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小説|不思議の国のカギ(18)

不思議の国。
この世界でほぼ同時に生まれた、この世界の最初の住人。
それが、白ウサギとチャシャ猫。
2人とも、お互いが生まれて初めて見る一番最初の生き物だった。
ーーーーだから、友達になれると思った。
彼は、あまり自分から話す性格ではなかったが、自分は他愛ない会話を毎日飽きもせず彼に話に行った。
2人だけで暮らしていたその頃の不思議の国は、あまりにも広く感じたものだ。
でも、2人だから寂しくはなかった。
死ぬ事を知らない自分達は、不思議の国で何百年と生きた。
変わらないその日々が、とても幸せだった。
『ねぇ、白ウサギ』
彼は視線だけをこちらに向け、次の言葉を待った。その視線を確認して、そのまま真っ直ぐに不思議の国を見据える。
『僕、この国が好きだ。キラキラしてて眩しくて、……ずっと、この国に居たい』
白ウサギは軽く目を見張った。
だが次の瞬間には表情を変え、ふわりと微笑む。彼は同じように不思議の国を見据えて目を細めた。
『…………うん。俺も』
そして2人はお互いに顔を見合わせて可笑しそうに笑った。
ずっと、この世界で生きていきたいと……本当に心からそう思っていた。
あの言葉に嘘偽りはない。
自分が心の底から見せた、最初で最後の笑顔の記憶。
ーーーー友達に、なれそうだったのに……。

その翌日、新たな住人達が不思議の国に産まれた。
その日から全てが狂い出した。
あんなにキラキラして見えた不思議の国が汚く見えて、消してしまいたくて。この国の住人なんか皆滅べば良いと思った。
もし……別の生き方があったらと、考えた事もあったけれど、でも。
今までの自分がしてきたことに、一切の後悔は、ない。

* * *

はら、はら……と砂が崩れ落ちる音が聞こえて、チャシャ猫ははっと顔を上げる。冥さを帯びていた瞳が光を宿し、その瞳が徐々に驚愕に彩られていった。
その様子を見ていたアリスが何事かと白ウサギに視線を移すと、白ウサギの目前に迫っていた木の枝々の先が砂と化して地面に落ちている。
だが、砂化に間に合わなかった数本の枝が白ウサギを掠め、そこから血が滲み出ていた。
白ウサギにそれ以上の傷がないのを目視で確かめ、アリスはホッと息をつく。
良かった。とりあえず、白ウサギは無事なのだ。
前髪が顔にかかり表情が読み取れなくなっていた白ウサギの口がゆっくりと動いた。
「ーーーーチャシャ猫」
「っ、」
名を呼ばれたチャシャ猫が、反射的に一歩後退る。依然として白ウサギは森の枝に絡め取られたままの状態だが、その声音がチャシャ猫をそうさせた。
「……この森はお前の味方だと言ったが……」
ぽつ、ぽつと音がして、徐々に雨が降り始める。
不思議の国にも雨が降るんだなと、アリスはその水滴を見ながら思った。
遠くの方では雷鳴が聞こえてくる。段々と強くなる雨に打たれながらも、チャシャ猫は白ウサギから目を離さない。
白ウサギはゆっくりと顔を上げ、その鋭い眼光をチャシャ猫に向ける。
刹那、凄まじい音を響かせながらすぐ近くに雷が落ちた。
「……ーーーーこの空は俺の味方だ……」
白ウサギが辛うじて動かせる指をツイと伸ばす。
その先にあるのはチャシャ猫の左足。
「 っ!!」
それに気付いたチャシャ猫はがばっと後ろに下がるが、雷のほうが確実に速い。
「ーーーーっ、ぐぁっ!!」
直撃は免れたものの、水に濡れた足は電流を良く通し、チャシャ猫はあまりの痛みに地面を転げ回る。
チャシャ猫の魔力が削がれ、白ウサギに絡み付いていた枝が緩んだ。白ウサギは地面に膝をつく。
足元に転がっていた剣を右手でぐっと握り締めた。
使い物にならなくなったのが利き手じゃなかったのが不幸中の幸いだ。振り上げたりする大きな動きは出来ないものの、まだ、扱える。
白ウサギはぐいっと顔を上げ、片足で立ち上がろうとしているチャシャ猫を見ながら叫んだ。
「アリスっ!!」
名を呼ばれたアリスは白ウサギに顔を向ける。だが白ウサギはチャシャ猫から目を離さない。2人を交互に見つめ、白ウサギの意図を読んだアリスは、ぐっと弓矢を握り締めて一つの頷いた。
チャシャ猫の瞳が剣呑に光る。
「……さ、せる……か……っ!!」
刹那、巨大な地響きとともに、森全体が大きく揺れ始めた。地面がたわみ、立つことが覚束なくなる。
「「アリス、避けて!!」」
双子の叫び声がアリスの耳朶を叩く。
アリスが反射的に後ろに下がると、今までアリスが立っていた場所から巨大な木の根が飛び出してきた。それはそのまま上空へ延び上がり、双子の作り出した光の膜を内側から破る。
「ーーーーーーっ、!!」
双子から声にならない悲鳴がこぼれ、膜を無理矢理内側から破られた反動で、そのまま地面に倒れ込んだ。
「ディー、ダムっ!!」
アリスは双子に駆け寄る。辛うじて息はあった。
でも、早く、しないと……。
アリスが顔を上げると、左足を引摺りながらこちらへ向かってくるチャシャ猫の姿が目に映った。
その一瞬、チャシャ猫の後ろにいる白ウサギと目が合う。
かしゃ、という音がして自分の足元を見ると、眠りネズミから預かった弓矢があった。
「ーーーーーー……」
……アリスは弓矢を手に取ると、そっと双子の頬に触れる。
まだ子供のあどけない寝顔に痛々しい傷がついていた。
「……ごめんね。痛いのに、我慢させて……。すぐ、戻ってくるから、待ってて」
「…………ア、……リス…………?」
ディーが不安そうにアリスを呼んだ。
「ーーーー……大丈夫よ」
アリスは双子を安心させるように微笑むと、彼らをその場に残して全く別の方向に走り出した。
チャシャ猫はそれを追って歩を進める。だが、それを遮るように雷がチャシャ猫とアリスの間に迸った。
「……………………」
チャシャ猫は歩みを止めると、後ろにいる白ウサギを振り返る。
「……本当に、俺を殺す気なんだね。白ウサギ」
嫌悪気味に言い放つチャシャ猫に対し、白ウサギの瞳は真っ直ぐに彼を見たまま光を失わない。
「……そう、約束したから…………」


『……ねぇ、白ウサギ。僕、もう……疲れちゃった』
そう言われたけど、どうしてもあの時の自分には出来なかった。
「だから……ーー」
チャシャ猫は軽く目を見張る。
暫くそうして白ウサギを見ていたチャシャ猫だが、急にその顔が苦しげに歪んだ。
「…………そっか。なら……」
瞬間、チャシャ猫の霊力が爆発し、その際に生じた爆風が白ウサギの髪を煽る。その風を纏いつかせながら、チャシャ猫は白ウサギを殺気の籠った瞳で見つめた。
「最後に悪足掻きしとかないと……ね」
そう言い残し、チャシャ猫はくるりと踵を返す。
先程の戦いで右腕と左足を負傷しているのに加えて、この雨の影響で地面はぬかるんでおり、体力も根こそぎ奪われている現在のチャシャ猫には、もう逃げる事すら覚束なくなっていた。
でも、それでも足を止めないのは、自分の中で唯一決めていた事を守り通すためだ。
自分を本気で殺しに来る相手には、自分も全力で相手をする、と。
チャシャ猫は白ウサギに背を向けて歩きながら、自嘲とも取れる笑みを浮かべた。
ーーーーでも。
あぁ、でも。
……俺を殺しに来たのがお前で、本当に良かったーー。

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