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神様になった日 #03 レビュー

私は神様になった日を見ました。
ようやくこの作品の方向性がわかった気がします。

そしてAngel Beats!からの3作品の中で初めて笑いました。
3話は1,2話より突き抜けていて楽しむことができました。

今回はシナリオの考察とは脱線しますが、
映像作品としてのお笑いを中心に語りたいと思います。
「神になった日 つまらない」と感じた人に刺さるのではと考えています。


それでは#03「天使が堕ちた日」の考察、レビューになります。
ネタバレもありますので、本編を見てない方は、配信サイトなどで視聴してもらえると幸いです。

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①ギャグがスベっている

本作の麻枝さんインタビュー記事を見て驚きました。
ギャグに関しての部分を要約しますと麻枝さん曰く、
「ゲームでは自分の意図した演出で表現できるが、アニメでは演出さんや監督も含めて、いろんな人の手を経てアウトプットされるので、最初に書いた自分のギャグとはどんどん伝わり方が変わってくる」
まさにその通りだと思います。
ただ何度も「スベっている」ということも気になされていました。
それもその通りだと思います。

ただ、アニメや映画を何百本とみてきた一視聴者として言わせていただきたいのは、笑える作品は滅多にないということです。
映像作品で笑わせる…というのはめちゃくちゃ難しいです。
(それもこの後、解説します。)
子供ならいざ知らず、大人の場合ハードルは上がります。

というか映像作品に関して思うのは「笑える=面白い」ではないからです

②笑えないけど面白いギャグとは

わかりやすい例で言うと「けいおん!」でしょうか。
あの作品にもギャグ要素、というのがちりばめられていますが、笑った記憶はありません。でも「スベった」とは1ミリも感じません。
それは彼女たちのボケとツッコミ自体が、僕ら視聴者に向けられたギャグではないことがわかっているからです。
つまるところ、キャラクターが楽しそうに会話している姿をみて、日常を感じているのです。
むぎちゃんが突っ込まれるためにわざと澪の苺を食べるシーンとか笑えるというかむしろ尊いです。面白く、笑えるネタに越したことはないですが、キャラのいつもと違った一面がみられることも楽しい。
映像作品のギャグはそれぐらいがちょうどいいと考えています。
(何気ない日常として消化すること自体がハイレベルだと言えます)

③神様になった日、過去2作のギャグについて

先ほど言っていたように、「スベっている」と感じます。
それは、キャラクターが視聴者に向けて笑いを取りに行っているように見えるからです。
「え?ギャグってそういうもんじゃないの?」と思うかもしれませんが、私ははっきりと否定したいと思います。
これをやってしまうと、作品の世界と私たちの世界の境界線があやふやになってしまいます。本当にギャグ作品なら良いのですが、そうではないのが問題なのです。

例えるならひなちゃんの神話ネタでしょうか。
日本神話の説明をからめて主人公の名前をいじったりとギャグテイストに演出していますが、私は困惑してしまいました。
アニメの世界観にのめりこみたいのに、メタっぽいネタでいきなり現実に引き戻されるような感覚になるのです。
ある程度作品への理解が深まった段階でやると、また見方も変わってくるのですが、1話の序盤でやってしまうとキャラクターが視聴者に雑学を説明しているだけにしか見えないのです。それもなぜかギャグっぽくふざけて。
あのシーンのせいか、ひなちゃんがジョーカー的な立ち回りで、説明するための舞台装置にしか見えてなりません。

 似たような題材でいうとペルソナ4とかでしょうか。
あれはゲームなので何とも言いづらいですが、物語終盤で日本神話について触れます。もしあの説明が開始10分でされると「私こういうこと知ってるんですよ」と知識をひけらかされた気持ちになるでしょう。

ここまで見ると、ただ叩いているように見えてしまいますが、
3話のギャグは一味違って見えました。それについて触れていこうと思います。

③面白かった。ラーメンネタ。

今回初めて笑ったのは「鰹出汁を客の前でドリップする」ところです。なんじゃそりゃと同時に笑いが漏れてしまいました。
・・・もはや私のギャグセンスの問題な気もしますが、ここは面白かったです。ビジュアル的で、二人の掛け合いがひなと主人公以上に上手くいっていた気もします。
ドリップした1滴をフォーリンエンジェル(堕天使)と比喩するという謎すぎるギャグもよいです。まさかのタイトル回収でした。
笑いの類でいうとコントっぽいですが、普通に芸人さんがやりそうなネタだなと感じました。

 というか世界があと24日で終わるのに、ラーメン屋再建に7日かけるって大丈夫なのだろうか。そういったセリフもないが、ひなはどう思っているのだろうか?謎である。そういうギャグならもっとわかりやすくしたほうが良いのでは…。

④映像作品のギャグの難しさ

冒頭でも言ったように映像作品のギャグについて触れようと思います。
(あらかじめいっておくと、ここでいう映像作品はバラエティ番組とかではなく、アニメや映画などの作品にあたります。)

麻枝さんが今まで主戦場としてきたゲームでは、時間のコントロールはプレイヤーにゆだねられます。なのである程度プレイヤーの「間」で楽しめることができるのです。最悪ギャグが寒かったとしても、高速クリックで読み飛ばせます。

映像作品の場合、何が難しいかというと「視聴時間」に制約がうまれてしまうからです。映像作品は飛ばすことが不可能です。見たくないものもまざまざと見せつけられ、終いには恥ずかしさすら感じてくるのです。
 また、それをコントロールする映像独自の表現方法である「カット」自体が作為的だということもあります。
*カットとはカメラが切り替わること。録画ボタンを押して切るまでの映像

その昔、映画が生まれたころの作品というのはノーカット…つまり1カットでしか表現できないと考えられていました。今では想像もできないです。
一番初めの映画は、列車が駅のホームにやってくるだけなのですが、初めて映像作品を見た人たちは逃げ出したといわれてます。それぐらい、映像というものが新鮮だったらしいです。(TVもない時代ですので)
それから数年がたち、「月世界旅行」という作品が生まれます。
作った人が手品師で、複数のシーンを1つの作品に見せるというある種の手品(マジック)が、それが今でも受け継がれる「カット」として使われています。つまるところ、意図がない限りカットしないということが映像作家の基本理念にあるのです。

実は、これが麻枝さんの言う「意図しない演出」になる最大の要素です。逆に言うと脚本というのはカット割りを考えて構成することが大事な仕事だったりするのです。これが小説、ゲームシナリオなどとは大きく違うところです。

「TV番組だってカットしてんじゃん!!」と思うかもしれません。
確かにその通りではありますが、少し意図が違います。
例えば漫才の場合、アップになったり、引きになったりで画面サイズは変わりますが、掛け合いの間を削ったりすることはありません。
少し時間をつまむだけで、笑いはリズムが変わってしまうからです。
これは芸人も、番組制作者もわかっていることだと思います。

 映像作品、アニメに至ってはこのリズムを0からつくらないといけないのです。監督、話数の演出、アニメーター、音響監督、役者、脚本家…それぞれでイメージしているリズムが異なる場合がほとんどだと思います。
アニメの場合はキャラクターの動きのタイミングも考えないといけないので、アニメ界の独特なリズムというのがあったりもします。

 おそらくですが、有名なお笑い芸人のネタをアニメでやったところで笑える作品をつくるのはかなり難しいでしょう。
ビートたけしさんは自分のギャグを映像作品に落とし込むのはたけていると思います。松本人志さんは少し微妙ではありました。

 これを上手くやっているアニメ監督は水島努さんだったりします。
撲殺天使ドクロちゃんとか、イカ娘、ガルパン、SHIROBAKOの監督ですが、おそらく自分のギャグのタイミングをもっていて、それを支配するのが上手いと思います。
本人が監督、音響監督をやっていることが大きいでしょう。純粋に面白いギャグが見たい方はそれらをお勧めします。

最後に

まさかの本編に触れたのが「鰹出汁のドリップ」だけということになってしまいました。すみません。

そして、次回の4話は麻雀回でしょうか?
10年近く麻雀をやっているので楽しみではあります。

それではまた次回。

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