くぼたか史を振り返っての考察まとめ

考察と言ってもそんなに大したことはないですしあまり興味も持たれないと思いますが、せっかくep14までしっかり書いたので、くぼたか史から考えられることを一応まとめておこうと思います。

自意識のないep1を除くと、くぼたか史で書いた部分は大きく

幼少期(ep2)
小学生(ep3〜ep7)
中学生(ep8〜ep14)

の3つの時期に分けられると思うので、それぞれの時期ごとに見ていきます。


幼少期

この時期に関してはep3の後書きですでに分析結果を書いているので、それをそのままコピペします。

ーーーーー

○「自分で努力して何かを勝ち取って喜んだ」みたいなエピソードが1つもない。

「ケンカした」「具合が悪くなった」など基本的にネガティブなエピソードばかりで、ポジティブなエピソードも「ジャンケンに買った姉がお菓子を譲ってくれた」「お母さんがおんぶしてくれた」など、「他人が良くしてくれた」ものしかない。


○ほぼ全てのエピソードが「こういう嫌なことがあった」で終わっている。

そこから「もうこんな嫌な思いしたくないからこう努力しよう」みたいなことを思ったりそのように行動したりした話が全然出てこない。


○常に無力感を感じている。

残り2個のチキンナゲットをどうにもできない、吐いたものをどうにもしない、など、常に「ぼくは何もできない」と思っている。努力をしない。


○幸せとともに罪悪感を感じている。

お母さんにおんぶしてもらっている時、子どもなのに「ぼくはお母さんに何もしていないのにお世話してもらって申し訳ない。この恩はいつか返さねばならない」と思っている。「タダでもらってはいけない」という価値観がある。


○他人には優しくあるように望むのに自分が他人に優しくしたというエピソードがない。

「なんで怒るの?」と憤ったり「心配してよ」と相手に望んだりするが、ぼくが誰かを心配したり面倒を見たりといった記憶がない。


○世界は未知で危険でぼくを受け入れないかもしれないという不安がある。

反対に家の中という既知のところは安全だと思っており安心している。

ーーーーー

(コピペ終わり)

これらの特徴のうち、「幸せとともに罪悪感を感じている」「未知の世界に不安を感じている」というのは今のぼくにも通じていると思います。

意外だったのは、無力感をあまりにも頻繁に感じていることです。これは全く自覚がなくて、カウンセリングでエピソードを並べてめんたねさんに「いつも無力感を感じているね」と言われて「確かに!」と思いました。

めんたねさんは、「人は今の自分のライフスタイルに合っている記憶だけを思い出すので、無力感を感じているエピソードばかり思い出すということは今も無力感を感じているということ」というようなことをおっしゃっていました(違っていたらすみません)。

ぼくはそうかもしれないと思いつつ違う可能性もあるなと考えていて、なぜならぼくは幼少期の時は実際に弱かったからです。「幼少期は肉体的にも精神的にも弱かったからいつも無力感を感じていた。成長するにつれ力をつけてきたから今は無力感を感じていないが、幼少期の頃は有力だったことがないから無力感を感じているエピソードしか出てきようがない」という可能性もあるんじゃないかなと思います。

これは「他人には優しくあるように望むのに自分が他人に優しくしたというエピソードがない」という特徴においても同様で、藤田先生に感謝の気持ちを伝えようと離任式のスピーチを請け負う(ep7)、ネットの争いを止める(ep9)、同じ塾の杉原さんが泣いているのを慰める(ep13)など、小学生になってからは他人に優しくしている姿が見られます。

なので、ライフスタイル分析で重要な5歳ごろまでの記憶で他人に優しくしたエピソードがないからといって、今も他人に優しくしようという意識がないとか分析されるのは困ってしまうんですよね……。幼少期はものすごく未熟でしたし母と姉に守られる立場だったので、他人に優しくする機会がないのは当然かなと思います。



小学生

エピソードを順に読み直し、小学生の時の自分の特徴を書き出しました。羅列してみます。

・途上国の人をやたら心配している
・友達と楽しく遊んでいる
・母が学校へ干渉することをあまり問題視していない
・図鑑や伝記を意欲的に読んでいて賢い
・両親の喧嘩を嫌に思っている
・平和を望んでいる(ニャンダーかめんのセリフに感動している)
・空気に流されずに自分の正義を貫く(菌つけごっこに参加しない)
・自分の頭がいいと思う
・頭が悪いと思った人をバカにする
・先生ってすごいなと思う
・ナチュラル失礼をする
・文章で思いを伝えようとする
・生き物の命を大切にしている
・論理的な矛盾を気にする
・人を自分の価値観に合わせようとする。特に好きな人に対してそうする。
・寸前で告白を思いとどまる
・酷い目に遭っている子を見てかわいそうだと思っても助けない
・教師らしくないと思った教師に強い問題意識を持つ
・空気を読まない(塾で流れを無視して知識をひけらかす)
・運命や命のようなスピリチュアル的なことについて真剣に考える
・偉人を尊敬している
・当たり前のことにありがたみを持つ

・チヤホヤされたいという願望を持つ
・壮大な夢と自信を持つ

と、ほとんどどれも今の自分にも通じている特徴ですね。「酷い目に遭っている人を見てかわいそうだと思っても助けない」という特徴は今はないと思っていますが、この時はまだ無力感があったからかなと思います。

小学生の時の特徴の中で1番言いたいのはやはり「途上国の人をやたら心配している」についてです。

ぼくはこの数年「世界平和を実現する!」と言い続けていますが、人からは「それは承認欲求を満たしたいだけで本当に困っている人を救いたいわけじゃないんだろ」と言われ続けています。

それでぼくは「なんでそういう穿った見方をするんだ!」と怒ったり傷ついたりしてきましたが、今は、そういう風に言われていたのには仕方ない部分も結構あったなと思っています。

何故なら、ぼくが困っている人を助けている姿を見せたりそのエピソードを話したりはあまりしていませんし、いつも利己的な話ばかりしているからです。しかも目指す世界平和のビジョンが独善的である部分が多かったので(無駄にそう見えている部分もかなりあったとは思うのですが)、応援されないどころか批判されるのも当然だったと思います(このビジョンは3月に大きく変わったので近々詳しく書くつもりです)。

ただ、「困っている人を純粋に心配していて心から助けたいと思っている」ということは絶対に嘘ではなくて、何故なら幸せだった小学生の時からその思いは持っていたからです。その証拠があのオススメの本を書く宿題や卒業文集で、正直言うとそれらを見せたいというのもこのくぼたか史を書く動機の1つでした。


ぼくはなぜ小学生の時から途上国の人たちを助けたいと当たり前に強く思っていたのでしょうか? ぼくは今のところ、「そういう人間として生まれたから」だと思っています。

ここからはまたいかにもぼくらしい話になっていくのですが、『進撃の巨人』のエレンがぼくと似たようなことを考えているんですよね。

エレンは自身が「自由を強く求める」「奪われるぐらいならこちらから奪おうと考える」という特徴を持っている理由を、「なぜかは分からない。生まれた時からこうだった」と認識しています。


進撃1

進撃2

(諌山創『進撃の巨人』(講談社)より引用)

ぼくも全く同じで、途上国の人を助けたいと思うのは「なぜかは分からない」し、「生まれた時からこうだった」としか言いようがないんですよね。

多分ここで「漫画のキャラクターのことを真に受けてるんじゃねえよ」と思う人は結構いると思うんですけど、進撃の巨人の作者の諌山先生はこの「人間が持つ先天的な性質」について深く考えていて、かなり意識的にエレンというキャラクターを「生まれた時からそうだった」人として描写しているようです。

そのことは、「ヒメアノ〜ル」という快楽殺人鬼の心情をテーマにした作品への考察を書いた諌山先生のブログ記事の以下の部分を読んで思いました。

進撃4

引用元:http://blog.livedoor.jp/isayamahazime/archives/9267693.html

ぼくも「そういう脳の造形をしていた」のではないでしょうか。

……と思っていたんですが、最近めんたねさんから以下のように言われてこの考えが揺らいでいます。

「君が世界平和を目指すのは、お父さんを見て育ったからだよ。お父さんも世界の困っている人を助けたいと思っているでしょ。そういう思考や生き方は必ず行動に現れていて、それを幼い時に見ていた君は自然とそういう意識を持つようになったんだよ。お姉さんも岩手の人を助けたいとか思ってるんでしょ。お姉さんと違って君は現実的な範囲でやろうとしていないのは、君の無力感が関係していると思うよ。『人を助けたい』という思いと『自分は無力である』という思いがあったら人は壮大なことを考える場合がある。壮大なことだったらそれを叶えられなくても『まあ今はまだ叶えられなくても仕方ないよな』と安心できるからね」

ぼくはこの言葉にすごく衝撃を受けました。ぼくが遠くの人を助けたいと思うのは、『人を助けたい』という思いと『自分は無力である』という思いがバッティングした結果だなんて!

にわかには信じ難いですが、確かに頷ける根拠はあります。
小学生の時に李さんや奥田くんを「かわいそうだな」と思いながら助けようとしなかったり、中学生の時に同室の入院患者にあまり感情移入しなかったりしたことです。
遠くの人を助けようと思っているくせに、目の前で辛い目に遭っている人のことは「まあぼくは何もできないし」と思ってスルーしている。これらの事実は、確かにめんたねさんの説を補強していると思います。

もちろんまだめんたねさんの説を信じてはいないですが、「そういう理由である可能性がある」とは思っています。そう思えたことが、今回くぼたか史を書いた最大の成果かなと思います。

あと進撃の巨人をスクショした時に気づいたんですが、「何でかわかんねえけど……やりたかったんだ……どうしても……」と言っている時、父親のグリシャが赤子のエレンに「エレン……お前は自由だ……」と言っているところを回想していたんですね……。
ということはエレンが自由を強く求める人間であるのは「生まれた時からこうだったから」ではなくて「物心つく前に父親にそう語りかけられていたから」ってこと……? だとしたらますますめんたねさんの説が有力になってくる……。



中学生

中学校の3年間を一言で言うと、「病気を理由に空っぽの毎日を送る中、漫画と、望月さんと川端との人間関係に執着していた」という感じになるのかなと思います。

まず病気は1年生の時は確かに大変だったのですが、2年生以降は特に問題がなかったんですよね。だから途中からでも部活をやったり何かアクティブな趣味を見つけたりすればよかったんです。それをしなかったのはぼくの精神的な弱さであって、病気は言い訳だと思っています。

毎日暇なので銀魂のアニメやONE PIECEのファンサイトばかり見るという空虚な時間の使い方をしていました。いや、そういうことに時間を使うのが悪いわけではもちろんないのですが、卒業文集に書いたような人生を思い描いていた少年としてはそれだけしかやらなかったというのはかなり情けないなと思います。

そして、友達は小学校の時と同じぐらいいましたが、望月さんに「ストーカーはやめてください」と言われたのがトラウマになって女子とはほとんど話せませんでした。これはかなり辛かったです。

ただ「このせいで女性への距離感おかしくなった」とは思っていなくて、何故ならこの「女子としゃべっちゃいけないんだ」みたいな思い込みは高校2年生の時に優しいクラスメイトの女子によって解消されているからです。
ぼくが女性へ独特な接し方をするようになったのは高校2年生の時に自分の性癖を暴露する演劇をやったことがきっかけですが、その話は置いておくとして、最近いい加減このぼくのスタイルは見直さないといけないなと考えています。


さて、中学校編では望月さんと川端の話どんだけするんだという感じでしたが、この2人との問題にここまで執着したのは、ぼくの「大事な人間関係が悪くなった時に曖昧なままにしておきたくないと思う」という性質によるものだと思います。

普通の人は「こいつ昔は仲良かったけど嫌いになったからもういいや」と適当に考えることが多いんじゃないかなと思うんですが、ぼくは「まあいいや」と適当に考えることができないんですよね。恨みをぶつけたかったらしっかりぶつけたいし、謝るべきことがあったらきっちり謝りたいし、やることをやらないと気が済まない。

そしてそういう風になってしまうのは、自分の人生を漫画のように考えていたからじゃないかなと思います。ルフィはウソップと別れる時は決闘をしたし、船に戻す時はしっかり謝らせました。そういうのに憧れていたから、川端に対しても同じようにやっていました。

しかしこれは現実の世界を現実的に生きている人にとっては暑苦しく煩わしく、気持ち悪いだろうと思います。「決着をつけよう、川端」は創作ではなくマジで言ったセリフです。いくら中二病だったといっても穴があったら入りたいぐらい恥ずかしいです。

「こちらが謝るべきところをしっかり謝る」とかはいいことですが、「絶交した後で執着する」とか「相手にしっかり謝らせる」とかは良くないことだと今は思っています。現実の世界は漫画の世界のように想像通りにドラマチックに行かないですから、もっと良い意味で適当になりたいです。

あ、ちなみに川端が豹変した理由はずっと本当に意味不明だったのですが、大学生の時、アルバイトをしていた個別指導塾の生徒に「親に久保先生のことを悪く言われたんじゃないですか?」と言われて、そうかもしれないなと思いました。それなら一晩で豹変した理由の説明がつきます。


塾の先生に対して色々思った話は何人かの読者にかなりの不快感を与えてしまったようで正直意外でした。しかし考えてみると確かに、ああいう思考を不快だと思う人が出るのは当然のことだと思います。この記事では書きませんが、学校や塾の勉強に関しての考えはいずれツイートやブログで詳しく書こうかなと考えています。



親について

親について簡単に話します。

まずぼくが父親を嫌っている理由はウォッチャーの間では、「母親が父親を悪く言っていたから。父親はレン話さんに酷いことをしていないから本当に嫌いなわけではないけど、母親に配慮して父を嫌うことにした」という説が有力で、ぼくも確かにそういう面はあると思います。

しかしぼくが父親のことが嫌いな理由は別に明確にあって、「話がつまらないから」です。つまらなくて要領の得ない話を一方的に延々と話してくるから嫌いなんです。それは今も昔もそうです。「母親に気を遣っていたから」というのはどちらかというと些細な理由だと思います。


次に母親がかなり過干渉だという指摘も多くのウォッチャーがしていました。母はそれを一部自覚していて、ぼくによくこういうことを言います。

「あんたが病気で弱かったから、お母さんは崇史が人生で出会う障害物を一生懸命どけて『はい、この綺麗な道を通ってください!』ってやってきたんだよね。そのせいであんたは自分じゃ何もできない子になっちゃったのよね」

ぼくもその分析はある程度当たっているとは思います。ただ、18歳以上になるまでは子どもだけでは解決しにくい問題に親が介入しようとするのはある程度必要で大事なことだと思うので、例えば川端がメールを転送した件を解決するように手紙を先生に渡したというエピソード(ぼくの想像ですが)なんかは全く過干渉だとは思いません。むしろやってくれて良かったと思っています。

しかし、そういうこと以外で守りすぎな部分は確かにあったでしょう。しかし母は本当に体の弱いぼくを父親の助けなしに1人で育て上げなければならなかったわけで、多少過剰に守っていたからといって母を責める気にはなれないし、配慮の言葉なしに母を責められることには抵抗を感じます。

あと、現在のぼくはそんなに無力であると自認していません。確かに「今日は何もしません!」とか言って何も行動しないことは多いですが、現にくぼたか史は1日を除いて毎日更新が15日間できたわけで、無力では全然ないと思います。なぜぼくが行動できる時と行動できない時があるのか、その仕組みも分析したので近々説明しようと思っています。

また母の保護によって無力感が一部育まれたとしても、力は今からいくらでもつけられると思っているので、そんなに問題視はしていません。


最後に

くぼたか史を書くことにした大きな目的の1つは、「久保崇史という人間はどうやってできたのか? どうやったらこんなに凄まじい欠点だらけの人間が出来上がるのか?」という、多くの人が抱いているであろう疑問を解消するためでした。

まず、ぼくはみんなが思っているほど欠点だらけとは思っていません。ネットでは欠点が増幅して見えるという要素が軽視されすぎていると思います。

ただその要素を考慮してもやはり欠点が多いのは間違いなくて、その原因は「語られていない小・中学生の時代に何かがあったのではないか」と言われてもいましたが、ぼくはそうではないと思います。

くぼたか史で見てきたようにぼくは小学生の時は幸せでしたし、中学生の時はやや不幸でしたが異常なほど不幸だったとは到底言えません。

確かに特定のネガティブな記憶を忘れるという特徴はどうやらあるようではありますが、流石にいじめられていたりしたら覚えているだろうし、もし自分で覚えていなくても親や教師が気づいている筈です。この前母に電話して聞いてみましたが、「あんたが昔長期間大きな辛い思いをしたのは中学1年の時の入院だけだよ。いじめとかそんなことは絶対にない」と言っていました。

なのでぼくがかなり変わった人間になった原因は、子ども時代ではなく、「遺伝子」と「高校時代以降」にあると思います。

父の独特な遺伝子を持った状態で高校生の時に世界平和を目指し、大学で傷つき、ネットに入り浸ったせいで色々おかしくなったのかなと思っています。

この分析については今年の3月からずっとあれこれ考えているので、いつか長文で書くつもりです。


改めて、この連載をここまで読んでくださって本当にありがとうございました。予想以上に評判が良くて嬉しかったですし楽しかったです。

信じてもらえないでしょうが、バイトなしで十分にお金が稼げるようになったら必ず続きを書きますので、気長にお待ちいただければと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?