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長谷川さん

川沿いの喫茶店
薄いエメラルドグリーンの外観で
二階にハリセンボンの剥製があって
一階にはカウンターと
ゲームが内蔵されたテーブルがある
深い茶色で子どもが好きな匂いではないそこで
母が仕事を終わるのを待つための
お昼ご飯はナイススティックのピーナツクリーム味で
喫茶店を少し過ぎたあたりの小さい商店で一本
買ってもらってから

カランカラン

わたしの一日が始まる

お兄ちゃんのお古のゲームボーイに絵本

なんとなく誰もいない二階で過ごして
気が向いたときに一階へ行く

喫茶店には経営者であるマスターがいるが
他にもお店を出しているため
このお店はわたしの母がほぼ一人で
切り盛りしている感じ、だったと思う


カランカラン


長谷川さんが来た

福耳ですこしたらこ唇で面長で
とても上品なお洋服を着ている
かっこいいおじいちゃん
今、わたしの脳内では
サザエさんに出てくるアナゴさんが登場

小学校に入る前の小さなわたしの記憶は
もうほぼないから
アナゴさんが出てきてしまう

カランカラン


長谷川さんの車に乗る
今日はどこに遊びに連れて行ってくれるのかな
長谷川さんも
どこに遊びに連れて行ってあげようかな
と自分の孫を可愛がるように
わたしとの時間を過ごすことが楽しみなようで

今の時代には考えられない

全くの他人なんだけど
『おじいちゃんと孫』がここに完成


片道1時間ほどのドライブで十和田湖へ

長谷川さんは野草やキノコに詳しいから
駐車場ではない山道のそういうところに停めて
一緒に散策をする

ふくろ型になっていて白い粉を飛ばすようなキノコを見たり
山から流れる小さなさわでカニを探したり
キレイな実をひろってお土産にしたり

場所を少し移して
湖にちょっと足を入れて遊んでみたり
美味しい焼き魚を売店で買って一緒に食べてみたり


長谷川さんにお子さんがいたのか
お孫さんがいたのか
わたしは知らないのだけれど

それはそれは本当の孫のように
わたしを可愛がってくれていたと思う


母方の父であるおじいちゃんはわたしが1歳のときに亡くなっていて
父方の父であるおじいちゃんは
母のことをよく思っていなかったことから
わたしのことを可愛がってくれたことはなくて

だからわたしが思い出すおじいちゃんの思い出は

喫茶店から連れ出してくれて
限られた時間の中で
懸命にエスコートしてくれる
キラキラしたあの特別な時間



この不思議な二人の「特別な時間」は

子連れでも働かなければならない母の境遇を知り
退屈そうに大人しく母を待つわたしに出会い
少しずつわたしのおじいちゃんになっていった長谷川さんが
わたしの母やわたしが不安や恐怖を感じることのないよう
信頼関係を構築してくれたからこその宝物


こんな美しい出来事もあったんだよって
ほんとうにそれだけのお話
今の時代じゃあ考えられないお話
なにかあったら母親が大叩かれするお話
だけど
あの頃の長谷川さんとわたしの母だけにあった
不思議な絆みたいな
わたしにとっては幸せな特別な時間のお話


母が喫茶店勤めを辞め
長谷川さんとの接点は全くなくなった


高校生でバレーボール部に入部したわたしは
近くの公民館での練習を終え
自動販売機で飲み物を買っていた

おじいちゃんおばあちゃんたちが
ゆったりと歩いている
お教室や集まりの後に
やはり飲み物でも買って
お休み所で一服でもするのかな


長谷川さんだ


何年も会っていないのに
わたしはわかった

迷わずに声をかけにいった
こんなに姿が変わってしまった自分のことが
わかるかどうかなんて気にしないで


目を細めて懐かしそうに笑ってくれて

「これでジュースでも買いなさいね」

とぎゅっと一万円札をにぎらせて


それだけの時間だったけど嬉しくて

住所も電話番号も
わたしも母も知らない長谷川さん



今はどこにいるのかな

わたしはもう
長谷川さんと過ごした土地にはいない

わたしの幸せを長谷川さんに伝えるすべはない


だからこそ想うんだろう


思いを馳せるんだろう
届きますようにってこういうことだ


誰とでも繋がれるこの時代なのに


わたしの幸せを長谷川さんに伝えるすべはない


わたしは今幸せに暮らしています

カランカラン









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