ショートショートアンソロジー「犯罪の重」 ネタバレあり感想(その2)

その1

引き続きネタバレを含みます。
「その2」で最後です。

・オメガの棋士(続き)
このショートショートは続きや二次創作が色々と想像できそうだ。オメガという少女はなぜ1手1分きっかりで指すのか、なぜ完全解を思わせる境地に達することができたのか、何を思って表舞台に現れたのか、今後どうしていきたいとかはあるのか、笑ったり泣いたりするのか、好きなタイプとかはあるのか……これがおっさんであればテンションはさほど上がらないが、美少女なので(「美」少女という記述はないが、たぶん美少女である)キャラものとしても想像しがいがある。

ゲームを終わらせる=それに命を賭けた者の存在を否定するみたいな重い話にもなりがちで、現実の将棋界、囲碁界でもそういう流れがきているが、この作品はフィクションの力でそういった空気を払拭しているところもよく、その意味では必然的な美少女ともいえよう。事実を元にした宮内悠介の「人間の王」は完全解と対峙した人間の悲哀や尊厳を感じさせるが、完全解を持つのが美少女とあればそんな哲学的思弁に沈む必要もないというか、よしじゃあおじさんもがんばろうみたいな気分になるんじゃないだろうか。美少女、それもひとつの完全解

・太鼓腹
詐欺師vs詐欺師、この先を広げていけば2時間9分の大作コンゲーム映画ができそうだ。実は○○でしたというオチはいきなりきたら怒るかもしれないが、タイトルを含め随所に伏線を貼っており十分フェアだろう。もちろん作者が誰かを知っていれば実に納得の真相である。

ここでまた作者が交替している。「何かいろいろ仕込んでるんだろ」とは自然に思われるところで、隠れた意味が二重三重にあるのではないかとか、そういったことを考えてしまうのだが、わからなくても十分面白いので血眼になって宝探しする必要は当面なさそうだ。でも絶対何かあると思うので、経験を積んだのちに再読してみたい。というかそれはこのショートショートアンソロジー全体に言えることで、今後も新しい発見が楽しめる一冊になりそうだ。

・くものいと
「おーいでてこーい」の天地逆版ともいえる名作だ。読んだ人全員が面白かったのではないだろうか。どんでん返しに面白さを感じる人も、そういうのはいいけどオカルティックでグロいのが好きだという人も、そういうのはいいけど人間の心の機微や葛藤が好きだという人も、そういうのはいいけど名作オマージュが好きだという人も、そういうのはいいけどダジャレが好きという人も満足できるという点で、優等生感が半端ないと感じた。

「しかし、と彼は思う。」以降の文章の、論理的に絶望してゆく畳み掛けの文章が見事だと思った。神田太(カンダタのもじりだが思慮深い人間だ)に共感できたのは一重に文章と思考のシンクロ感のおかげだろう。合理化の方法としては「食われたけどその行く先は天竺なんだ」というところでどうだろうか。駄目か。

・視肉
ググったが視肉というのは実在する架空の妖怪のようだ。というわけで、本アンソロジー初お目見えの、タイトルに妖怪名を冠したどストレートな妖怪ものということになるだが、これがなんとも忠実にショートショートしていて、他人の土俵で自分の相撲をとる作法のスマートさたるや、と感動した。

この妖怪、この話から「目」を取り除いても話としては十分成り立つとは思うのだが、この目があることで格段に奇妙さ、恐ろしさが増している。そもそもなんで食われる肉に目があるのか。いつか妖怪博士に聞いてみたい。

・現代文試験問題
作者の性格の悪s//作者の性分が端的に露骨に表れた怪作で、ただただ感心してしまった。したたかな読者なら漢字問題くらいは解けたかもしれないが(自分はそれも解けなかった)、問4、そして問5の直球ぶりには騙されたのではないだろうか。問5の設置は本当に狡猾である。くやしいので「身体の部位を含む『本文中の言葉』」というところがちょっとアンフェアなのではないかと言ってみる。だが本文中にその言葉が「ない」とも言えないわけで、つまり、すみませんでした。

・ハルコの父親
ハルコを人間として見ている「父親」は、1225号にもハルコを人間として扱って欲しい、だが事件の解決を重視する1225号はHAL-5をロボットとして扱った方が都合がいい。人間とロボットの境目が曖昧になっている世界では、ある対象をどう認識するかは個々人の価値観によるところが大きく、「私はハルコを人間だと思っていますが、ロボット盗難事件として処理した方が事件解決に都合がよいのであれば別にそう認識していただいて構いませんよ、あなたの中ではね」と考えさっさと1225号に事件を任せた方が迅速な解決になるのだろうが、娘を思うあまり事件解決とは直接関係のないところに拘泥してしまう親心の悲喜劇。非常事態なのに妙に機転のきく冷静な父親だなあ、とも思ってしまうが、彼にとっては娘が助かることと同じくらい、他人にハルコを人間と認識してもらうことが大事だったのだろう。単にショートショートのオチというだけでなく、ロボットものの抱えるテーマに端的に迫っていて、「これはいい。好きです」と思った。

この後、ことあるごとに「『回収』って言うな!『保護』だ!」とか叱責されて「はいはい」とか思いながら訂正する1225号を思うとロボットも大変だなと思えてくる。それとも「抑制ロックが外れたときだけ人間に近接するのであって、あくまで私はロボットですし、HAL-5もロボットですし、やはり盗難事件として扱います」「貴様ー!」という展開なのだろうか。こちらはバッドエンドになりそうだ。

・契約期間
願いの代償もので新作おもしろショートショートを作るのは難しいのではないかと思うが、この作品は見事だ。「賭博の神様」といいこれといい、ショートショートの王道テーマでこうも面白いものを連発されると、この本の制作にあたって何か「星新一・イズ・デッド」みたいなスローガンでも掲げていたのかと疑いたくなる。いやむしろホシイズアライヴだろうか。ところで合同本を制作する際は「かぶり」問題も考慮せねばならないが、話し合ったりしたのだろうか。してなさそうだ。

悪魔に勝利する人間の話で、「契約の穴を突く」という意味では詐欺カテゴリに入ってもよいかもしれない。願いとしては正当で、悪魔も泣き寝入りするしかない。このように、誰かにとって(今回は悪魔にとって)最悪な結末もありえることを鑑みると「法改正」ってすごい切実なことなんじゃないかと思えてくる。この作品でも法改正を扱っているが、政治や法律にあまり関心がなかった自分もこの作品を読んで9条問題とかにがぜん興味が湧いてきた。これは筆が滑って書いた

・スペース・エドッコ
落語とショートショートの相性良すぎでびっくりする。もともと似ているということだろうか。そういえば、落語のサゲの分類(考えオチとか逆さオチとか)がそのままショートショートのオチの分類に転用できそうだ。そうかショートショートって落語だったのか

サゲの地口は宇宙ものという設定にしないと出てこない。ショートショートで宇宙は定番である。この作者は落語が得意である。ということは、この作者にショートショートを書いてとオファーした誰かの功績により、この世に名作落語が誕生した、と言えるのではないだろうか。(言える……)(言えてる……)2人ほど同意してくれた

・芸術的
いやーこれもすごい。これ児童書コーナーとかに置いてある「5分で読めてびっくり結末シリーズ」みたいなのに引っ張りだこになるタイプの作品ではないだろうか。……先ほどから「他の人が読んでも面白いんじゃないか」とか「一般流通商業作品のクオリティなんじゃないか」とか、他人の評価に仮託した物言いになってしまっているが、この作者の今回の作品はどれもそう思わせるメジャー感があった。失礼な話だが正直いままではメジャー感のある作家だとは思っていなかったのでかなり衝撃を受けている。「表現されたものをその人のポテンシャルの全てと思うな」ということか。ゴキブリが1匹いたら100匹いると思えということか。もちろんメジャー感があることが唯一の評価軸ではないし、今後もメジャー感のあるものを書いて欲しいと希望しているわけでもないが、特殊系もメジャー系も操る作者に残りの99匹を期待してもいいだろうか

なんだか作品内容に触れていないが、完璧すぎて言うことがない。弱点があるとすればそこか。とにかく、ショートショートを読むことから得られる満足感としては最大級のものを得ることができた

・驢馬たちの喧騒
クレアの過去、「大音量で動物に関する歌が延々と流されていた」で「これがタイトルの意味か」とわかるが、この時点では本作のラストを読み切ることができなかった。再読してみるとヒント与え過ぎではないかと思うほどだが、筆致のシリアスさからまんまと目眩ましにあっていたのかもしれない。「しるばにあ……」で第一脱力が来る、ここで足を止めて考えていればオチに辿りつけたかもしれないが、もはや引き込まれており読むのをやめることができなくなっているので結局ラストの脱力パイルバンカーを食らってしまった。笑った。

「羊たちの沈黙」のパロディをやろう、という発想だけではこの形にはならないし、ドンキホーテってドンドンドンキーうるさいなだけでも「羊たち〜」とは普通結びつかないだろう。リニアな思考では生まれない、何の思考だろう、「面」の思考だろうか。とにかくすごい。ロバが漢字一文字であれば完璧だったが、二文字であるというところがより「脱力」に加担しているかもしれない。

殺人鬼のプロファイリングは検討はずれだったわけで、この作品ではドンキーな役回りになってしまっている。そういう意味も含まれていたのか、すごい。

・俺の幼馴染がマジでYOUかい?
遊園地が舞台なだけに展開がかなりジェットコースターで、はじめは何が狙いのショートショートなのかがわからない。「狙いがわからなかったら叙述トリックを疑え」という今思いついた格言をしっかり思い出していれば真相に気づけたかもしれないが、これも無垢なままラストまで読み切ってしまった。なんだろう、トリックがあると思い当たらなかったのは、題名のおちゃらけぶりとか文体によってわざとらしい名前を「こういうもの」と自然と受け入れてしまい、それ以上何かがあると考えなくなってしまったからだろう。腑に落ちてしまうと他の可能性については考えもしなくなる人間の性質を巧みに利用した罠である。再読してみると「彼女とはつきあってるの?」とかかなり際どいし、もはや曲芸である。遊園地が舞台なだけに

ところで自分は「ふふふふーふん・ふふ」は良いと思ったが「いついつになになにすること」はあんまり……であった。今まで見ていた世界が一変することによって、ショックを受けるか、「で?」と思うかは、読者に対して毒があるかどうかがけっこう重要なのではないかと思う。プラトニックとか言ってる人って……みたいな、あの毒だ。「俺の幼馴染がマジでYOUかい?」は面白かったが、やっぱりちょっと毒があるような気がする。毒でもないとわざわざ便器にはまらせたりしないのではないか(でも富豪院麗華の正体の方はわりと萌えだと思う)。

只野智は悲しい。主人公のハゲにとっては本当に只野智なのだ。世界が一変しても只野智であることから逃れられなかった。悲しかった。

・完全な密林
Amazonの☆が全部乳首(を隠すアレ)に見える呪いにかかった。

これは(やっと、というべきか)オチを見通すことができた。しかしタイトルの意味がわかっていない。「完全な遊戯」でもないし、「完全な」ってなんだろう。わからなかった。悲しかった

「閃耀のステルラ・トランスウォランス」が登場したりと細部が豊穣で、というか先の作品の感想でも東京ディストピアランドに突っ込まずに終わってしまったし、もはや全部に突っ込むのは疏鈔に任せて随所随所すっ転ばしていくしかない。ちなみに3つのアニメの中では最後のやつが一番観たくなる。不思議だ

・走散汞 
よくわからない生物になっちゃいました、という逸話はいかにも中国小話っぽく信ぴょう性抜群であるが、この詐欺師の創作なのだろうか。……もとは作者の創作であろうが。

ショートショートの作者は読者をウソ話で翻弄する詐欺師みたいなところがあるが、詐欺をテーマに作品を作ると「詐欺内詐欺」みたいなややこしい事態になるので余計メダパニ感がある。さらに本作では作り話の中でも詐欺師が出てくるので「詐欺内詐欺内詐欺」である。犯罪アンソロジーということで「殺人・誘拐・詐欺」という並びを見たとき、はじめは詐欺が犯罪の中では小粒っぽいなと思ったのだが、ショートショートのテーマとしてはこれ以上ないほど向いているのかもしれない。ところで書き手としては3テーマのうちどれがいちばん難産だったのだろうか。人それぞれだろうが、機会があれば来世にでも聞いてみたい。

・孤独のガストロノーム
ドラマ化もされたヒットグルメ漫画のパロディ。「志村けんのだいじょうぶだぁ」とかだったと思うが、こういった設定のコントが定番のように繰り返されていたような気がする。あれ全然違う番組だったか……でもコントだったことは確かだ。周りの人間のおかしい行動を見てびっくりするが、自分の無知がバレないようにマネしようとして……みたいなやつ。駄目だ、具体例がひとつも思い出せない。妄想だろうか

コントじゃないけどひとつ思い出した。ドラマ「お金がない!」で、織田裕二演じる極貧サラリーマンがコース料理を初めて食べたときに、卓上にあるフィンガーボールがなんだかわからず「これは何ですか」と聞くわけにもいかず飲もうとするというシーン。全然違うなこれは。コントじゃないし。

しかし、第一感想はコントであった。この作品をそのまま芸人達がコント化した情景がありありと浮かんだ。店内の様子が詳しく説明されていることも、この作品をコントとして思い浮かべられる要因となっている。演者の顔芸と内語ナレーションもパロ元の通りに想像できた。ついでに、読んでいるあいだ客席の笑いも勝手に再生された。

「へいお待ち」「へいお待ち」「へいお待ち」「へいラーメンお待ち」この違いで気づくのが男の最後のチャンスであった。とはいえ、浴びーメンじゃないですよって言われても、浴びーメンなら浴びていいってことに全然なっていないし(ぬるいだけなのか?)、結局なんなんだこの店は。

・あだ討ち会社
不幸のインフレ、死よりも怖ろしい不幸、は創作でも人気のテーマだろう。なかでも無限に死に続ける「無限ループ系」はキングオブ不幸と言えそうだ。ショートショートでは落差が面白さを生むので、最悪な不幸を思いついたらぜひオチとして使ってみたいところだ。

「あだ討ち会社」での主人公の不幸は自業自得であると思わせるところに、作者の倫理観を感じた。創作とはいえ、超不幸な目に合わせる人物は相当悪い奴にする、ということである。主人公は一貫して強欲、無慈悲、ついでにバカとして書かれており、読者への配慮が行き届いていると思った。

ここから最後の作者に入る。といっても、最初の章の作者と同一人物だ。この「あだ討ち会社」は、最初の章に入っていてもおかしくない王道ショートショートと感じたが、ここから先は、ショートショート脳になった読者を現実の世界へ戻すための解毒剤なのではないか。つまり意図して後半に配置されたのではないかと思える節がある。

・浪曲狼男嘉兵衛
まずは「浪曲狼男嘉兵衛」から。繰り返し何度も読んだのだが、何が起こったショートショートなのかがわからなかった。何か見落としているのか、何か知らない元ネタがあるのか……なんだかわかりそうでわからないというもどかしいところなので状況を整理してみたい。

☆「狼男に変身する」とは比喩で、嘉兵衛は興奮すると我を忘れて狼男のコスプレをして野うさぎを殺して帰って口のまわりに血を塗る病気である。
☆上別府は書いてある通り連続殺人犯で、嘉兵衛の奇病とは関係がない真性の殺人鬼である。彼の「自分ではおさえられない性分」にシンパシーを感じた嘉兵衛はむせび泣いた。

これだと純文学である。いや何か重要なもの、「走散汞」なら「はぐれメタル」にあたるキーワードに気づいていないのではないか。「浪曲」とあるのでその辺がポイントなのか……だれか教えて下さい。それとも、この作品はショートショート破りなのか。

・詐欺師の井戸
これは明らかに「ショートショート破り」である。長さの問題ではなく、状況設定から出発しているもののストーリー運びが自由運動しており、オチに縛られていない感じがしたのだ。

ショートショートでは、話の展開・描写・表現すべてがオチ(or 主要の仕掛け)に奉仕していることが多い。途中がつまらないとか一言で言い表せるとかそういうことではなく、あえて言えば、読後感は大仏である。文章の構成要素全体が一致団結して面白みという大仏を建立してゆく感じだ。このアンソロジーでもそういった作品が多かったのだが、「詐欺師の井戸」はそういったショートショートにはないスペクタクル感、リアルなタイム感があった。いわば動く大仏である。

この作品に出てくるいかにもショートショート的なギミックは「タイムスリップ」である。そこで自然と予想されるのは「タイムスリップしたのに意味がなかった(同じことが繰り返された)」とか「タイムスリップしたと思ったら別にしてなかった」とかの徒労オチや、浦島太郎的な「自分だけ老いてた」みたいな逆転オチであるが、この作品ではまさかのタイムスリップ成功、かどうかわからない未知への大ジャンプである。

登場人物のヒミコがショートショートに殉じることを拒否し、2回目のタイムスリップで「ショートショート世界」から抜け出したように感じた。この井戸は、ショートショート世界からの脱出口を表しているのではないか。

・完全犯罪協議会
「詐欺師の井戸」を通過し、ショートショートの世界から脱出したところでこのオチは予想外だった。ショートショートのオチだ。しかし、そこに至るまでの流れにはやはり運動感がある。志し、悩み、決断する主人公はハードボイルド小説のそれであるし、長編小説のダイジェストのような雰囲気も感じられた。

もしかしたら、この作品は書かれた作品の中でも初期のものなのかもしれない。ショートショートに淫する前の筆の動きがそのまま残っているような感じだ。というと「ショートショート感がうすい」という風に若干ディスっているようにとられるかもしれないが、決してそうではない。両端を残して真ん中のみを抜きとる一連の犯行は「戻ってくるという希望を持たせるため」という動機付けだけでは回収しきれない異常さを感じさせ、これ自体で魅力的だが、ショートショート的な視点でオチに奉仕していない描写を省くとこの設定は削除されていたかもしれない。「オチに全振り」は、短い、すぐ読める文章に面白さを凝縮させる手法の一つにすぎないのであって、それが全てではなく、こう何十個も作品があるような場合には様々な作品があった方が面白いのだ。もしかしたらこの作品はやはり後の方に書かれた作品かもしれない(さっきの仮説自信なくなってきた)が、だとしたら小説を書いていくうちに筆が躍動し、ショートショート的な磁場から自由になったと考えられるのではないか。

・恐怖の館
ラストを飾るのはやはりショートショートであった。この作品は二段オチと技巧的な作りになっており、どこか運動会が終わった後の校庭を眺めているような不思議な余韻の残る、明るくも寂しい話であった。

星新一は、単語を書いたたくさんのカードを混ぜあわせて2枚引き、その2単語から連想してショートショートを書いていた、と何かのテレビ番組で見たことがある。だとすると星新一は完全におもじゃんで小説を書いていたのだ。

おもじゃん使いである作者もその手法を取り入れているはずで、「恐怖の館」であれば例えば「テレビ」と「幽霊」の2札を引いたのかもしれない。おもじゃん小説を作るときには引いた札からあまりこねくり回さず、素直に連想していった方が良い作品になるような気がする。「テレビ」と「幽霊」なら「心霊番組」はワンジャンプで到達できるところだ。そこからどう面白い話を作るかは作者の腕しだいだが、この作品はすごくうまくこのお題を料理していると思った。「おもじゃんで書いた仮説」が間違っていた場合この段落は完全に無意味である。


全体を読んで、また感想を書いてみて、「ショートショート的であるかどうか」ということをかなり意識してしまったなと思った。先ほども書いたが「ショートショート脳」になったということか。自分だけではないだろうと思いたい。

wikipediaでショートショートのページを見ると「ワンアイデアの面白さを追求し、印象的なオチを持たせる傾向がある」と、その特徴をさらっと書いてある。中には「奇妙な味」の短編もあるが(「走散汞」とかそれっぽいと思う)、多くのショートショートは「ショートショート的であること」を指向しており、読者もそれを感じ取るのは必然なのかもしれない。

さらにこのショートショートアンソロジーでは、おそらく意図的にショートショートのギミックとして使い古されたものを題材に書いたと思われるものも多い。「発明品もの」「ロボットもの」「願いの代償もの」などと勝手に呼んでみたが、これらはもうショートショートのサブジャンルと言ってもいいだろう。

そういう意味では、この「犯罪の重」はまさに「王道を征く」ショートショート集だ。ショートショート(以下SSとする)とがっぷり四つで組み合い、たまに小技を入れ、ときにハズシを混ぜながら、それぞれの持ち味を出しつつ多彩な決まり手で読者を土につける。いつの間にか取り組み相手がSSから読者に変わっているが、とにかく素晴らしい相撲だった。執筆陣の来場所にも期待したい。


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