悪魔と握手をした話

わたしが中学生のころ、学校に熱血教師がいた。A先生としよう。
本人や周囲がA先生のことを熱血教師だと考えていたかはわからずわたしの思い込みかもしれないが、とても熱心な指導をしていた。

わたしが中学生のころ「夜回り先生」という人がメディアで称賛されていた。その人は夜の街をパトロールし、薬物依存の青少年や非行生徒、引きこもり、問題のある生徒などを立ち直らせたり指導したりする活動をしていた。
両親はそのような人が著す書籍に影響されやすいので、買ってきた夜回り先生の本を読むことをすすめられた。『世の中には立派な人がいるもんだな』と素朴に感じたが、わたしの世代は引きこもり問題が当たり前になる最後の世代だったかもしれない。

なぜここでその名を出したかというと、くだんのA先生はその「夜回り先生」にそっくりのファッションをしていたからである。リスペクトなのか無意識なのかは知らないが、とにかくメガネにトロツキーのようなひげといった外見であった。

A先生は、おそらく人間的な魅力があり、数回結婚を経験している。また慕う生徒もそれなりにいたのではないかと思う。学校の関係者しか入れないレストランでデートをしていた姿が目撃されているが、そのような要領のいい人物であった。

さて、A先生の指導は熱心であった。提出する予定のプリントを忘れると自宅がどれほど遠かろうが取りに行かされていたし、居眠り常習犯のわたしはよく職員室に呼び出され叱責されていた。
当時のわたしは身長が低く小太りで、オドオドしていて、勉強もスポーツもできなかったので、よく殴られたりいじめられたりしていた。
殴られた後にA先生に呼び止められて叱責を受け、そのあと同級生に殴られたりしていると、「なぜ自分だけ叱られているのだろうか」と感じることがあった。

部活動の際脱いだ制服を教室に置きっぱなしにしたり、机に教科書を入れたまま帰宅(いわゆる「置き勉」をするとそれらは没収され、職員室のA先生のところにいかないと返却されなかった。
また頻繁に家に電話がかかってきて両親に報告が行き、両親も「熱心な先生ね」と好感を持っていたようだった。わたしはA先生から電話がかかってくるとかならずその後に怒られるので電話の音に恐怖していた。

不思議なことに、教師というのは学校で起こることをほぼすべて把握している。生徒同士がどのような人間関係であるとか、何が得意だとか、誰が殴られて誰がいじめられたかなどを把握している。

しかしさらに不思議なのは、殴ったりいじめたりすることはあまり指導が入らないのに、居眠りや忘れ物は絶対に指導が入ることである。またゲーム機や携帯電話などには教師全員が目を光らせていた。
教師も人間であるので指導しやすい生徒と指導しにくい生徒がいる。やはり親が面倒な生徒は指導しにくい。暴力沙汰やいじめに関しても生徒自身が相談したほうが動きやすい、らしい。
わたしは身長が低く小太りで、オドオドしていて、勉強もスポーツもできず居眠り忘れ物の常習犯であり、かつ親が面倒でないので好かれにくいが指導しやすい生徒であったと思う。

居眠り忘れ物の常習犯のわたしは毎日のように職員室に呼び出され、長いと19時くらいまで帰してもらえなかったのを覚えている。
A先生はそのように生徒指導に熱心で、他に何人か目をつけている生徒がいたようだった。それらの生徒も頻繁に呼び出されて叱責されていた。上級生に上がったわたしはほとんどA先生の指導を受けることは無くなったが、A先生のクラスにいた生徒が頻繁に呼び出されて叱責されていたのを覚えている。

とくに一人の生徒(Bとしよう)に目をつけていたが、Bは私が一年生の時にほぼ親しくしてくれた気心の優しい数少ない生徒のひとりであった。そういえば一度一緒に後楽園ゆうえんちに遊びに行ったが、小心者の私は頑としてジェットコースターに乗らず、当時流行っていた少女漫画のポップアップストアに行った事だけ覚えている。わたしのような人間は確実につるんでいて面白くない相手だが、そのような相手とも遊びに行けるくらい心の広い人物だったわけである。

さて、くだんのA先生はBに目をかけることに決めたようで、三年生くらいのときはほぼ毎日職員室に呼んでは𠮟りつけていた。職員室に行くたびにBが叱責されているのを見た。来る日も来る日も叱責されていた。
よくもそんなに𠮟りつけるネタがあるものだとも思うが、私もBもあまり優秀ではなく粗が多かったので怒ることには事欠かなかったのだろう。まさに熱血指導であった。

Bとはその後疎遠になったが、数度見かけた事があった。まったく変わってしまったようだった。恰好が派手になり、わたしがあまり得意でない集団(つまり良心を咎めずに相手をいじめたり殴ったりすることのできる、派手な髪形で制服を着崩した人気者たちのことである)と過ごしていた。言動もだんだんと下品になっていったような気がする。
Bもわたしも高校に進学したが、Bはいつの間にかいなくなってしまった。どうやら勉強に対する気力を全く失ってしまったらしかった。その後の行方はよく知らない。

私はこのような結果は率直に言ってA先生の指導にあったと思っているのだが、それはB本人しか知らないことだろう。

話は戻るが、卒業式の時、A先生に好感を持っていた両親は「あんな素晴らしい先生はいないよ。ぜひ握手してもらいなさい」と促してきた。私も卒業式で気分が高揚していたので、A先生と握手して指導に対する礼を述べた。
人と握手をするたびにその時のことを思い出し、いまでも後悔している。

ルカの福音書 24章39節
わたしの手や足を見なさい。まさしくわたしだ。触ってよく見なさい。亡霊には肉も骨もないが、あなたがたに見えるとおり、わたしにはそれがある。

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