をとおしてサークルを居場所だと認識するようになる。

https://pjsekai.sega.jp/character/unite05/mafuyu/index.html?year=now

そんな中とあるきっかけで作曲・投稿活動を続けていたKこと「奏(かなで)」と出会い、その後もう二人のメンバー加入を経て「25時、ナイトコードで。」として共に楽曲制作活動を行うようになります。まふゆと奏の出会いはイベントストーリー「いつか、絶望の底から」、動画制作メンバーである暁山瑞樹と東雲絵名についてはイベントストーリー「そしていま、リボンを結んで」にて詳しく紹介されています。

しかしその居場所さえ奪われそうになり、ついに限界を感じ家を飛び出して奏に助けを求めた。

https://pjsekai.sega.jp/character/unite05/mafuyu/index.html?year=now

自分を見失うほどに母親の期待に応え続けたまふゆが「限界を感じ家を飛び出す」というこれまでと正反対の行動を選択できた背景にはユニットメンバーの暁山瑞樹による「どうしても無理だったら、逃げてもいいって、ボクは思うんだ」という言葉が大きな後押しとして存在しています。これはイベントストーリー「ボクたちの生存逃走」でのセリフです。

実際母親へ自分の想いを伝えられたはいいものの、自分の意見は一切理解されないと絶望したとき、まふゆの頭をよぎるのは瑞樹のこの言葉でした。

「しかしその居場所さえ奪われそうになり」というのは具体的に
・まふゆが楽曲制作に使用しているシンセサイザーを母親が許可なく、むしろそれが娘のためであるという言葉とともに捨てる(一度は阻止するものの、二度目はまふゆの同意の上処分する)
・まふゆが使用している、まふゆの自室にある個人的なPCを、まふゆがいない間に許可を取らず覗き見る
・そこで得た情報から25時、ナイトコードで。の作曲メンバーである宵崎奏に直接コンタクトを取り、対面で「まふゆとの交流をやめてほしい」と伝える(奏はこれを拒否)
などの行為が描写されています。これらはイベントストーリー「イミシブル・ディスコード」にて詳しく確認できます。

このイベントの楽曲である「ザムザ」も非常に素晴らしい楽曲であり、楽曲「演劇」のその後のまふゆの指針になる要素も含んでいるので、以降でも少し触れるかもしれません。

そんなこんなが重なり、心のよりどころであったサークルでの音楽活動に対する母親からの制限に限界を感じ、家を飛び出すのがイベントストーリー「仮面の私にさよならを」。そしてこのイベント楽曲が、今回取り上げる「演劇」です。

サムネイルのシーンが出てくる最終話、これまで母親の期待に応えることを最優先に考えていたまふゆの中で「自分の意志」がそれを上回ったことを母親に伝えるシーンの演技がとても、とてもよいのでぜひ見てほしい。というか紹介したストーリーは時間のある時にでもゆっくり全部見てほしい。

瑞樹と絵名はまふゆとは異なる問題を抱えているためあまり紹介できていないのが申し訳ないです。

「演劇」とはどんな楽曲か

基本情報

作詞作曲はナノウさん。11年前の「ハロ/ハワユ」が代表曲……なんだと思います。これまであまりボカロ文化に触れてこなかったので間違っていたら訂正をいただきたいです。

もとは初音ミクによる歌唱楽曲で、

現在ゲームサイズにて25時、ナイトコードで。のメンバーに巡音ルカを加えた5名が歌うバージョンが公開されています。フルサイズではない点に注意。

ゲームサイズ部分の歌詞を見ていく

一気に載せようと思ったんですけど、長いので段落ごとに見ていきます。まず歌い出し。

或る時誰かが言いました
みんな役割があるんだと
足りないものを分かち合って
補い合って生きていると
それなら私の空白は
誰かが埋めてくれる筈で
聞こえますか 
その誰かさん

https://youtu.be/gJqsFNNCIX0?si=oGb7FRk91dbipvSv

メンバーのうち誰がどの部分を歌っているか、いわゆる歌詞割もめちゃくちゃ重要なんだけどそれをやっているとものすごい長さの……いややるか。

或る時誰かが言いました みんな役割があるんだと

https://youtu.be/gJqsFNNCIX0?si=oGb7FRk91dbipvSv

冒頭は奏から。ここを奏が担当しているのは、おそらく自分の役目は曲を作り続けることでたくさんの人間を救うことであるという「自分の役割への認識」がメンバー内でボーカロイドメンバーを除いた場合に一番強いのが彼女である、という理由によるものだと推測します。

足りないものを分かち合って 補い合って生きていると

https://youtu.be/gJqsFNNCIX0?si=oGb7FRk91dbipvSv

これはまふゆに「逃げてもいいってボクは思うんだ」と伝えた瑞樹のパート。25時、ナイトコードで。のメンバーの中では飛びぬけて他者への配慮がうまい(からこそ、悩みが強くなっている部分もあるのですが)瑞樹しか歌えないパート。

それなら私の空白は 誰かが埋めてくれる筈で

https://youtu.be/gJqsFNNCIX0?si=oGb7FRk91dbipvSv

これは絵名。絵名は画家を目指しているものの、「お前は画家にはなれない」と父親から評価されたり、SNSでイラストを載せているアカウントより自撮りを載せるアカウントのほうが好評であることに、つまり他者から評価を得られないことに苦しんでいたキャラクターでした。ある転機をきっかけに成長(と表現されている)し、他者の評価よりも「自分の満足できる絵を描けるか」という方向に苦悩の方向がシフトしています。「自分の空白を自分で埋めるために苦しむ決意」をした絵名に「誰かが埋めてくれる筈で」と歌わせるのは皮肉が効いています。

聞こえますか その誰かさん

https://youtu.be/gJqsFNNCIX0?si=oGb7FRk91dbipvSv

満を持してのまふゆパート。MVを見ると機械的な振り付けとともにまるで感情が含まれていないというか結果は同じなんですけど感情を徹底的に排除した声で歌われているように聞こえます。後半の「その誰かさん」には巡音ルカが加わりますが、こちらは挑発するような振り付け、表情。これまでのまふゆの在り方と、その母親両方を馬鹿にするような感情あふれる部分をボーカロイドに歌わせるのは秀逸です。

これ以降は歌詞割よりも「この曲はまふゆの曲である」という前提を重視するのが適切かなと思いますので、誰がどのパートを歌っているかについての詳細な説明は省いていきます。では次の段落。

誰かが誰かに言いました
君の役割はこうだって
「これは愛故の言葉だ」と
「皆そうやって生きてる」と
喜ぶ顔が嬉しくって
必死で役を演じました
呼吸さえも忘れるほど

https://youtu.be/gJqsFNNCIX0?si=DZ4LwBef1P3gVs-8

前半二行は繰り返し。そのあとを見ます。

「これは愛故の言葉だ」と 「皆そうやって生きてる」と

https://youtu.be/gJqsFNNCIX0?si=DZ4LwBef1P3gVs-8

これはまふゆの母親からまふゆに対する抑圧を歌詞にしたものですね。精神的な暴力、いわゆるDV(のいくつかある種類のうちのひとつ)は様々な関係の中で発生しますが、親が支配者、子供が被支配者となったときに特に強く縛りを与えます。子供の周囲にはたくさんの大人がいますが、時間、生活の世話、金銭面の援助、多くの部分を、子供は親に頼らざるを得ないからです。

親子関係に限らず日常的な支配-被支配の関係の中で頻繁に使われる言葉の一つに「あなたのためを思って厳しくしている」というものがあります。私自身の実体験でもありますが「あなたのため」という言葉は本当に効果的です。なぜなら「私のことを思ってくれているにも関わらずそれに反抗するなら、悪いのは私である」という認識を植え付けられる確率が格段に上がるから。ここで「いやそんなの知らんがな」と反発できればダメージを受け流すことができますが、それができないからこそ朝比奈まふゆというキャラクターと彼女にまつわる物語が生まれることになります。

喜ぶ顔が嬉しくって 必死で役を演じました 呼吸さえも忘れるほど

https://youtu.be/gJqsFNNCIX0?si=DZ4LwBef1P3gVs-8

これはまふゆの幼少期、自分を看病してくれた母親に関するエピソードからの歌詞であると考えられます。子供にとって、他人が、ましてや親が喜ぶなんてそりゃ嬉しいし、そんな様子をもっと見たいと感じ、行動するのは基本的に当然のこと。「必死で役を演じる」はめになったのは、おそらく看護師になりたいという思いを伝えられず葛藤し始めた中学三年生以降の行動や味覚の消失、無気力さにまみれて以降のことで、きっとそれ以前は問題なく生活できていたのでしょう。生きるために必要不可欠で本来意識せずともできる「呼吸を忘れるほど」とあるので、相当に苦しかったのだと読み取ることができます。

では展開が変わる次のパート。

路地裏のごみ置き場
雑に捨てられたランドセル
笑う時すら周りを気にする癖は
いつからだったっけ
もしも願いがただひとつだけ
叶うならば終わらせたいんだ
この ふざけた演劇を

https://youtu.be/gJqsFNNCIX0?si=DZ4LwBef1P3gVs-8

どうも自分がやってきたことは「ふざけた演劇」だったらしいとまふゆが気づくパート。まふゆをめぐるエピソードにランドセルが出てきた記憶はないのですが、「ゴミ置き場」という単語からは「勝手に捨てられたシンセサイザー」が思い当たります。ストーリー内でまふゆは粗大ゴミに出されそうになっていたシンセサイザーを一度は拾い自室に隠しましたが、残念ながら見つかってしまい、「音楽は大学に入ってからでいいじゃない」「捨てたはずなのに、お母さんに黙ってたの?」という言葉に屈して処分に同意しています。

「母親を喜ばせたい」思いと「自分のやりたいことがやりたい」思いのギャップに耐え切れないこと、これ以上前者の思いに従う行動をし続けることは無理だ、ということで「叶うならば終わらせたいんだ この ふざけた演劇を」と結ばれています。そして次がいったんののまとめであるサビ部分。

間違ったまま 生きてきたんだ
今更首輪を外されたって
一体何処へ行けばいいの
ただ確かな 自分を欲した
その代償がこれですか神様
全部酷過ぎるよ全部
もうういいからさ 早く
終わらせてよ

https://youtu.be/gJqsFNNCIX0?si=DZ4LwBef1P3gVs-8

まずは

間違ったまま 生きてきたんだ

https://youtu.be/gJqsFNNCIX0?si=DZ4LwBef1P3gVs-8

25時、ナイトコードで。の楽曲として一番最初に公開されたのはまふまふ作詞作曲の「悔やむと書いてミライ」。その中に「生まれたこと自体が間違いだったの?」という歌詞がありますので、それに対するアンサーとも取れます。……とてつもなくつらいアンサーですが。ただ完全に「生まれてきたこと自体が間違いだった」とは言っておらず、「これまでの生き方が間違っていた」という答え方をしている点にかすかな希望を感じます。

今更首輪を外されたって 一体何処へ行けばいいの

https://youtu.be/gJqsFNNCIX0?si=DZ4LwBef1P3gVs-8

母親に反抗してみたはいいけれど今までの生き方が「首輪をつけられ、引かれるとおりに歩く」というものだったから今後どうしたらいいのか全く分からん! しかも今度は外してどこ行ってもいいよなんて無責任すぎる! という悲痛な叫びですね。個人的にはまふゆが今後首輪を「外された」ではなく「私が外させた」と認識できるかどうかが今後彼女のカギになるのではないかと思っています。

ここで「この後ちょっと言及するかも」と言っていた楽曲「ザムザ」の歌詞に含まれる

月の真下をうろつきながら考えてた 夜すがら
悪夢にどの指立ててやるべきかってね

https://youtu.be/q90SFMi8aUg?si=Inf8feKZwoupvk5h

あとがきで触れられもしない日々
ここで逃げ出したら 本当にそうなりそうだ

https://youtu.be/q90SFMi8aUg?si=Inf8feKZwoupvk5h

光は1時の方角にある
今は尻尾を引き摺りゆけ
ザザザザ ザムザ
だから「現実はもういい」なんて云うなよザムザ
おーけー?

https://youtu.be/q90SFMi8aUg?si=Inf8feKZwoupvk5h

あたりの、自分を支配しようとする者への強い攻撃性やどんなまともであることを捨ててもなお持ち続ける生への強い欲求がいつかまふゆの今後に強く絡んでくるといいな〜と思っています。「演劇」よりも先に「ザムザ」が公開されていることでこの先の道が示されていることもまた希望であると解釈しています。

このへんでザムザはいったん横において「演劇」に戻ります。

ただ確かな 自分を欲した その代償がこれですか神様 全部酷過ぎるよ全部

https://youtu.be/q90SFMi8aUg?si=Inf8feKZwoupvk5h

これは前文「今更首輪を外されたって 一体何処へ行けばいいの」の迷いや不安といった感情が朧げながらも「怒り」に成長している部分。対象は「神様」という曖昧なものですが、まふゆは初めて「母親の言うことを聞けない自分」ではなく、外側へと怒りの矢印を向けています。

子供時代から様々な種類の暴力や抑圧に囲まれて成長した子供には、重症な場合「複雑性PTSD」などの病名が付くことがあります。まふゆがそれに当てはまるかどうかは保留……というか私が判断できるものではないのですが、ここではこの病気に関する知識を有効な補助線になりうると思い、使用します。それは、このような状態にある人間の中で特に抑え込まれる感情は「怒り」であるといわれていること(参考:白川美也子『赤ずきんと狼のトラウマ・ケア』アスク・ヒューマン・ケア 41頁)。

そんな「怒り」の感情が出現したことはまふゆにとってしんどいかもしれませんが確実な「成長」の第一歩でしょう。3DMVにおいてもこの部分のまふゆは冒頭からは想像できないほど感情的に歌い、振り付けももはやダンスではなくただとにかくつらい感情を吐き出しているような動きになっています。というわけで最後。

もうういいからさ 早く 終わらせてよ

https://youtu.be/q90SFMi8aUg?si=Inf8feKZwoupvk5h

ここでは「悔やむと書いてミライ」のサビの歌詞「死にたい消えたい以上ない」と同じ結論に至っています。まふゆとしては精いっぱいの勇気を振り絞って主張してみたけれど結果は散々、もうどうしたらよいかわからない、全部終わりにしたい、といった心境でしょうか。


いったんまとめ

さて、「イベント楽曲「演劇」ゲームサイズから朝比奈まふゆのこれまでを振り返る。」というタイトルでやってきましたのでこの記事はここでお開きです。

本当は「演劇」後半部分についても考えたいしここに「これからまふゆはどうするのか」がギュギュっと詰まってるんです! 
実際に歌詞は公開されているんですけれども、せっかくならまふゆたちの歌う「演劇」フルバージョンを聞いてからにしようかなあと思っています。

ここに書いたことは「これが正解でしょ!」ということではなくて、あくまでレレ個人はこう解釈したよ、という内容です。もしここまで読んでくださって、コメント書いてやってもいいかなという方がいらっしゃったら、皆さんの解釈や「こんなところ見落としてるよ!」といった指摘をいただけたらとてもうれしいです。

あとイベントストーリーの内容と解説内容がちゃんとリンクしているか心配なので、もちろん自分でも確認はしましたが! もし間違いがあったら修正したいので教えてくださるとうれしいです。

それじゃあまた。

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