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万津人0002:大瀬映子 

最初は天井も無かった……朝市で40年。

うちは、くだもんと野菜と。青果卸小売り。ケースで買わすごた人は卸で。あと小売りも。仕入れはもう、青果市場。農家からはあんま仕入れん。前は熊本とかに走ってから仕入れよったとですけど、もう不景気になったけん、佐世保青果一色。うん。

万津の朝市には、結婚してから。私が今69歳。で、22歳の時から。それまでは、うん、私の主人のお母さん、お姑さんたいね。主人のお母さんが40年くらいしよらしたと。その後ば引き継いで、自分たちが今して、子どもが、長男が40いくつけんが、自分たちは40何年間してます。だから(大瀬青果の)創業は85年。うんそうたい。おばあちゃん(お姑さん)が40年、それから私たちが引き継いでから40年ぐらいしたけんね。うん、そがん感じさ。

万津町の吉田食堂の北っ側の道路と横のマンションのところは、昔、海やったっちゃんね。私が来よった時はそいば埋め立てて、今あがんなっとっとですけど、朝市は、その道べたで、いのうて(担いで)来て、売りよらしたと。もういっぱい、針尾とか西海とかから船で持ってきて、そこで売らしたばってん、そいが邪魔になるとかなんかになっとって、どがんかせんばってことで、あの市会議員か国会議員かなんか知らんけど、宮内雪夫さんっていう方が、ここば世話してくれて。

最初は天井も無かった。私たちが結婚して来た時は、もうあの、各自テントを張って商売しよったと。そがん感じでずっとしよって、で、その後に屋根ばつけ出したですもんね。で、今は9時から駐車場に変わりますけどね。

昔はもう、人がひしめきおうとった。

うん、あのね、コロナ前なんかはね、ぜんざい会なんかがもう、毎年、あのー1月の何日かね と10日かな。もう毎年しよらしたと。ぜんざい会のずっと。すいか、すいか割り大会なんかもさすし、そがんとももうモトムラさんがよう知っとらすとですけど、そがんとが印象に残っとるですね。ずっと恒例で続けてきよったとですけど、うん。「ねぇ、モトムラさんねぇ、ぜんざい会とかすいか割り大会ぐらいが思い出かね」。

モトムラさん「よう喧嘩もしよったとよ」

昨日もね。うち、お父さんなんかも喧嘩ごっついしよらした。桃に、桃に直接触って、こう。何回も触らすから、見とってイライラしてからもう、「触るな」とか言いよらしたもん(笑)。お父さんたち。人の多かったもんね。

モトムラさん

モトムラさん「あのー、それで、場所もみんな決まった場所ばってんが、ついつい箱一つぶん前に出したりすっけんが、『(場所を)空けろ』とかね」

そうそう、もうひしめきおうとったと、ここらへんもね。

モトムラさん「この3倍くらいあった。あ、昔はね、組合で旅行に年2回くらい行きよったとよ」

そうね、全部観光バスでね。もう良か時代やったとよ。ねえ。それこそ飲み食いは花見も行ったし運動会もあったし。もうなんでもあいよったとよね。

モトムラさん「海水浴にも行ったりね。川棚まで」

腕で競う料理屋さんが多かったとばってん。

そらあー、お客さんのいっぱい。やっぱり昔のごとは無理ばってん、コロナのね、早う、終息してからね、飲食店なんかのね、潰れて行きよらすけんですね、コロナのはよ、収束して、飲食店なんかあの活躍してほしかったい。
お客さんの来らっさんとやけん。若者はわからんやろね。あの、今までずっとしよらした人がもう、うん、やめらすとけんが。

もうほら。まあ時代がね。ほらスーパーなんかがさ、おせち料理とか、もうコンパクトになって売り出さすけん、本格的な料理屋さんが負けてしまうとさ。腕なんかで競うとやったとばってん昔はさ、桂むきとかさ、腕で競う料理屋さんが多かったとばってん、今はもうコンパクトで、ほら、冷凍もんとかなんとかでよかごとなってしもうて、もう、料理屋さんが死滅してしまいよとっとたい。時代の流れやろね。

そしてあのー、もう、なんていうかね、少子化。昔はね、子供のためにって言うてね。キャベツ一箱一家族で買うていきよらしたばってん、今もう一つの半分ぐらいしか買わさんけん。そがん状態になっていきよっとよ、そがん状態になってきよった。

佐世保が一番よか、人も、食べもんも。

佐世保の好きなところはもうみんなたい、もう人、うん、人。人よかよ、もう。そして景色もよかし空気も綺麗かし、もう他所にはなかね、こがんところは。佐世保が一番よかと思う。住みやすかったもん、税金は高かばってんね。 佐世保が一番よかよ。ほんとほんと。

あのほら公害はなかやろ、船はよかとばっか見られっけん。ふっとか、外国船なんかも来るけんね、黙っとっても。うん、もう 空気はきれかしさ。ここが一番よか、あの九州いろいろあるばってんかさ。これと言ってね、あのー、でしゃばることは、もう特別でしゃばることって、悪か人っておらんもん、佐世保には。うん、そいけん人のよか。全部。うんうん。

朝市では、人間のふれあい。うん。朝市でお客さんと、あのー、なんて言うと、交わすと。喋ると。直接喋って。うん、で、値切ったりさすけん、まあ、この人はばあちゃんけんかわいそかねと思ってちょっと負けてやるたい。あんまい、こう、かわいそかねって言うごた人には負けてやる。そがん感じ。そがんところがよかたいね、やっぱ話しながらね。

して、うん、ずっと何十年もしとうばってん、あー5年前、あの正月になればこがんして、こらしたばってん、今年はこらさんねって。で、今年また1年に1回こらすごた人もおらすとですよ。そがん人も、うん、そがんこともあるね、そがんとも楽しみね、うん。

人良し、食べ物良し、と佐世保の魅力を語る大瀬さん。朝市には地の美味しいものが揃う。

うちのおすすめ? なんもなかね、なんもなか。毎日毎日ね、張り切ってしよるばってんね、あ、あのね、トマトの小串なんかの出たら小串トマトとかなんかは集中的に売りますね。みかんはよかよ、みかんは。もう西海町とかね。うん、もう佐世保が一番よか、ほんとよかし、食べもんにしてもね。何にしても。うん。

もう、生まれた時から仕事しよったけん。

田舎生まれやんね、うちね。大野の方の田舎の山ん中よ。山ん中で育ったとよ。うんうん。で昔はね、こまか時はね、 学校帰ってきたら水汲み。水道の通っとらんやったけん。下の方から水ばいのうて、あのー、風呂に入れたり、飲み水溜めたり。

うちの母たちとかお父さんたちが土方仕事に行っとるけんが、あのー、畑仕事しながらね 。そいけんがそがん感じで育ってきたけん。して、焚きもんって言うて、山の中に枯れ木のあるとなんかよその山なんかにも取りに行ったりして、風呂の下にくべるとよ。うんうん、そがんとば取りに行ったりするとが、子供ん時は仕事やったとよ。

子供の時から、もう、生まれた時から仕事しよったけん(笑)。ずっとそいけんがそがん感じで育ってきました。兄弟はね5人。5人で残っとっとが2人、3人とも亡くなってしもうたと。そがん感じ。

主人はタクシーの運転手さんばしよらしたと。 そいから、あの、お見合いしてから一緒になったと。もうほら、名前の「映子」ってついとるやろか、誰もかいもほら、恥ずかしうして私も言われんたい。 けん、お見合いやったら、あの、誰かもろうてやらすやろうと思っとったら、親戚の人に言われたけん、すぐ「はい」って(笑)。相手の人よりも先に「はい」って言うて、返事した。もろうてもらいたかっけん。おかしかろ、本当の話よ。

人生で一番嬉しかったこと?なんでそがんとば、答えんばいかんっちゃろか?(笑) 苦しいことばっかいけんね。人生で一番良かったことね。そうね、なんやろね、最近ね、孫が生まれたことね。子供のほら、頭バカばってんかさ、全員ね、バカばってん、ようかせ(加勢)するとよ。 あーそいけんそれが一番よかごとかな、そがん感じ。

6年後の自分? 今、69歳やろ。もうあの息子に譲ってね、うちはね、うん、今キリゴンボなんかばしよるばってん、キリゴンボとか、さといもとか、家でね、ぼちぼちコソコソする、うん、そがん感じ。ここではもう袋詰めぐらい。でっかい夢は、ここにいっぱいお客さんに入ってきてほしかったよ。時代についていききらんねぇ、うちのごた人間は。

おばあちゃんたちは、朝市の柱ごたぁ感じ。

今日は夜中の12時に起きた。ほら年末けんよ。年末けん、特別早かと。普通は2時半くらい。昔はもっと早かった。毎日、ずっと続けてきたとよ。

でも、田中のばあちゃんがよか、豆腐屋さんの田中のばあちゃん。89歳か。ばあちゃんも毎朝、押し車ばあっちから押して来て、かわいそかごとあるとよ。このばあちゃんに、元気にしとってほしかとうちは思うよ。

毎日よ。涙の出るごた。あの、おばあちゃんたちの来らっさんごとなったら、朝市はどかんなるやろね、お客さんもさらに来らっさんごとなるかもわからんね。

やっぱり、お豆腐とかなんとかは要るもんね。あの人たちにおってもらわんば、私たちは栄えきらん、と思うとる。朝市の柱ごたぁ感じ。田中さんたちがね。やっぱり豆腐は毎日いるけんね、やっぱちょこちょこでもね、買いに来らすけんが、そがん感じ。

とにかく私は、一に推す。でも、もう、今年か来年か、辞めらすっちゃなかろうかね、と思うけんがね……。うん、あの人の来らっさんごとなったらおしまいね、と思うよ。朝市がね。


取材・文:岡本 一成(長崎県立大学)
写真:永田 崚(tajuramozoph)
編集:はしもとゆうき(kumam)

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