キャプチャ

ZICOの職人的快感

K-POPを聞き出す前、歌謡曲やJ-POP未満の日本のポップ音楽を聴いていた時期があったのですが、最近それが再燃して、色々とCDを買ったりしています。故大瀧詠一の再発とか、筒美京平のBOXセットの新装版とか、藤村美樹(元キャンディーズ)のソロとか…。

K-POPにハマった理由はいろいろとありますが、上記のような歌謡曲を聴くという流れで、パフォーマーと作家の分離をはじめとする、産業音楽的なものの面白さに心惹かれるようになってきた、という点があります。

若いころは、音楽というのは自作自演がいわば「正義」であり、それ以外は偽物、というクリシェのような「歌謡曲批判」を当たり前のように考えていたのですが、いろいろと音楽を聴くにつれて、はたしてそうなのか?と疑問に感じるようになり、子どものころになんとなく耳や目にしていたアイドル歌謡の面白さに気づいていった、というわけです(ちょうどYoutubeで懐かしの映像をざくざくと見ることができた、という状況も後押ししてくれました)。

そしてK-POP。SMが推進してきたコライト(co-write)システム、旧来の「作曲」というより「トラックメイク」という感覚をアイドル歌謡に取り入れ、業界を盛り上げたSweetune、勇敢な兄弟、シンサドンの虎といった楽曲提供集団の活躍は、多いに私を興奮させてくれました。

近年、これに対して、おもに男性アイドルから自作自演の流れが、拡大し、多いに注目を集めています。正直言うと、こうした流れは私にとってとても残念なことでした。

その中で、がぜん「すごい!」と思わされる事が多いのがZICOです。

なんといっても最近出たこの2曲のふり幅…


私の「作曲家萌え」(なんてものがあるのかわかりませんが…)の一つに、「その人が歌うことが想定できないような曲を作る」という点がありますが、まさにセジョンの曲などはそれに当てはまります。どんなにいい曲と思っても、「ああ、○○(=作り手)が歌ってるのが想像できるな」となると少し萎えてしまうのですが、この曲については容易にZICOを想像できません。

このほか、一連のソロ作と、その後のBlock.Bの曲の違いにも「お~」と膝を打った記憶も新しいです。

これらのソロに対して…



それぞれ曲調が異なるものの、ソロとグループでのソングライティングを分けているのは間違いなく「クールネス」の感覚の有無。

ソロ作ではオシャレな曲にせよ激しいラップ曲にせよ、ブラックミュージックの「美学」ともいうべき、「醒めた」感覚に満ちています。これに対して、グループ曲では、ある気持ちに「浸る」、あるいは「忘我」の感覚が全面に出ています。ZICOが、ロックスター的にメンバーたちを演出しようと工夫している様子がうかがえます。

このように、「自分が表現したいこと」以上に(といっていいかわかりませんが)、裏方として的確に曲を提供する手腕は、まさに「プロの作曲家」的な「萌え」を感じさせるもの。数多いる「自作自演ドル」の中でも、突出した存在だと、あらためて感じているところです。

もちろん、その人の表現したいものがわかる、のは別に悪いことではないのですが、それは「作曲職人」的な美学とは別物だと思います。ZICOもまたそうした「アーティスト」的な存在でもあるのですが、そこにとどまらないプロの「作曲職人」的な腕を見せてくれるところに、なんともいえず痺れてしまうのです。

あ~うらやましい!(ソルヒョンと付き合えて)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?