くぼたか史 ep5 初恋

「小野歩美さんへ。

突然こんな手紙をもらってきっと驚いているだろうと思います。実は、小野さんに伝えたいことがあってこの手紙を送りました。

ぼくは、小野さんのことが大好きです」

ここまで書いてから、やっぱダメだと思って今書いていた紙をくしゃくしゃにした。1番大事な「大好きです」の字が上手く書けていない。

30分前にラブレターを書き始めてからもう5枚も失敗している。完璧なクオリティのものを書きあげなければならないという強迫観念に囚われていた。

もう1度書き直したら、今度は「大好きです」まで上手く書けた。満足して続きを書き進める。

「小野さんのどういうところが好きかというと、優しいところと、動物が好きなところです」

そう、小野さんは動物が大好きなのだ。飼育委員の仕事を誰よりも一生懸命やっている。

ぼくと武藤くんと晴人もジャンケンに負けて飼育委員をやっているんだけど、3人とも動物が好きじゃないし汚いのが嫌いだから消極的に取り組んでいて、小野さんに「真面目にやってよ!」とよく怒られている。

だけど1度だけ、ぼくが大きく貢献した時があったな。

小学校の文化祭みたいな行事の出し物の景品のために折り紙でトトロをいくつも折っていた日曜日(このトトロはぼくがたまたま知っていたものだったんだけどみんな「これいいじゃん! 絶対売れるよ!」と言ってくれて、みんなで合計300個ぐらい作った。しかも行事の当日は小野さんの妹がこのトトロをめちゃくちゃ気に入って20個ぐらい手に入れて大喜びで、小野さんからすごく感謝された!)、ふとウサギのミルクの様子を見に行くのを忘れていたことを思い出したのだ。

金曜日にミルクの調子がどうも悪くて、誰かが土日に見に行こうという話になったんだけどみんな予定があって行けなかったから、ぼくが見に行くことになっていたのだ。ぼくはこういうことは大抵忘れっぱなしにするから、ふと思い出せたのは奇跡だった。虫の知らせとかいうやつだったのかもしれない。

雨のなか学校に行って飼育小屋を見てみると、ミルクはほとんど動かなくなっていた。これは大変だと思って職員室に行って飼育委員の担任である松田先生を呼ぶと、松田先生はミルクをすぐに動物病院に連れて行った。そしてその翌日の月曜日、ミルクが死んだことが知らされたのだ。小野さんはずっと悲しみに暮れていた。


記憶を思い出すのを一旦終えて、筆を進める。

「それから、正義感が強くて、平等なところも好きです。飼育委員の活動中に1度、武藤くんと山田さんがケンカして、みんなで話し合いをしたことがありましたよね。その時、小野さんが中立に立って話を進めてくれたおかげで見事に仲直りできたこと、本当に感動したんです。山田さんは小野さんの親友なのに、変に山田さんのことをえこひいきせずにちゃんと中立の立場に立ったのが本当にすごいと思いました」

これはラブレターだからお世辞で褒めているんじゃなくて、心からそう思っていることだ。あの時の小野さんは本当に立派で、将来は裁判官とかになったらいいのにな、でも裁判官になるとしたらもし付き合えてもあんまり一緒に遊んだりできなさそうだな、とか思った。


だけど、そんな小野さんも平等じゃない時があった。

以前、給食を食べている時に小野さんが蚊を殺したのをぼくが咎めた時のことだ。

「ねえ、蚊だって生きてるんだから殺さない方がいいよ」

ぼくが言うと、小野さんは「何言ってんの?」みたいな顔で言い返した。

「え、だって蚊は血を吸ってくるんだよ? 普通に殺すでしょ」

「でも生き物だよ? 小野さんはミルクを大事にしてるけど、誰かがミルク邪魔だなとか思ったら殺してもいいの?」

そんなことを言ったら嫌われるかもしれないと分かっていたけど、大好きな小野さんが命を粗末にしていること、そして筋の通っていないことをしていることがどうしても気になってぼくは言わずにいられなかった。というかはっきり言うと、小野さんにぼくの主張に納得して「確かにそうだね! 久保くん頭いい! じゃあこれからは蚊を殺さないようにするね!」と言って欲しかったのだ。ぼくの高い思考力や倫理観に気づいて好きになって欲しかったし、小野さんにも高い思考力や倫理観を持って欲しかった。

だけど小野さんは「ウサギは殺しちゃダメだよ。でも蚊は殺していいの。そんなの当たり前でしょ」という全く論理的でも倫理的でもない答えをして、ぼくをがっかりさせた。せめて「本当は蚊も殺しちゃいけないんだけどどうしても不快だから殺すの許して」と言ってくれれば、筋は通っているなと納得したのに……。

そういえば、食べ物についても小野さんと言い合いをしたことがあったな。小野さんが嫌いな食べ物を残そうとしてて、ぼくが「食べ物残しちゃダメだよ」って言ったら言い合いになったんだっけ。最終的には小野さんが折れて頑張って食べてくれたんだけど、その翌日に「あのあと吐いちゃったんだよね。だからもう無理して食べるよう言わないで」と言われて、すごく申し訳なくなった……。


ラブレターを書いているというのに、小野さんに対して悪いことをした記憶がどんどん蘇ってくる。そういえば、ランチルームの椅子破損バラし事件もあったな……。

小野さんと一緒の班でランチルームの掃除をしている時、小野さんが手を滑らせて椅子の脚を折ってしまって、担任の先生に報告しなきゃということになった。その報告役をぼくが買って出たんだけど、生徒たちと一緒に教室の掃除をしている担任の先生に向かって大声で「先生、小野さんがランチルームの椅子を壊してしまいました!」と言ってしまったのだ。

小野さんにあとで「なんで先生にこっそり言わずにみんなの前で大声で言ったの? 私が椅子を壊しちゃったことみんなに知られちゃったじゃん」と、悲しさと怒りが混じった顔で言われて初めて、ぼくは自分の過ちに気がついた。椅子を壊したことを他の人に知られたくないだなんて想像もしていなかったのだ。
「小野さんに嫌われてしまった」とすごく落ち込んで、ぼくはどうしたんだっけ……。手紙か何かで謝ったような気がするけど、よく覚えてないな……。


ああ、嫌な記憶はたくさんだ。早く完成させよう。

「もしよかったら、ぼくと付き合って欲しいです。よろしくお願いします。

 久保崇史」

これでやっと完成した……とはならない。まだやらなければならないことがある。

ぼくはお母さんの棚から別の種類の紙を取り出して(ラブレターの紙もお母さんの棚から取り出した。桜の模様が書かれた薄ピンクのやつだ)、今度はこう書いた。

「小野さんのお母さんへ

ごめんなさい。この封筒に入っているもう1つの紙は、ぼくから小野歩美さんへの手紙です。なので、歩美さんに渡してください。よろしくお願いします。

久保崇史」

さて、これはどういうことか。

実は、ぼくは定期的に小野さんに封筒を渡している。と言ってもぼくが小野さんに宛てた封筒ではなく、ぼくのお母さんが小野さんのお母さんに宛てた封筒だ。
ぼくのお母さんと小野さんのお母さんはPTAの会長と副会長をやっていて、お互いに頻繁に書類を渡し合う必要があるのだ。しかしPTAの会議はそれほど多くないし、郵便にすると切手代がかかってしまうので、お母さんが書類の入った封筒をぼくに託し、それをぼくが学校で小野さんに渡し、小野さんが家に帰って小野さんのお母さんに渡すということをやっている。

ぼくはこのシステムを利用し、お母さんがいつも使ってる封筒にラブレターを入れて、「これぼくのお母さんからだから、小野さんのお母さんに渡しておいて」と言って小野さんに自然にラブレターを渡す作戦を思いついたのだ。我ながら名案である。「小野さんに手紙書いたんだ」と言って小野さんに直接手紙を渡すなんて恥ずかしくてとてもできないけど、このやり方なら問題ない。


ラブレターと小野さんのお母さんへのことづての2枚を封筒の中に入れて封をし、祈った。
お願いですから、両想いでありますように……! このラブレターを渡して、小野さんと付き合えますように……!

ああ、小野さんと付き合いたい。ただの友達じゃなくて、恋人同士になりたい。

1度だけ小野さんと隣の席になれたことがあったけど、あの時期は本当に本当に幸せだった。学校に行くと小野さんが必ず隣にいて、いっぱいおしゃべりをして……! 毎日学校に行くのが楽しくて仕方がなかった。付き合えたら、席が遠くても毎日いっぱい話せるんだ。

成功確率はどれくらいだろうか……? 5、6年生の2年間で小野さんとはかなりの仲良しになっている。ぼくからしゃべりかけるだけじゃなくて、小野さんからもよくぼくにしゃべりかけてくれる。しかもその上、ぼくと話していない時もよく「久保がさぁ」とぼくの話をしてくれるのだ。

これは自意識過剰なんかじゃない。最初はぼくが小野さんのことが好きだからつい小野さんもぼくを意識してるんじゃないかと思い込んでいるだけなんじゃないかと思ってたけど、証拠がある。
ある日、小野さんがまた「久保がさぁ」と言った時、奏太がこう言ったのだ。

「小野ってしょっちゅう『久保がさぁ』って言うよな。なんでなの?」

奏太のその言葉を聞いてぼくは心の中でガッツポーズをしていた。第三者から見てもやっぱり、小野さんはぼくのことをしょっちゅう話題にしているのだ! これは、ぼくのことを好きな可能性がけっこうあるってことだろう!(ちなみにその時の小野さんの答えは、「えー、だって久保面白いじゃん」とかだった気がする)

もし付き合えたら、どんなことができるんだろう。小野さんの家でお互いに笑顔で見つめ合う様子を想像して、ドキドキする。ぼくが「好きだよ」って言ったら小野さんも「私も好きだよ」って言ってくれて……! そしてだんだん顔を近づけて、キスをして……!! 小野さんのあの唇にキスできたらどれだけ幸せだろう……。これ以上の幸せがあるだろうか……!

気づくと信じられないぐらい体が熱くなっていた。ヤバい、これはヤバい。想像するだけでこんなすごい気分になるのに、本当に付き合えちゃったら一体どうなるんだ……!

すごく勇気が要るけど、明日絶対にこの手紙を渡すぞ……!


翌日、ぼくはラブレターのことで頭がいっぱいになっていた。いつ渡そう……!

今日は終業式だ。お母さんの封筒を渡すのは終業式の日が多いから今日を選んだ。今日を逃すと長期休みに入ってしまうから、絶対に今日渡さなければならない。

タイミングを伺い続けていたらあっという間に時間が過ぎ、帰りの会が終わってしまった。小野さんが荷物をカバンに詰め、帰る準備をしている。今だ、と思い、ぼくは立ち上がった。

小野さんの席の方へ歩いていき……ふと立ち止まった。突然ある考えがぼくの頭をよぎったからだ。


ぼくは本当に、小野さんのことが好きなんだろうか?


いや、何を考えているんだ。好きに決まっているだろう。昨日ラブレターを書きながらあんなにドキドキしていたし、今だって心臓がバクバクしているじゃないか。

でも……100%好きかっていったら、どうなんだろう……?

そう考えた途端、急に自信がなくなってきた。厳密に100%ではないような気がする……。本当にめちゃくちゃ死ぬほど好きかといったら、そうじゃないかもしれない……。

つまりこれは、本物の恋じゃないってことなのか……? 本物の恋になってないのにラブレターを渡すのって、不誠実なんじゃないだろうか……?

いやいや、そんなこと考えずに渡せばいいじゃないか。でも……。
ぐるぐると考えに考えてから、ぼくはフッと体の力を抜いた。


今、渡すのはやめよう。


そうだ。本物の恋になってないのにラブレターを渡すのはやっぱり不誠実だ。今日のところは引いて、いつかこの気持ちが本物になった時に改めて堂々と渡そう。

ぼくは小野さんが教室を出ていくのを、半ば清々しい気持ちで見送った。


このまま何もなければ、気持ちよく長期休みを過ごせたかもしれない。ところが、すぐに事件が起きた。

終業式の日はいつもお母さんとりかの3人でデニーズに行くのが習慣になっているんだけど、デニーズに向かう道中で、お母さんが本当に申し訳なさそうな顔で衝撃のセリフを口にしたのだ。

「崇史、ごめん。ランドセルに入ってた封筒、開けて中身見ちゃった」

あまりのショックに、地面が抜けたのかと思った。

「いつも小野さんのお母さんに宛ててた封筒と同じだったから、小野さんのお母さんが返信にその封筒を使ったのかなと思って……。本当にごめんね」

「……あ、あぁ、いいよ別に」

咄嗟になんとかそう言ったけど、いいはずがない。お母さんにラブレターを見られるなんて、こんなに恥ずかしいことあるわけないだろう……!

ぼくは魂の抜けた足を動かしながら、ぼんやりと思った。デニーズに着いたら、一体どんな顔でご飯を食べたらいいんだろう。

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