マガジンのカバー画像

万津人 YOROZU ZINE

8
街は人の声に満ちている。 この街で生まれた人。この街を旅立った人。 ある時この街にやって来て暮らしはじめた人。 この街と共に生きる人。通り過ぎる人。 佐世保市の玄関口、万津6…
運営しているクリエイター

記事一覧

万津人0001:本田将治

ここで生まれて、ここで育って、今も住んでいる。 生い立ちって言うのは、どんな言えばいいんですかね。ちょっと待ってくださいね。生い立ちなんて言えるほどの……。これ、私が結婚したときにパンフレット作ったんですよ。私のいとこが書いてくれたんですけどね。古いなぁ、わたし33で結婚したんで、ここに経歴はあります。 ここは昔1番地、今は1の2ですけどね、前は万津町1番地だったんです。ここで生まれて、ここで育って、今も住んでいる……まあ、非常に幸運なケースですよね。この辺は、空襲で焼け

万津人0002:大瀬映子 

最初は天井も無かった……朝市で40年。 うちは、くだもんと野菜と。青果卸小売り。ケースで買わすごた人は卸で。あと小売りも。仕入れはもう、青果市場。農家からはあんま仕入れん。前は熊本とかに走ってから仕入れよったとですけど、もう不景気になったけん、佐世保青果一色。うん。 万津の朝市には、結婚してから。私が今69歳。で、22歳の時から。それまでは、うん、私の主人のお母さん、お姑さんたいね。主人のお母さんが40年くらいしよらしたと。その後ば引き継いで、自分たちが今して、子どもが、

万津人0003:宮崎美穂/川津麻美子

うちはもうこれだけ、生のすり身か天ぷら。 宮崎美穂さん(以下:宮 / 写真左) 〈三喜屋(喜は旧字の㐂)〉は元々父の店で、今も父がしてて、私たち姉妹は手伝いでやってるんですけど。昭和50年くらいからですね。朝市から買いに来られる業者さんもいらっしゃいます。うちは生のすり身、生の魚にこだわってて、ですね。基本はエソを中心にして、あとはもう、その時期に捕れた魚を混ぜて作ってます。これが商品ですね。で、それを丸天にして、ちょっと甘くして揚げたのが、この「天ぷら」になります。 川

万津人0004:木原直人

庶民の足として、船が欠かせなかった時代。 〈西海沿岸商船〉の取締役をしてます、木原です。僕の半生? 幼稚園行って、戸尾小学校行って、旭中学校、佐世保西高行って、大学行ってね。東海大学の、船舶工学科ってとこ。それで帰ってきてから、家の商売を継いだって感じ。だから、ここら辺の移り変わりは結構見てるよね。兄弟は4人兄弟で、僕は3番目。歳はもう56……いや、65やった(笑)。 この会社は、はじめは〈木原海運〉だったの。でも、いろんな競合している航路があって、それを整理するためにそ

万津人0006:有吉多恵子

大きいお線香みたいにね、大砲の弾を束ねるの。 有吉多恵子と申します。昭和3年生まれです。私生まれたのはね、駅の前で、旅館してましたもんね、実家が。そこで生まれましたんですよ。今ビルみたいになってるその隣、おじいちゃんの時代からそこで旅館してまして、そこで生まれました。そいでもう、まだね、交通が頻繁に無かったからね、よく子どもたちで集まって「あのトラックがいったら、あそこまで、駅まで競争しよう」ってね、学校に行く前は、よくそういうような遊びとかなんとかしてましたよ。 戦時中

万津人0007:川村吉保

万津町、昔ながらのたばこ屋さん。 昭和24年生まれ。名前は、川村吉保。吉と書いて、ヤスは、佐世保の保。俺は万津の人じゃなかけん。生まれたのは駅の上やね。白南風小学校、山澄中と。それで(佐世保)工業に行って、〈ダイキン〉に入った。 ここのたばこ屋はね、昔、佐世保港湾運輸っていうのがあってね。その佐世保港湾運輸の初代社長が、親父やったんすよ。で、戦時中、戦後間もない頃にね、佐世保の入り口のところで、塩を載せた船を転覆させたとよ。そういう事故があった。その頃の塩は専売品で、非常

万津人0008:兼松卓也

工場の仕事を辞め、アパレルの道へ。 兼松卓也です。1983年生まれですね。生い立ち……高校からでいいですかね。地元がずっとこっちで、小中高ずっとこっちで、高校卒業して、まぁ高校が工業高校だったから、そのまま何もわからず就職活動して、その流れで普通の工場に勤務して。 そこが三交代制の工場で、6年くらい働いてて、まったく喋らない仕事。もう、目しか明いてない、マスクして、黙々とする作業工程で、もうずっとこのままなのかと、どうなるんだろうと思って、将来とか。楽しくないし、もちろん

万津人0010:中尾大樹

現在の活動について 万津では2019年に、一般社団法人REPORT SASEBO(リポートサセボ)という、いわゆる非営利の、まちづくりのための法人を立ててるんですけど、基本的にはその活動がメインですね。僕が万津でやってることっていうのは、全部その活動の一環ですよ、と。 ひとつは、7年前位からやっている、このカフェ。〈RE PORT(リポート)〉という名前のお店で。佐世保をどうリポートしていくかとか、港を、どう「Re」していくかみたいなことを思って立ち上げました。 それと