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人間、あきらめが肝心

私のポリシーの中の1つに
表題の言葉があります。
ですが、普段は言葉にして声を出す事を
封印しています。
何故なら、私の周りには事や前提の違いは
あれど諦めないと言い続けている人が多いからです。
別に相手を否定してる訳でもなければ
悪い意味で使っている訳でもなく
何かに取り憑かれてしまったかの様に、良くも悪くも意識が集中し過ぎてしまうと、
視野狭窄に陥ってしまい自分でも軌道修正が出来ななくなり、自ら選択肢を狭めてしまった挙句に良からぬ方向へ進み過ぎない様にする為に人間は諦めが肝心と自分自分に向けている言葉なのです。が…

この言葉をへたに発してしまうと、自分とは異なる考え方を受け入れられる人ばかりとは限らず、反発心から対立関係になってしまったり、自分の人間性までをも否定されてしまったと情緒不安定になる方も多分にいらっしゃるからです。
ディベート中や同性異性を問わず、ジャレあっているとお互いに認識していての会話の最中なまだしも、そうではない話し合いなどの
会話の時は大抵の場合、相手の話しを最後まで聞かず、相手の話しを遮る様にして自分の意見を述べ初めてしまったり、たとえ最近まで相手の話しを聞いたとしても、自分が喋りだすタイミングをまだかまだとばなりに
急ぎ早に「あなたはそう感じた(思う)のですね。」や「その考え方も一理ありますね。」等の大切な一言を省いたり、軽々しく扱ってしまう様なマネをして相手とは違う見解を述べ初めてしまった事による場合も多いかと思います。
直ぐ反論や否定から入る様な会話をする人と
の関係性は長続きしなき事の方が多いと思われます。

前置きが長くなりましたが
ちょっと…?
いやいや…
私にとっては、だいぶ気になる事があったので本題として書いて見たいと思います。

このnoteでの私のプロフィールには
ドーンポリシングを主に取り扱っている
専門コーチです。と表記しておりますが、
ドーンポリシングとは、端的に一言で言ってしまうと論点のすり替えの事を指します。
だだし…
これには条件があり、トーンポリシングの場合、自分では選択出来ない、もしくはどうする事も出来ない現状に対しての論点のすり替えというのが定義なのです。
例えば、出身国や性別、両親の選択、ケガや先天性疾患による身体的機能性などが挙げられます。

問題なのはここからで、
自分で選択できる、もしくは選択した事による論点のすり替え日常的に起きています。
大枠として既成事実にあたるかと思います。
手放しで喜べる事ならまだしも、
受け入れ難い事実を、受け入れざる状況に晒されてしまう場合が多い事も事実かと思います。
既成事実の場合、軽いものから深刻な事まで余りにもシチュエーションが幅広い為、
一概にどれ?とは言い切れない事もありますが、私自身、あまり器の大きな人間でもなければ包容力のある人間でもないので、
自分の意に反してや本人に承諾もないまま、先に既成事実を作られてしまう事に対しては、対人アレルギーを起こしてしまいます。
ギャンブルを否定しませんが、
私自身まったくと言っていいほどギャンブルをしないのでギャンブラーの気持ちは
どうしたって分かりかねますが、
だからと言って一か八かや、ダメもとと言う感覚がない訳ではなく、人に対しては基本
使わない様にしているだけの事であって、
幾度となくやって来て事はあるけれど、
8〜9割までは確証があるのだけれど、今までにみない1〜2割が含まれてい状態の事が含まれている業務作業にあたらなければならない所には、自分の頭の中の引き出しという引き出しから可能性の高い部分的な事を引っ張り出して来て組み合わせて極端になり過ぎない様に少しずつ試してみる事はあります。

でも人は時に、怯んでしまって及び腰になっている自分を奮い立たせる為に腹をくくらなければならない時もあるのも事実です。

少しlightに簡単に表現するならば
見た事を見たまま伝えているのか、
そこに個人的な思惑が入っているのかと言った所ではないでしょうか。

例えば、
3〜4歳の子が、あるアニメのキャラクターと
同じコスチュームを着ていいて、スタッフさんに話しかけに行ったとします。
その子が来ているコスチュームのキャラクターの名前を聞いたつもりだったスタッフさんが、その子に「誰のお洋服、着ているの?」と尋ねると、その子はすかさず
「あたち(私)の!」のちょっと拗ね気味に
答えたら、カワイイ〜!で済む話しですよね。
流石に中学生以上の人がやってしまったとしたら、まだ痛いねで済む話しが、年齢が上がるにつれてスリッパどころか、グーで殴りたくなってくる程かと思います。

少し煮詰まってしまった話になってしまったので元にもどすと、

決して良いとは言えない
既成事実だったとしても、
もし仮に乗り越えなければならかった逆境がその人の中の何かしらの理由になっていたと仮説を立ててみると如何でしょうか。

人は過度なまでのプレッシャーや抑圧を
感じると、自分の精神状態を保とうとするあまり、別方向へのストイックさにハマってしまう事があるものです。
それが良い方向ならいいのですが、
そうとも限らな事の方が多い様に感じます。

トーンポリシングは自分ではどうする事も選択する事も出来ない事に対しての論点のすり替えであり、既成事実は、自分自身で選択できる事に対しての論点のすり替えと言えると思います。


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