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K-POP史

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韓国ないしは朝鮮半島のポピュラー音楽の歴史的な展開について知ったこと知りたいことをメモしていきます。
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2016年2月の記事一覧

[추억의 가요] 고복수 - 타향살이(1934)

孫牧人作曲、高福寿歌による「他郷暮らし」。「伝統の節と同じ三拍子のこの歌は、戦前・戦後の在日韓国人・朝鮮人の胸もうち、また五〇年代前半の朝鮮戦争のとき離散家族問題が深刻になったときも愛唱され、歌詞に埋め込まれている「失郷民」の姿は、在外韓民族に共通する望郷の姿であった」貴志俊彦『東アジア流行歌アワー』109頁より。

이난영 - 목포의 눈물 (1934. Jukamusics & Original Version)

孫牧人作曲「木浦の涙」。これを歌っている李蘭影は、日本にわたり36年に岡蘭子の日本名で日本語翻訳版「別れの舟唄」としてテイチクで録音している。貴志俊彦『東アジア流行歌アワー』より。

이난영, 다방의 푸른꿈 (1939)

李蘭影「茶房の青い夢」。日帝時代、朝鮮半島のジャズソング。金梅松作曲。

노란샤쓰 입은 사나이 - 한명숙

孫夕友作曲、韓明淑歌唱「黄色いシャツの男」。朝鮮戦争後、米軍の慰問ショーの制度化によって磨かれたアメリカ音楽(初期は主にスウィングジャズ)の演奏、作編曲技術が、大衆歌謡として結実した曲とされる。貴志俊彦『東アジア流行歌アワー』、申鉉準『韓国ポップのアルケオロジー』。

이미자 - 동백 아가씨 오리지날 원판

1964年発表。李美子の「椿娘」。100万枚を売るヒットを記録するが66年に「倭色歌謡」として発禁処分に。朴正煕政権下のこと。

The Kim Sisters

金梅松と李蘭影の娘キム・シスターズの米国での超絶パフォーマンス。韓国初のガールズグループとも。