くぼたか史 ep13 疑問

若森先生がギターを弾きながら熱唱する。ぼくは音感が分からないから上手いかどうかは判断できないけど、めちゃくちゃカッコいい。なんでこんな人がこんな仕事をやってるんだろう。

塾での受験本番直前の決起会は異様な熱気だった。先生たちが心から全力でぼくたち受験生にエールを送ってくれているのがビシビシと伝わってくる。

こうなるのが分かっていたから、ぼくはこの会に参加するのを迷っていた。予想通りかなり居心地が悪い。
ぼくはここの誰よりも勉強していない。推薦受験を狙っていたぼくは3年生に上がってすぐの時に「一応学力もつけておくか」ぐらいの軽い気持ちで入塾し、狙い通り秋に科学技術高校の推薦入試に受かって、その後も「せっかくだから通い続けておくか」ぐらいの気持ちで通っているだけだからだ。

こういう決起会は、必死で頑張ってきた人たちにのみ参加する資格があると思う。小学校の時と同じで、塾にゆるゆると通い家に帰ってからも特に勉強をしていなかったぼくが、この熱い夜をみんなと一緒に過ごしていいとは思えなかった。

だけど、奏太と晴人と杉原にその思いを話したら3人ともから「別に気にしなくていいんじゃないの」と言われたし、どんな会になるのか正直かなり興味があったから参加することにした。


若森先生が歌うのを終え、今度は普段超堅物の金田先生が挨拶をする。いつも見せないような朗らかな顔で話すのを見て、「この人はいつも生徒のために厳しいフリをしているだけで、本当はこんな優しげのある人なんだなぁ」と思った。

次は相馬先生だ。いつもにこやかに笑って冗談ばかり飛ばす相馬先生はいつも通りにこにこしながら、「ぼくは実は美術館によく行くんですよ」と話し始めた。

「意外でしょ。こんないつもヘラヘラしてるやつが美術館って。でも本当によく行って、名画の前で泣いたりしてるんです。だけどね、それって知識があるからできることなんですよ。だから、一生懸命勉強してよかったなと思っています」

生徒たちはみんなウンウンと頷いている。さっきの若森先生の歌から泣いている生徒もたくさんいた。けど、ぼくはイマイチ頷けなかった。

名画と知識と何の関係があるんだろう……? それにそんな情緒が豊かな人なら何で、こんな知識をひたすら詰め込む情緒のカケラもない塾の仕事をやっているんだ……?

続いては大川先生。ぼくは1度も授業を受けたことがないし静かな先生だからほとんど知らない。ゆっくりと前に出て、「ぼくは実は大病をしたことがあるんですよ」と話し始めた。その瞬間、ぼくの心のアンテナがピン、と立つ。

「死ぬかもしれない病気で、人生もうダメかもなと思いました。でも幸いにも元気になって。病気になったおかげで、人生をちゃんと生きようという気になったんですね。みなさんも1度きりの人生、一生懸命生きてください」

またみんなが心を打たれたような顔でウンウンと頷いているのを見ながら、ぼくは複雑な気持ちになっていた。この先生の気持ちが全然分からない……。

ぼくも中学生になって病気で大変な思いをした。でもその経験から感じたことは、「人生を一生懸命生きよう」ではなくて、「人生そんなに頑張らなくてもいいか」だった。なぜなら、「健康でさえあれば後はどうでもいい」と思ったから。
風邪が治った直後は「健康ってなんて素晴らしいんだ!」と思ってそれだけで幸せを感じやすいように、ぼくは大病をしたせいで健康のありがたみを身に染みて感じたおかげでもう健康なだけで満足してしまって、何か頑張って健康以上のものを手に入れようという気が失せてしまったのだ。

だから、入院中に担当の医者の1人に「勉強した方がいいよ」と雑談の中で言われた時はものすごく反発心を覚えた。「手術の後の大変な時期を終えて少しゆっくりしてる時に、何で勉強なんかしなきゃいけないんだ? そんなことどうでもいいじゃないか……」と思ったぼくは、先生が部屋を出て行った後に大泣きしてしまった。一晩中吐いた時以外はどれだけ痛かったりしても泣かなかったぼくがあんなことで泣くとは思わなくて、自分で自分に驚いた。

ただ、そうやって「何で勉強なんかしなくちゃいけないんだ?」と思う理由には、単に「『健康なだけでいいじゃないか』と考えていたから」ということ以外にも、「勉強する意味が分からなかったから』ということも大きく関わっていると思う。

そう、ぼくは勉強をする意味が分からなかった。学校や塾で身につける知識や思考力が将来役に立つイメージが全く持てなかったからだ。将来使わない知識をなぜ長時間かけて詰め込まなきゃいけないのか、どうしてみんな疑問に思わず真面目に授業を受けるのか、よく疑問に思っては考えていた。

お母さんは「良い大学に入ればそれだけ良い仕事に就けてお金を稼ぎやすいの。お金が全てじゃないけど、お金がないと何にもできないのよ。お父さんはお金がないせいで家庭を不幸にしてるでしょ」とよく言う。けど、「良い大学に入って良い会社に入ることがなんだ! くだらない!」みたいな言説は世の中にありふれているし、どれぐらい勉強したら具体的にどういう仕事につけるのかとか、お金がないとどういう風に困るのかをぼくは知らない。確かにお父さんはお金がないせいでいつもお母さんに怒られてるけど、なんやかんやうちは生活できてるし。お小遣いもちゃんともらってるから、お金がないと困るという実感がない。

いや、でもな……。勉強をしたらどういう仕事につけるかが分からないから勉強するモチベーションが湧かないというのは言い訳か。ぼくは教師になりたいんだから。

そう、ぼくは人生設計についてよく考えた結果、普通に教師になることにした。ある日に公園を何時間も歩きながら考えて決めた。小学校の卒業文集に書いたような壮大な人生を歩むかものすごく悩んだ結果、教師になりたいと思った。

なんでかは分からない。持病が悪化して部活すらできないぐらいの体になって弱気になったからかもしれないし、大人になって現実が見えてきたからかもしれない。あるいは、普通に教師という仕事に憧れたからかもしれない。

なんで教師という仕事に憧れたのかもよく分からない。中学で担任してくれた先生はみんないい先生だったけど正直憧れるほどではない。女王の教室やドラゴン桜などの教師ドラマにはすごくハマッたけど、あれらを見たのは小学生の時だ。

たぶん、理屈じゃないんだと思う。教育に関心を持つ性質を持って生まれて、成長するにつれそれが顕在化してきただけなんじゃないか。

そして教育に関心があるからこそ、意味を感じられない勉強を素直にやる気があまり起きなかったのかもしれない。

ちなみに貧しい人を救うとか地球温暖化を止めるとかいう夢は別に捨てていない。教師をやりながら傍で途上国支援に携わったり、教師を何年かやった後に発明をしたりとかできたらいいなと思っている。

つまり、「絶対に地球を平和にする!」という考えから、「まずは教師になる。その上でできれば遠くの人を助けたり地球規模のこともできたらいいな」という考えに変わったということだ。



色々考えているうちに大川先生のスピーチが終わって、最後に内海先生が前に立った。英語担当の若いイケメンで、ぼくが一番たくさん授業を受けた先生だ。集中して耳を傾ける。内海先生は話し始めた。

「君たちを最初に受け持った時、『絶対ダメだな』って思いました。今まで見てきた生徒たちの中で誰よりも勉強してなかったから。これはマジです。だからいっぱい叱ったけど、だんだんみんなやる気が出てきて本当に一生懸命に勉強するようになりましたね。だから俺も途中からは安心したし、今は自信を持って君たちを試験に送り出せます。
ところで、君たちも緊張してるだろうけど、正直俺たちの方が何倍も緊張していると思います。だって何十人もの子どもの未来を一身に背負ってるんだから。合格発表とか本当にドキドキですよ。
色々不安はあると思うけど、君たちが1つ自信を持っていいことがあって、それは試験慣れしていることです。この塾ほど試験を受けさせている塾は他に絶対にないです。緊張しすぎず頑張ってください」

話し終えた内海先生を見ながら、ぼくは嘘くさいなぁと思っていた。絶対ダメだと思ってたって本当かな……。

ぼくは内海先生はすごく良い先生だと思っている。誰よりも熱意があるし、随所に優しい人柄を感じるからだ。だけど塾の先生特有の計算高さを持っているなとも感じていて、そこは結構引っかかっている。

例えば夏休み明け初日の授業で、宿題を一切してこなかった生徒に内海先生は信じられないほど長時間冷たく説教をし続けた。「夏休みに勉強しないなんてありえない」とか「そんなんじゃ絶対落ちるよ」とか言ってた気がする。あんまり覚えてないけど。

そういう風に1番強く叱っていたのは近藤くんに対してだ。近藤くんは英語をやる気が一切なくて、基本的なbe動詞とかすら分かっていなくていつも0点近い点数を取っている。そんな近藤くんに対して、内海先生はあの夏休み明けレベルの説教を何度も何度もするのだ。その度に近藤くんはずっとうつむいて黙っていて、ぼくはかわいそうに思っている。

それでも頑なに勉強してこない近藤くんが悪いといえば悪いのだけど、近藤くんはただのサボリ魔じゃなくて、英語への関心がないだけなのだ。数学には誰よりも意欲的に取り組んでいて、この塾で誰も解けない難問を1人だけ解けたりするほど驚異的な才能を持っている。

英語ができないとどの受験もうまくいかないとはいえ、単に関心の偏りがあるだけの生徒をそんなに追い詰めなくてもいいのにな、と思う。だいたい何度説教しても変わらないんだったらもう説教する意味ないのに、なんで懲りずに説教し続けるんだろう。

あと、みんなのやる気を出すためにこんな話をしたこともある。

「西原っていうサッカー部に所属していた女子生徒がいたんだけど、部活の後に塾に来るからすごく疲れてるのに、寝そうになるたびに『先生、顔を洗ってきていいですか』って言って顔を洗って必死に授業を受けるんだよ。
俺は『大変だったら塾やめていいんだよ。俺は何かに一生懸命になればいいと思っているから、サッカーを一生懸命やってれば勉強まで一生懸命にならなくていい』って言ったんだけど、最後まで必死に勉強して見事に難関高校に合格したんだよね。この前塾に遊びに来て、吹奏楽部で元気に活動してるって言ってたよ。すごく楽しそうだった」

ぼくはその話を聞きながら、「絶対に何かに一生懸命にならなければいけないのかな」とか「なんでオチに吹奏楽部を持ってきたんだろう。吹奏楽部をやるだけなら別にその辺の偏差値低い高校でもいいじゃん」とか思っていた。

いや、分かる。内海先生がやっているのはどれもこれも、生徒に一生懸命勉強させるための芝居なのだ。「こういう風に叱ったら勉強するだろう」とか「こういうエピソードを話したらみんなのやる気が出るだろう」とかいうのを一生懸命考えて、演じているだけなのだ。しかも話し方がめちゃくちゃ上手いから本当にすごいと思うし、根底に愛情を感じるから絶対に良い人なんだと思っている。

だけど、「受験勉強なんてなんでしなきゃいけないんだ?」と思っているぼくからしたら、「こんな役に立たない無機質なことを学ばせるためにあれこれ知恵を絞って生徒を発奮させなきゃいけない塾の講師の仕事ってキツいなあ」と思ってしまう。

だって、先生たちも本当に受験勉強を一生懸命すべきとは思っていないんじゃないかと思ってしまうから。内海先生だって塾の先生だから「勉強しろ!」って必死に言うけど、もし退職して全然別の仕事に就いたら、「高校受験のために頑張るかどうかなんて人生にとってそんな重要なことじゃないっしょ」とか言い出しそうな気がする。

愛情深い良い先生だけに、心を鬼にして言いたくもないことを言わなきゃいけないように見える内海先生が、胡散臭いだけでなく気の毒だなとぼくは思ってしまう。

もしくは中学時代に死ぬほど頑張ることが大事だと心から思っているんだろうか。何年も塾の先生をやっているうちに自分で自分をそう洗脳してしまっているとしたら、それもかなり気の毒だ……。


そんなことを色々考えているうちに決起会が終わった。先生たちが出口の前に一列に並び、生徒たちに一人一人声をかけながら見送る。

ぼくは行列はいつものんびり最後に並ぶ人だから今回も最後に並んだんだけど、すぐに後悔した。先生たちからしたら、最後に声をかけるのが受験勉強を一生懸命しなかったぼくだったら後味が悪いだろう。1番最後に並ぶべきではなかった。

後悔しながら列を進んでいくと、先生が次々に話しかけてきた。1回も喋ったことのない先生が「たまに自習室を覗いた時、君が一生懸命勉強しているのを見て偉いなって思ったよ」とか言ってくれる。最後に心にもないことを言わせて申し訳ないなと思った。


外に出てから、奏太と晴人と杉原とぼくの4人で集まった。みんなで頑張ろうねと応援し合う。もちろんぼくは「頑張ってね」だけど。3人とも本当に必死に勉強してきていたから、同い年だけどぼくは3人のことをすごく尊敬していた。

塾の後はこの4人でよく帰っていた。杉原は小学校が同じ女子で、中学は別だ。「ストーカーはやめてください」のせいで女子恐怖症(?)になって学校ではほとんどどの女子とも喋れなかったぼくだったけど、杉原はぼくと親しく話してくれていて本当に救われていた。しかも親しいだけじゃなくて、頼りにしてくれている感じもある。

そうなったのは、塾の帰りに杉原が泣き出してこう言ったのがきっかけだった。

「塾の女子たちが『杉原ってほんと性格悪いよね』って事あるごとに言ってくるの。私って最低なのかな……」

奏太も晴人も優しいから同情していたけど、なんと言えばいいか分からず黙っていた。ぼくもどうしようかと焦ったけど、一生懸命考えてからこう言った。

「その人たちがなんで杉原の性格が悪いって言ってるのかは分からないけどさ、ぼくたちから見たら杉原はすごく性格いいよ。だからこうして毎日のように一緒に帰ってるんだし。だから気にしなくていいんじゃないかな」

杉原はその言葉でだいぶ勇気づけられたみたいで、それ以来「ああ、信頼してくれているなあ」と思える感じをよく出してくれている。ぼくはそれがすごく嬉しい。


決起会から数日後、杉原からメールが来た。希望の高校に見事受かったそうだ。

「おお〜!!!おめでとう!!!!本当に頑張ってたもんね!!すごく嬉しい!!!やったね!!!」

ぼくはすごく喜んで、自分の持てる限りの力で褒めた。すると杉原からはこう返信が来た。

「そんなに喜んでくれてありがとう(笑) なんか、最初に奏太に報告したんだけど、奏太は『そっか』みたいなリアクションだったんだよね……。正直ショックだった……」

ああ、そうか……。ぼくは悲しい気持ちになった。奏太は人の幸せを喜べなかったんだな……。

ぼくは、ドラえもんの有名なエピソードである「のび太の結婚前夜」のしずかちゃんのパパのセリフは本当に名言だと思っている。

「あの人は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それが人間にとって1番大事なことなんだからね」

ぼくはこれが素でできている。演技ではなく人の幸せを本気で喜べるし、人の不幸について深刻に思い悩める。だから、それができないのはあり得ないと思ってしまう。

奏太は受験で悪い結果が出た後だったり、結果が出る前のピリピリしている時だったのかもしれない。そういう時に人に立派なことを求めるのは良くないのかもしれない。だけどぼくは奏太が杉原の合格を喜べなかったことを、だいぶ残念に思ってしまった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?