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やめると見えるもの

無宗教と謳いつつも帰依となるものがないと、いたたまれなくなってしまうという日本人の特徴が良くも悪くも浮き彫りになってしまったのかなぁと思う今日。
私は個人的にそんな人の事を一神教と表現していた。
それが悪い訳ではない。
諸外国では考えられない話しだと思うけれど
日本と言う国は八百万の神といわれる多神教のお国柄。しかも商人の世界では七福神と来ているのだから、凄いもんだ。
しかも天皇陛下が立ち入り禁止の神社やお寺があるのいわれている。
文献などを調べてみた訳ではないから、詳しい事までは、私には分からない。
でも日本人は無宗教と謳いつつ無宗教では無い事は確かだと思う。

そんな事を考えつつも、この記事をもって
noteを卒業しようと思います。

私自身、元々サンクコストは追わないと決めているのですが、もう少し言い方を変えると
追いたくなるサンクコストが無くなってしまったと言うニュアンスの方が近いのかもしれない。
私の育って来た背景による影響もあるのかもしれないけれど、周りがここまで頑張ったんだから、もったいないよ。と言われても自分の中に色々な要因が重なって価値が見出せなくなってしまったサンクコストに対して勿体なさが感じられなくなってしまったのだから続けていても致し方ないのです。

私の周りの方々には、続ける事でやめていく人の方が、自ずと増えてくるから自分が勝ち上がれると言う方もいらっしゃるけれど、私に、その感覚は余りない。
気がついたら続いちゃったという位の方が一番、自分にとって丁度いいのだけれど、そうゆう時に限って、横取りされたり、邪魔されたり、没収されたりと言った具合の事が多々起きる。
でも元々、反骨芯もハングリー精神も持ち合わせていない私には、取り返す気が起きない。
どうぞどうぞと譲ってしまう。
一神教を目指している人にとって、私の様なタイプは目の上のタンコブにしかならない事を子供の頃から身にしみているからだろう。
最初の頃は、悲しかったりもしたけれど、
次第に慣れいった。と言うより悲しみ打ちひしがれない様に、1人ででも出来る様な事をする事で悲しく無くなる事を覚えたからである。その分、逆上がりが出来なかった子供時分の頃には、逆上がりが出来る様になったり、ピアニカが引ける様になったりとして行った。

勿論、躍起ならなかった事がない訳ではないけれど、躍起になった時に限って大怪我をしたのも確かだった。

でも大怪我をしたお陰で、見えた事や分かった事もあったのも確かだった。

やめてみると見えてくるものと言う表現自体が、余りにも大雑把なのだと思うけれど、
分かる人には分かる言葉で、煮詰まった時ほど距離を置いて冷静になる時間を取ると表現したらよいのでしょうか。
一旦、手を離してみる事で、一点突破しようとしていた全体像が見てくる様になると表現したら良いのか、状況によって言いようが変わって来てしまう表現なので、一概に決めてとなる様な言葉が出てこない。
そうなると、やめてみると見えてくる。と言う表現の方が端的になるなぁと思ってしまう。

とにかく躍起にならない。

例えがいいかどうかは分からないけれど、
彼女の前で、いい所を見せようと食事に行った先でスタッフさんに横柄な態度をとる彼氏をいいとは決して思わない。
と言うよりも、今すぐにでも付き合いをやめた方がいい相手だと思ってしまう。
でも、それは男性に限った話しでもない様にも思う。
だからと言って、スタッフさんが横柄なのも
頂けないけれど、先輩や上司という立場の方が、お客様の前で部下や後輩に命令できる事が、かっこいいと思っている人も、私は信用しないと決めています。
もしそれが、自分が仕事中でお客様の前で
上司や先輩から横柄に扱われたとしも、会社の規定内でお客様に不備がない様に対応する事にのみ意識を集中して、その場を適切に納める事に注力は注ぐけれど、個人的にその上司や先輩(年齢性別問わず)の方を信用する事はしないと自分で決めている。
だからと言って、イレギュラーや緊急時になった時に、陣頭指揮を取らずにその場からいなくなってしまう上司や先輩も、私は信用しない。
それを、育ててやってるんだと言わんばかりの態度なら尚更、信用しない。と個人的に
決めている。

誰に指図された訳ではないけれど。
自分で決めた事。
誰かに勧められたとしても、やると決めるも
やらないと決めたのも自分だと思っている。

私のモットーは、問い合わせによって対応は変えるけれど、相手によって態度は変えない様にする事。だからと言って苦手なタイプの人がいない訳じゃない。
感情を押さえ込むのが上手くなっただけ。
でも、これを書いた時点で、私とは真反対に
対応の仕方は一切変えないけれど、相手によって態度を変える人が出てくる事は確実な事で、どちらも間違いではなく、でもどちらの人を選ぶかは相手の方次第。

それがどんな結果になろうと、私が自分で決めた事。

代金を頂いているのなら、自分の技術力や能力を、お客様のご依頼にそって提供しなければならないけれど、無料で書いているのだから自己満足の世界でいいのです。

でなければ
私じゃなくていい。
あなたが笑っていてくれるなら。
何てキャッチコピーにする意味がないしね。
と、言う事は、他の人より幸福であってはならないと言う事ね。
自分の方が豊かだと思えれば、幸せを感じられる人がいる限り。

長々とありがとうございました。

〜追伸〜
社会復帰するつもりは今の所
予定しておりません。

プロフィールの看板を下げて置きます。

ライバルは1人でも少ない方がいいですよね。

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