私が『えんとつ町のプペル』を子どもに読ませたくないと思う理由

今年(2020年)の冬には映画公開されるそうで。

おめでとうございます。


私がにしのあきひろ(西野亮廣)さんの作品『えんとつ町のプペル』をタダであっても子どもに読ませたくない、見せたくない理由を書きます。


まず、最初から脱線して、私が西野さんのぶみさんの絵本が苦手な理由を…

《にしのあきひろ(西野亮廣)氏》

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《のぶみ氏》

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絵本作家ののぶみさんと西野さんは似た者同士と思っています。インタビューを読む限り、ご自分の商品が売れる為に物凄く努力されてる方だと感じています。職業として選択してるからには、売る努力はしなきゃならないだろうとは思います。

ですが、「この文言を書けば、母親は泣くだろう」「きれいな星空の絵を描けば、人は感動するだろう」という売れる為の目論見は一部の読者には透けて見えてると思うんです。泣きたくて手に取る人はいるでしょうが、安く見積もられたもんだなと私は興醒めしてしまいます。


『えんとつ町のプペル』主人公ルビッチはワンピースのサボ(幼少期)のパクリ、えんとつ町はサボの出身地・ゴア王国のパクリと言う書き込みを見て、私は調べて驚きました…

《漫画『ワンピース』 サボ(幼少期)》

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《ゴア王国》と《ルフィ、エース、サボが登場するゴア王国内のゴミ山(グレイ・ターミナル)》

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絵本は子ども用であっても、志から来る深い気づき、痛みから来る思いやりなど作者ごとに伝えたいテーマを持ってたりします。それが西野さんとのぶみさんに関しては、濁ったものがちょいちょい混じってるなと感じてしまうのです。

西野さんからは自分を認めてくれない世間への恨みのぶみさんからは自分を認めてくれない誰か(親御さんかな?)への憤りがあるようでならないのです。

絵本を描き、売る。その過程が彼らの心の傷を癒そうとするカウンセリングタイムのような。彼らにとって絵本の売上冊数は儲ける為だけじゃなく、自分の心を傷つけた誰かに向かって「ざまあみろ!!」と言う復讐の手段でもある気がするのです。だから、売れることにこだわってるんじゃないかなと。


私は人と共依存関係を結びがちな、依存傾向にある人間ですので、心に傷を負ったダメンズと出会うと「何か手助けできませんか」という奉仕の心が湧いてしまいます。しかし、それで悲しい想いもたくさん重ねてきたので、いつまでも繰り返すワケにはいかないのです。

「アンタの心の復讐劇に読者を巻き込むんじゃないわー!!!!」

伸びる腕でドーン!!!!✊✊✊

と、視界に入らないように追いやって生きてきました。


そして、本題の『えんとつ町のプペル』を子どもに読ませたくない理由へ入っていきます。

私は『アンパンマン』の作者・やなせたかしさんを尊敬しています。

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やなせさんは戦争を経験されてることもあり、「正義」とはひもじい人に一切れのパンを与える行為のことだと仰っています。
バイキンは食品の敵ではあるけれど、アンパンをつくるパンだって菌がないとつくれない。パンとバイキンは、敵だけれど味方、味方だけど敵という共生関係にある。だから、バイキンを絶滅させようとはしない、とも。

アニメ『アンパンマン』を見ると、バイキンマンが誰かを困らせたり、アンパンマンを攻撃してこない限りは、アンパンマンも攻撃していないのです。


でも、西野さんは容易く、絵本の中で主人公(ルビッチ)は善で、町の人々は悪と塗り分けちゃうんです。町の人たちはもんのすごく悪い顔をしています(笑)

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『えんとつ町のプペル』はイジメを受けた人、同調圧力に苦しんだ事がある人、他者へ献身的に尽くしたが拒絶された事がある人には響く何かがあると思います。

ですが、産まれて数年しか経っていない無垢な子どもにこの独りよがりな「善悪」や「正義感」を持たせたくないと私は思うわけなんです。


時代の変化、私と同じように思う親御さんらの傾向を把握してか、最近の戦隊モノや魔法少女モノも「正義」についてよく苦悩しています。大人気の『鬼滅の刃』は鬼を退治せねばならぬ主人公の苦悩だけじゃなく、鬼になった者の人生もよく描かれています。


時代混沌としています。

新型コロナウイルスが蔓延したことで、白か黒か、善か悪かと二項対立の図式で世界を単純に表現することが一層難しくなくなりました。

感染予防をする為なら、国民は外出することなく、蔓延しているウイルス保持者が完全に治るまで待てば、封じ込めはできるはずです。しかし、ウイルス保持者が誰かを全国一斉に見分ける術はなく、働く、学ぶ等の行為が制限され続けば、いずれ人は経済的、肉体的、精神的に死んでしまいます。

感染予防か経済を回すか

大切なのは、人命かお金を稼ぐ機会か

救うのは、老人か若者か

マスクをするかしないか

ワクチン接種をするかしないか

多くのことが「正しい」「間違いだ」と単純に振り分けることが難しくなっています。


こんな混沌とした、難しい時代を生き抜かねばならぬ子どもたちに「同調圧力はやめましょう」「イジメをするあいつらは悪い奴です」といった、前時代的な教えを絵本を通して施すのは果たして良い事なのだろうかと思うわけです。

町の人がゴミ人間プペルを臭いと言った理由はあるわけですし、無謀・不衛生な人がいることで誰かが感染症にかかることもあるわけです。

町の皆で決めたルール(海には魔物がいるので漁に行かない事)をただ破って密漁し続けた父を美化したままで良いのか。その息子が「本当は魔物なんていないし、星だってあるんだ、バカめ」と町の子どもたちと一線を画したままで良いのか。他の解決策はないのかとちょっと立ち止まって考えられる子どもにゆくゆくはなって欲しいんです。(実際にゴミ人間プペルという魔物が誕生してますので、魔物はいないから平気という父の考えが正しかったのかもわからない)

混沌の時代を生き抜くには、一見不快な相手のその言動や行動には理由があるという気づきを子どもに得て欲しいわけです。そして、その理由がわかれば対処法も見つけられるかもしれないことを。

町の皆を納得させたり、法(ルール)を変える努力もせず、「あいつらは何もわかっちゃいないバカ共だ」と斜に構え、平気でルールや約束を破る子では社会で生きていくのに敵ばかり増えてしまいます。


『えんとつ町のプペル』は不快な同調圧力の部分を除いてしまうと、誰がどんな夢を抱いていたのかまったく見えません。

ゴミ人間プペルにはそもそも夢を持つに至るような、明確な意思が存在してるようには見えません。

ルビッチは「父さんが星を見たと言ってる」「星があることを信じてる」「星を見る方法を知っている」とゴミ人間プペルに述べていますが、その為にどんな努力をしているのかはまったく語られていませんし、見えません。

ただただ、映画『天空の城ラピュタ』でパズーが「父さんが龍の巣の向こうにラピュタがあるのを見た」と言って、嘘つきや詐欺師呼ばわりされたことのパクリにしか見えません。(ちなみにパズーは父の設計図を基に羽ばたき機を製作して、ラピュタへ行こうと計画していました。こうやって目標に向かって行動を起こすことを「夢」と言うんじゃないですかね?)

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そして、『えんとつ町のプペル』の主人公ルビッチは、えんとつ町の煙い空の上には「星がある」ということも、落とした銀のペンダントもゴミ人間プペルの無私の奉仕によって見つけることになるわけです。あら、ラッキー✨

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これってまるでルビッチ西野亮廣さんそのものだなと思うわけです。ゴミ人間プペルクラウドファンディングの支援者やオンラインサロンメンバーたち

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「あれが欲しい」「これを見つけたい」と西野さんが口にした願望はゴミ人間の努力で叶えられていきます。

「同類と思われたら嫌だから、あっちへいけ!!」と思うような人たちから支援されて、最初にちょっと優しくしただけであとは放っておいても願いが叶ってるって面白い暗喩だなと感じました。


ということで、『えんとつ町のプペル』という作品は西野亮廣さんファンにはとても興味深い研究対象にはなりますが、子どもにはタダでも見せたくないなと思うに至ったわけです。

おまけですが、「あちこちの売れてるアニメや映画のモチーフを切り貼りして作ったんじゃないの?」と思われるのは、人や町の成り立ちが唐突で、読者が思う「なぜ?」に答えられてないからだと思います。

・なぜ、シルクハットを被り、蝶ネクタイと白シャツを着て掃除夫をしているのか

・なぜ、4000mの崖に囲まれてるのに海があるのか(魚が取れたのか)

・なぜ、父親一人が法を破り、密漁をしていたレベルなのにあそこまで大きな船が打ち捨てられてたのか

・なぜ、ゴミ人間は月日が経過してから、主人公に星を見せたのか

などなど。


業者さんに描いてもらったら感動するだろうなという絵ありきで、繋げただけのシナリオなんじゃないんですかねえ?

果たして、映画版はどのように改善されているのでしょうか?


《カールじいさんの空飛ぶ家》

空飛ぶ船のモチーフ?

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《ナイトメアビフォークリスマス》

ゴミ人間(プペル)のモチーフ?

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