見出し画像

阿部くん、30歳だよ。

これはお祝いにすらならない私のクソデカ感情を綴ったやつです。

私の推しである阿部亮平くんが、昨日30歳になった。30年も生きたの?すごい。あんなに可愛らしい仕草と精悍なお顔と謙虚さのある宝物みたいな人が、30年も息をしてる。嬉しい。

2020年夏に一目惚れに近い沼落ちをして、27歳28歳29歳とお誕生日おめでとうと言ってきた。
最近ハマったていでいたのに、もう4度目のおめでとうなの?びっくりした。
27歳の時はケーキと写真を並べて自宅で「オタクってこんな感じだろうか」とお祝いした。
28.29歳はその姿を目の前におめでとうと言えた。
今年は現場が無かったので、行き場を無くした特大感情を抱えて片道150キロメートル先の神社へあべちゃんの幸せをお祈りしに行った。
日頃は生活に追われてるから、遠くに移動する時間を使って思いを馳せたかったのだ。

毎日どこかしらで想ってるのに、よくもまあ飽きないなあと自分でも思う。
公式写真や雑誌を整理しては「ちょっと待って、あべちゃんってかっこいいね知らなかった」と友達に連絡をして「富士山ばりに見る度にありがたがるじゃん」と突っ込まれる。
丸3年で恋心は消えると言う説があるじゃないか。
丸3年以上、毎日見てはありがたいよ。

人は好き過ぎると語彙を失うらしい。
言葉が追いつかないのだという。
私は、文字に起こせないことはストレスにもなる。

こんなに大好きで見たら幸せな気持ちになる人を見て、「可愛い…」しか出ない自分が不甲斐ない。
でも人様に布教したいわけでもなく。
ただただ、自分の心の中にある宝物を子供のように見ては満足して抱えたい。
抱えきれないからこうなってるんだけど。
そもそも共有したくないのだ。
自分の中に生まれた気持ちを自分だけで抱えたいから、それをどうラベリングして形を覚えておこうか。そのために書いてる。
なんか書かないとおかしくなりそうだった。

あべちゃんを通して、己を見つめる作業なのかもしれない。
あべちゃんが優しい子だから、人に優しくありたいと思える。あべちゃんの謙虚さが姿勢を正してくれる。あべちゃん可愛い。
勉強熱心で努力家だから、明日も仕事は面倒だけど行こうと前を向ける。
別にあべちゃんが居なくでも、私は頑張って生きてくことはできる。でもいると楽しい。
クイズ番組も歌番組もラジオとかブログ、あらゆる媒体を通してファンに楽しみをくれる。
しかも顔がかっこいい。すごい。
バカ丸出しみたいな文章になってしまった。

あべちゃん、誕生日おめでとうございました。
アイドルの仕事を選び続けてくれてありがとう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?