ついにあの声に会えた日
今、初めての生渡辺翔太・生歌声を体験した時に着てた服が横たわってるソファの横で、それを横目で見ては思い出して泣きそうになりながら、この文章書いてます。
自分でも不思議だけど、渡辺さんの歌を聴く時ってなぜかいつも自動的に自分の肩書きである(一応)音楽家のスイッチが入ってしまう…
変な聴き方だよなぁって思ってるし純粋にかっこいい!声素敵!って楽しめば良いのにねって自分でも思ってるけど(普段はスイッチ入らないままとか、まぁ無理やり切ってたりとかがほとんど)渡辺さんの歌だけはなんか無理
歌の事になるといっつも渡辺担ってのを超えて肩書きの方の耳が発動してしまう…
でもね今回、その理由がより分かった気がする
コントロール…やっぱ色々やってる!!!!
とにかく生で観て聴いて…ってするとその実際の空気感をより感じられるものだけど
例えば渡辺さんの歌う直前の息の使い方、子音の置き方、母音のニュアンス、語尾や音節の切り方とか
音楽的にフレーズにプレッシャーを与えたり、逆にフッと抜いたりとか
書き切れないくらいいっぱいあって、それら全てがもちろん円盤よりもより鮮明に体感できるってのはあるんだけど
今回その場所に居れて特に嬉しかったのが
渡辺さんのその劇場の空間の利用の仕方というか、劇場の空気をも自分の見方につけて声を操ってる感じというか…そういうのを感じれてその体験は本当に貴重だったなぁって思った
それを果たして本人は意識してやってるのか、自然にできちゃってるのかは分からないけど…(分からないのがまた渡辺さんっぽくって良い)
生で聴いて改めて思い知らされる渡辺翔太の歌のすごさ
渡辺さんの歌って私的には「個性いっぱいのピュアな歌」って感じで
癖の強いアーティストほどではないけど「らしさ」はあって、基本シンプルだけど細部のオシャレさをキラッて効かせてくるような歌というか。
でもその素材を活かしつつ繊細なキラッてのを効かせるのが簡単ではない事を私は知ってるから…
何気なくやってのけてるように見えるけどホントはすごい事なんだよなぁ…っていっつも独り言言ってる私(笑)
声を大にして言いたいのは
あんなにも自然に色んなワザをその音楽に溶け込ませることができるのも基本の発声ができてないと活かせない
これは本気で音楽をやろうと思ってちゃんと学んだことがある人には分かることだよね
そしてそれを本番のステージの緊張の中でやり遂げる難しさもね
一曲丸々ソロで聴けるありがたさ
渡辺さんのソロ曲を何曲も聴けるという醍醐味…贅沢過ぎる
何が贅沢って一曲丸ごと渡辺さんの声が堪能できるのもそうだけど
数分のその一曲に対する渡辺さんの音楽的構成力をより見せてもらえるというところ
特に「光」なんかあの腕だけでロープ登って上で自分でぶんぶん揺らして落下して…その直後の長めのソロ曲!!!!
あの極限状態であの表現力……
いやぁもう…信じられんかったよ……
もっとフレーズ毎にハァハァしてる息の声が漏れて聴こえてくるもんだと思ってた
でもほとんど聴こえてこなくて全部歌声としてしか聴こえてこなかった…
あの状況で息のほとんどを歌声にできるってだけでもすごい事だと思うのに
それどころかたまに聴こえてくる息さえも音楽的表現の一色にしてた!!!!
1フレーズだけフレーズ終わりに大きく息切れした箇所があったけどそれも音楽的に大正解におさめてたし、逆にあんな事は計算してもできない事だと思うからホント神がかった表現になってて…!
とてもツラい心情を歌ってる歌だから余計に…
あぁ…思い出しただけでも泣けてくる
この曲に関しては円盤でバカみたいに聴き倒してたから思ったんだけど今回サビのフレーズの感じ方を変えてきてた気がする
円盤ではフレーズをなだらかに横の流れを感じながら歌ってるように見えたけど
今回はフレーズのシンコペーションと1,2,3,4の拍の組み合わせをより感じながら(体を縦に揺らして拍を刻むように)歌ってた感じに見えた
同じ曲でも少し違うバージョンで披露できる引き出しがあるんだよね…
曲の音楽的構成力とは話がずれたけど要するに曲の音楽的な起承転結のようなものが聴けるというのはその曲の渡辺さんの分析とセンスを見せてもらえるという事だから興味深くてそんなの知れるのが贅沢でしょうがないと思ってる
そのシーンの感情をそのまま歌声でも表現できる人
表面的にそれっぽい表現をしてる人ってたくさんいるけど基礎的な発声ができてないと感情ばっかり先走って結局大雑把で短絡的な表現になってしまいがち
結局基礎が無いところに上乗せはできないということです…(あぁ多分これを表現したいんだろうなぁとかの気持ちは分かるしそんな完璧なの求めてないしって言われたらそれまでだけど)
それが渡辺さんはセリフであってもメロディであってもその世界観を本当の意味で崩してしまわない人だなぁって思った
最後の方で本当に泣いてる?って思ったくらい声を震わせてたセリフの直後にメロディを歌い始めるというシーンがあった記憶なんだけど
あ、歌い始める?でも声震えたまんまじゃ…と思った直後に大げさな表情でもなく身振り手振りでもなくとってもシンプルに震えそうな声を絶妙に、1音め直前のミリコンマの間(ま)と子音の発音を自分で調整しながら歌い始めた感じは会場中の空気を一気に惹きつけたのを感じた気がして震えた
良い音楽家ってその会場の空気感を演奏だけで操るのが上手いと思ってるんだけど渡辺さんはそれをやってのける人なんだ…って改めて気付かされた
さっきも言ったけどこういうのは生でその場にいないと体感できないこと…神様が下さったチャンスほんとありがたかったな…
とにかく声での表現力が半端なかった…
これは歌に対してだけではなく普通のセリフ・演技に対してもなんだけど…
今回のドリボ観劇した人達のレポでもすごくたくさん見かけたけどほんと私もめちゃくちゃ感じたなぁ…
渡辺さんの憂を帯びた表現ってやはり私は1番好きかもしれない
それに前回(円盤)よりその表現の幅が拡がってる気がしたし、それをTV越しではなく生で同じ場所の空気を吸いながら観れた…
歌についての話に戻すけど、音楽的表現力も前にも増してメロディ達をさまざまな色で彩ってるというか。
どの方向の表現も全て何パーセントか割増されてる感じ
その繊細なワザの組み合わせ方によって渡辺さんの歌の立体感ももっと凄くなった
私が思う渡辺さんの歌でよく現れる繊細なワザ
あぁぁぁぁとうとうこれらを生で聴いてしまった……!!!!
もう何回でも書いちゃうけどマニアックな視点かもだけど
繊細なワザって例えば…
・普通に歌えば単調になりがちなメロディでも渡辺さんは各音がまるで雫がぽとんぽとんって落ちて連なってくようなニュアンスで歌ってみたりだとか(子音を発音する直前一瞬軽くためてそのためた分の勢いを活かした発声をしたかと思えばすぐ余韻に変化するような…という感じに私には聴こえる)
・逆にフレーズをなだらかに横の方向性を強調して歌ってみたりだとか(母音達をレガートに繋げてく感じを意識してるのかな?)
・曲によってシンコペーション(リズム)の湿度を変えて歌ってたり(ドライにしたい時は各音をノンレガート気味で勢いをつけて発音して語尾も短めに抑えてたり、ウェットにしたい時は子音は勢いはあるけど軽めに発音して母音を歌ってる時に圧を加えてる感じに聴こえる)
・フレーズ終わりの歌い方がいっつも色彩豊かで興味深くていつもすっごく丁寧に表現してたり(フォールとかヒーカップとかほんの少しざらっとエフェクトかけてみたりとか)
・ワンフレーズの中でクレッシェンド・デクレッシェンド(段々と音量を上げたり下げたり)とか強弱をコントロールしながら更に声質を変化させていって歌詞の意味合いをより表現してたり
・いわゆるしゃくり(というのかな)の種類とテンポと長さとどこで使うかの調整で渡辺さんらしさを聴かせてくれたり……
もうたっくさんあると思うんだけど、めっちゃくちゃ細かい多分人が気付かないであろう部分のワザの調整が実はひっきりなしに行われてるのが渡辺さんの歌なんだよね…(私がなぜそんな風に聴こえるかってのは、楽器は違えどピアノも実はこれと同じような感覚で表現することを学ぶから)
ただ歌ってるだけのように見えてホントは色々やってる、そしてそれはきちんとした土台の上でなされてる事だから余計にちゃんと活かされてる、だから渡辺さんの歌って興味深いんだよ!!!!ってことです
最後に…
そして今回のこの機会で
完全なる数分のソロ曲達をやり直しのきかない生の空間で目の前で、いつもTVや円盤でも聴かせてくれるあの渡辺さんらしい歌を半端ない臨場感付きで、想像以上にやっぱ本物の素敵なボーカリストだったって証明してくれたこと…その場にいれた事本当に感謝でしかない
渡辺さん、今年のドリボも引き受けてくれてありがとう!
…と、これが私のとりあえずの感想です…
すっごく変な感想(笑)
書きながら泣きそうになってたのに変な感想書いてる自分に笑った
しかもなんかとてもとっ散らかったまとまりのない文章で申し訳ない…
それなのに最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。
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