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価値観を人に押し付けてはいけない-『女王の教室』に学ぶ“正義の使者”の危うさ

ぼくには、自分の価値観や考えを人に強く押し付けるところがある。

そのせいで友達が何人か離れていったし、ネットでも多くの人から叩かれてきた(ややマシになってきているが今も叩かれている)。

ぼくは訳が分からなかった。人や社会を良くしたいと思っているだけなのになぜこんなに嫌われてしまうのか? 間違っているのは向こうなのに、なぜぼくが悪く言われなければならないのか?

ずっとそう思い続け苦しんできたが、半年前にあるドラマを見て自分が悪かったのだと気づかされた。『女王の教室』である。


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引用元:http://huluinfo.com/queen-teacher.html

このドラマ、みなさんは知っているだろうか?

2005年に放送された、天海祐希演じる阿久津真矢(あくつまや)という鬼教師が小学6年の子どもたちに異常に厳しい指導をするドラマだ。

そして阿久津真矢が「日本の特権階級の人たちはあなたたち凡人にずっと愚かなままでいて欲しいの」と語るシーンが主に政権批判をする人たちによってTwitterに転載されしつこいぐらい何度もバズっている、あのドラマだ。

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引用元:https://twitter.com/akasakaromantei/status/1208673332402376705?s=20


阿久津真矢は実は子どもたちのことを思ってあえて壁になっていた良い先生だということが終盤で分かるのだけど、「自分に歯向かう生徒を雑用係にする」「成績の優劣で差別する」「授業中に生徒をトイレに行かせない」など酷すぎる指導描写にPTAからクレームが入ってスポンサーが次々と降りてしまい、放送当時かなり話題になっていた。なので知っている人は多いと思うが、なにせ16年前のドラマなのでほとんどの人はうっすらとした記憶しかないだろう。「鬼教師怖かったな〜」「でも実は良い先生だったんだよな〜」ぐらいの印象しかない人が大半だと思う。

ぼくはこのドラマが好きすぎてこれまで4回も見た。「人生ナンバーワンのドラマは何か」と聞かれたらこれを挙げる。何が良いかというと、生徒側の主人公である神田和美(かんだかずみ。演:志田未来)がとにかく魅力的なのだ。

先生とクラスメイトからいじめられるなどどれだけ酷い目に遭っても、「みんなと仲良くしたい」という理想を捨てずにひたむきに頑張る姿に毎回心を打たれて泣いてしまう。あらゆるフィクションの中で1番好きなキャラクターかもしれない。

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「絶対泣きませんから」と宣言する神田和美


ぼくはずっと、神田和美は非の打ち所のない最高の人間だと思っていた。だが半年前に4回目の視聴をした時、その認識が大きく揺らいだ。「神田和美って実は結構ヤバいところがある人間なんじゃないか?」と思ったのだ。

一言で言うと、「自分を“正義の使者”のように考え、他人に自分の価値観や正義を無闇に押し付ける」ところがあるのだ。

そう、ぼくと全く同じ欠点である。神田和美のこの欠点は作中でかなり分かりやすく描かれていたのに、3回もの視聴の中でぼくは神田和美のヤバさに全く気がつけなかった。それを大した欠点だと思っていなかったからである。

なぜ半年前の4回目の視聴で急に気がついたかというと、その1ヶ月前の3月にぼくの心が折れていたからだと思う。ネットであまりにも叩かれすぎて「今まで自分はほとんど悪くないと思ってたけど悪いところたくさんあったな」と思うようになり、自分の欠点に目を向けるようになった状態で視聴したから、今までとは違う見方ができたのだと思う。

『女王の教室』は、神田和美の強さだけではなく、傲慢さや身勝手さも克明に描いた作品だった。自分を“正義の使者”かのように考え他人に価値観や考えを押し付ける行為の危険性について、強く警鐘を鳴らしていた作品だった。

このドラマのおかげで、もちろんまだまだ変われてはいないだろうけど、「人に価値観を無闇に押し付けちゃダメだな」と少なくとも頭では理解できたし、どうすれば良いかも見えてきたのではないかと思う。人生で1番と言えるぐらいの大切な気づきや学びを得られたので、詳しく書いてみたい。

スクショは全てドラマ『女王の教室』(脚本:遊川和彦,日本テレビ)から(ステマではない)。


神田和美の美点-理想に燃えるところ

神田和美は理想に燃える強い人間として描かれている。何日もつきっきりでダンスを教えてあげた友達が阿久津真矢のスパイに寝返っても友達から泥棒の汚名を着せられた挙句にいじめられても、その人たちを悪く言ったり復讐したり、逃げたりしない。「みんなが一緒のクラスになったのは運命なんだよ。だったら仲良くしたいじゃん」と言って、あくまでも平和を求め続ける。

結果、和美の意地は通る。阿久津真矢が裏切りといじめと分断を引き起こしたクラスを平和にし、見事1つにまとめあげるのだ。ついでに親子問題も解決させ、阿久津真矢が実は良い先生であるということも見抜き、散々自分をいじめてきた阿久津真矢に感謝する。超人である。

(そして、裏切りやいじめや分断の愚かさを教え乗り越えさせるためにあえてそれらを引き起こす阿久津真矢の教育法と信念もすごい)


神田和美の欠点-自分の理想を人に押し付けるところ

そんな素晴らしい神田和美も、欠点があるキャラクターとして描かれている。自分の理想を人にも押し付けるのだ。

ある時、真鍋由介(まなべゆうすけ)という、おちゃらけているが友達思いのクラスメイトがこんなことを言う。

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「なぁ、もうやめとけって、無駄な努力するの。こんなクラスに期待しててもしょうがないじゃん。俺が最初から言ってるみたいに諦めるのが1番だって。真矢とはなるべく関わらないようにするの。何なら今から一緒にフケちゃう?」

(なぜかみんな阿久津真矢のことを「真矢」と下の名前で呼んでいる)

これに対し、神田和美はなんとこう返すのだ。

あんたは卑怯よ。調子いいことばっか言って、都合が悪くなったらすぐ逃げ出して。あんたは結局いつか真矢が言ったみたいに弱虫なだけじゃない」

厳しすぎる。

由介はいたって普通のことしか言っていない。繰り返しになるが、由介たちのクラスでは「自分に楯突く生徒を雑用係にする」「成績の優劣で差別する」「授業中に生徒をトイレに行かせない」など異常な圧政が行われているのだ。そこから逃げるのは何も卑怯なことではない。

というかむしろ、良いことを言っているだろう。放送当時はたぶんまだ「辛い時は逃げていいんだよ」「いじめやパワハラからは逃げるが勝ち」みたいな価値観が主流ではなかったのだと思うが、今放送されたらTwitterで「由介が言ってること正しいじゃん……」「和美は偉いけど、これを見ていじめに立ち向かおうと勘違いする子どもが出ないでほしい」みたいなツイートが大量にされると思う。

由介が教室から出ていったあと、優等生キャラの進藤ひかるが和美にこう投げかける。

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「ちょっと言い過ぎなんじゃない? 彼の気持ちも分かってあげたら? あなたのこと心配して言ってるんだよ。あれでも」

すごく偉い。神田和美のことを強く否定したり責めたりせず、「彼の気持ち『も』分かってあげたら?」という優しい言い方をしている。

しかしそれに対し、神田和美はこう返す。

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「どうせ私は進藤さんと違ってバカだから。進藤さんこそ、なんでいつもそうやってクールでいられるわけ? 私そういうの全然分かんない」

二重でヤバい発言である。「バカだから」を理由に由介の気持ちを分かろうとしない宣言をした挙句に、せっかく優しく助言してくれた進藤さんにまで「あなたの生き方も全然分からない」と言い放っているのだ。


このシーンから、神田和美がどういう人間であるかが分かる。

「自分の気持ちや生き方は人に押し付けるのに、他人の気持ちや生き方は理解しようとしない」のだ。

言い換えれば、「私は人に歩み寄るつもりはないけど、みんなは私に歩み寄ってね。私と同じ気持ちを持って私と同じ生き方をしてね」ということである。

そう、神田和美は、自分を正義の使者のように考えているのだ。だからこういう思考回路になる。

この和美の言動によって、真鍋由介と進藤ひかるは和美からかなり距離を取るようになってしまう。互いに助け合っていた大事な友達を、半ば失ってしまったのだ。


阿久津真矢からの叱責

この神田和美の人間性は、中学生になっても変わっていない。

連続ドラマ終了後に放送された、阿久津真矢の過去を見ていくスペシャルドラマ「エピソード1」で、中学生になった神田和美は阿久津真矢の元を訪ね、「クラスがバラバラで、『仲良く合唱コンクールやろうよ』とか言っても笑われるんです」と相談する。

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そしてため息をつきながらこう言う。

「どうしてみんな分かってくれないんだろう。私はみんなのためを思ってやってるのに」

この発言に対し、阿久津真矢はかなり強い口調で「いい加減目覚めなさい」と叱る(阿久津真矢の決め台詞である)。

この台詞がすごく良い。

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「『みんなのため』とか言って、しょせん周囲に自分の考えを押し付けてるだけじゃない、あなたは。自分だけが正しいと勘違いするのはやめなさい。人に無理に分かってもらおうと思うのもやめなさい。そんなことをしていたら結局、自分の周りには誰もいなくなって、一人ぼっちになるだけよ」

阿久津真矢はこれと似たようなことをドラマの中で何度も神田和美に言っている。それは、阿久津真矢自身がかつて、神田和美と同じような生き方をして手痛い目に遭ったからだった。


阿久津真矢の過去

阿久津真矢は鬼教師になる前は優しい普通の教師だった。

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変わりすぎである


トロくはあるものの誰よりも一生懸命仕事に向き合っている真矢だったが、純粋すぎるところもあり、その面を夫に時々指摘されていた。

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「真矢はさ、純粋すぎるんだって。でもそういうやつって、周囲の奴に自分と同じことを要求するだろ。だから人に対してもさ、厳しすぎるところもあるんじゃない?」

しかし真矢にはその指摘は響かず、あるとき夫を本気で怒らせてしまう。

夫が勤めている会社の不正のニュースを目にした真矢が、「あなたも知ってたんでしょ? 恥ずかしくないの?」と夫を激詰めするのだ。「社会はそういうものなんだ」と言う夫に、真矢は怒る。

私は許せない! 汚いことをしても自分が儲かればいいとかみんな同じことやってるんだとか開き直ってる人、絶対許せない!」

しかしそれに対し、夫がもっと激しい勢いで怒鳴るのだ。

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自分ばっかり正しいみたいなこと言うなよ! じゃあ聞くけどな、そっちは結婚してから何か妻らしいことをしたか? 翔(息子)のことだって、あんなの愛じゃないぞ。『翔のため、翔のため』と言いながら、自分の思い通りにしたいだけじゃないか!

息子の翔は真矢からスパルタ教育を受けたせいでストレスが溜まりチック症状が出ていた。そんな状態でこの夫婦喧嘩を見た翔は「ぼくのせいでお母さんが悲しい目に遭ってる。お母さんが大好きなモンシロチョウをプレゼントしなくちゃ」と考えて1人でモンシロチョウを追いかけ、川に落ちて死んでしまう。その結果、夫からも離婚されてしまう。

自分の考えを人に押し付けたせいで、真矢は子どもと夫を失ってしまったのだ。

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真矢が神田和美に「自分の考えを押し付けたら一人ぼっちになるだけよ」と強く言うのには、そういう背景がある。


刺さりすぎて辛い

今挙げた描写が刺さりすぎてぼくはものすごく辛い。ぼくも神田和美や昔の阿久津真矢のようなことをたくさんしてきた。その中の1つ、笠原くん(仮名)とのエピソードを話してみようと思う。

5年前の大学3年生の夏、高校生のとき演劇部の他校の同期だった笠原くんという友達に、「俺が出演する演劇を観に来てくれないか」と誘われた。

「人生の集大成の劇なんだ」とのことだったので、片道1時間半かかる遠いところで正直面倒だなと思いながらも観に行ったのだけど、すごく不満なことがあった。劇が終わった後の交流時間に一言もお礼を言ってもらえなかったのである。

不満に思いながらもその時はなにも言わなかったのだけど、その数ヶ月後、またさらに嫌なことがあった。ぼくがTwitterで「人生の集大成の小説を書いたのでよかったら読んでください。冒頭の5分だけ読んでつまんなかったら読むのやめていいです」と投稿した時、笠原くんはそのツイートを見たらしいのに小説を読んでくれなかったのだ。

ぼくは電話で、「こっちは大量の時間とお金をかけて劇を観たんだから、無料で5分で読める小説ぐらい読めよ!」と笠原くんにものすごく怒った。

「劇を観に行くのも小説を読むのも自由なのに怒るとかヤバいやつだな……」と感じるだろう。ぼくも今はそう思う。だがぼくの本当にヤバいところは単に「怒ったこと」ではない。「相手のためを思って怒ったこと」なのだ。

確かにぼくは遠くまで演劇を観に行ったのにお礼を言われなかったことが不満だったし、自分の小説を読んでもらえなかったことも悲しかった。そのせいで怒っていたし、怒りをぶつけたかった。だが「怒りを強くぶつけよう」と思った1番の動機は、「そうした方が笠原くんのためになるから」であったのだ。

ぼくはこういう思考回路をしていた。

「怒りをぶつけるのを我慢するという手はある。黙って離れて、次からは演劇に誘われても行かなければいい。だけどそれでは、笠原くんのためにならない。ぼくにこういう仕打ちをしているということは、笠原くんはきっと他の人にも同じようなことをしているだろう。このままでは笠原くんは多くの友達に嫌われ不幸な人生を歩んでしまう。だから多少嫌われるリスクを負ってでも強く指摘して、笠原くんの欠点を直してあげなければ。それが友人としての務めだ

本当にそう考えていた。完全に自分を正義の使者だと思い込んでいる。

「劇を観に行った時にお礼も言わないし、本当に自己中心的だよな」

ぼくの言葉を、笠原くんは真摯に聞くと思った。「ごめん、自分のことばかり考えてた。指摘してくれてありがとう」と感謝されると思っていた。

だが、笠原くんのリアクションは予想と違っていた。「ごめん」とは言ってくれているものの、かなり渋々といった様子だったし、声が暗く重い。かなり嫌そうな感じだった。

「あ、ヤバい」と感じたぼくは、「ごめん、言い過ぎた! 楽しい話しよう!」とすぐに方向転換した。無理やり楽しい話題をして徐々に笠原くんの温度が戻ってきた後、「さっきかなり声が暗かったから方向転換したんだけど、あのままだったらヤバかった?」と明るく聞くと、笠原くんは真面目な声に戻り、こう言った。

「うん。ギリギリだった」

思わずぼくは戦慄した。そのトーンから、「絶交する寸前だった」という意味に感じたのだ。たぶん間違ってないと思う。
ぼくはこの出来事から、「人のためを思って厳しいことを言ったら人は想像以上に反発し心を閉じる」ということを学んだ。

……となればまだ良かったのだけど、そうはならなかった。「笠原くんが反発したのは笠原くんの器が小さかったせいだ」と考え、ぼくはこの出来事以降も同じようなことを人にし続けてきた。

ある友達に「ぼくがお願いしたこと引き受けるって言ってくれたのに全然やってくれないじゃん」と怒り、別のある友達に「家族と会話した方がいいと思うよ」とか「何か人生でやりたいこと見つけろよ」とか諭し、ある経営者に「このままじゃお客さん来ないと思いますよ」と説教した。自分自身の怒りもあったけど、どれも「相手のため」とも思っていた。

その結果、人がどんどん離れていった。ブロックもされた。

その度にぼくは反省するどころか憤慨した。「せっかく相手のためを思って言ってあげてるのに、指摘を受け止めるどころか逆ギレするなんて! なんというレベルの低い人間なんだ!」と激昂し、「成長できない可哀想な人だな」と哀れんだ。

そんなぼくだから、『女王の教室』で描かれている数々のエピソードは決して他人事ではなかったのだ(にも関わらずずっと他人事だと思っていたのが恐ろしい)。


神田和美と阿久津真矢とぼくの共通点

神田和美と阿久津真矢(鬼教師になる前)とぼくには綺麗に共通点がある。

・利他心が強い
・親しい人にほど強く言う

の2つである。それぞれ見ていこう。


【共通点①-利他心が強い】

神田和美は非常に利他心が強い。学校行事でやるダンスが下手で友達もいないクラスメイトに何日もつきっきりでダンスを教えてあげたり、阿久津真矢が真鍋由介の人格を全否定した時に立ち上がって「こいつにもいいところがいっぱいあるんです」と泣きながら訴えたり、人のために本気で動ける人間である。

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鬼教師になる前の阿久津真矢も、テストの答案用紙に「もう少し頑張ろう! あと給食も残さず食べられるようになろうね!」などと毎回全員分コメントを書き込んだり、昔の教え子を襲っているチンピラに突撃したり、並々ならない情熱があった。

そしてぼくも利他心が強い。困っている人を見ると胸が強く痛んで助けたくなるし、人や社会を良くしたいと本気で思っている。
終業式の日に「○○くんは不登校だったけどこのクラスの一員だったことを覚えておいて欲しいです」と泣きながらクラスメイトに訴えたり、「毎日吐くほど辛くてカウンセリング受けたいんだけど良い医者知らない?」と友達に聞かれたけど知らなかったので自分が患者のフリをしていくつかカウンセリングを受けて良い医者を探そうとしたり(流石に親に止められてやめたが)、一生懸命叫びながら街頭募金をしている人を見てUターンしてコンビニでのど飴とお茶を買って5000円を募金箱に入れながらそれを渡したりする。

そのように利他心が強いから、「欠点を直して良い人生を歩ませてあげたい」などということを本気で思うのだ。


【共通点② 親しい人にほど強く言う】

神田和美は親友の真鍋由介にだけ異様に当たりが強い。
5話で、ついに学校に行かなくなった由介が、学校でいじめられている和美のことを励ますシーンがある。しかし和美は、そのたった1人の味方に対しブチ切れるのだ。

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「こっちはあんたみたいな学校に来ない卑怯者に相談する気なんか全然ないから。あんたなんて絶交よ。一生学校に来るな!」


キツすぎる。

ここでキレたのには、単に由介が学校から逃げた卑怯者に感じたからだけでなく、和美が人に頼るのが苦手なのに由介がしつこく「遠慮しないで俺になんでも相談したら? 学校でなんかあったんじゃないのかな?」とひょうきんな感じでしつこく言ってきたからでもあるのだが、それにしてもキツい。裏切り者やいじめっ子には一切怒らないのに、味方の親友にだけ強い言葉で怒るというアンバランスさがある。


鬼教師になる前の阿久津真矢も同様であった。職員室にはあまりやる気のない先生もいるのに、真矢がその先生たちに「もっとしっかりしましょうよ」などと言うシーンはない。対して夫や子どもには非常に厳しく当たっている。加えて、教育者の立場でありながら不正をした自身の父親を断固として許していないというエピソードも語られている。


ぼくにも全く同じ性質がある。ぼくが怒ったり説教したりするのは親しい人や大事な人であり、そうでない人にはそういうことをしない。

これには2つの理由がある。1つは、大事な人にほど利他心が強くはたらくからだ。「大事な人には良い人生・正しい人生を歩んで欲しい」と思うから、自分の価値観や道徳を強く押し付けようとする。

もう1つは、「親しい人に対しては『この人には強く言っても大丈夫だろう』と考えるから」である。

価値観などを押し付ければ人が一般的にネガティブな反応をすることは分かっている。だが親しい人に対しては、「この人と自分との間には強い信頼関係があるので、自分の言葉なら素直に聞いてくれるだろう」と考えるのだ。

さらに、相手のレベルを高く見積もっていることも関係している。まず「自分がこの人と付き合っているのはこの人の人間としてのレベルが高いからだ」という前提があり、その前提の上で、「レベルが高い人は価値観を押し付けられても嫌な顔をしないし、自分の価値観を吸収してより高いレベルになっていく筈だ」と考える。

言い換えれば、「見くびってはいけない」と考えているのだ。「『価値観を押し付けたらこの人は嫌がるかもしれない』なんて見くびってはいけない。この人は欠点を見つめて直せる立派な人間だと信じないといけない」と自分に必死に言い聞かせている。


以上はあくまでぼく個人の思考回路だが、神田和美と阿久津真矢も同様の思考回路を持った人間として描かれているとぼくは感じる。

ぼくが「笠原くんは大事な友達だから良い方向に導かなきゃ。笠原くんなら強く言っても大丈夫だ」と考えたように、神田和美は「由介は大事な友達だから学校に来させなきゃ。由介なら『俺確かに卑怯者だったわ。学校行くよ』と言ってくれるだろう」と考えていたし、阿久津真矢も「夫は大事な人だから悪いことをしていると認めさせなければ。私が言えば改心するだろう」と考えていた。そういう風に描かれていると思う。

こんな思考回路を持っている人間は、「好きな人にほど嫌われる」という現象に見舞われることになる。悲劇と言う他ない。


考えを押し付けることは義務

分かるだろうか? ぼくのような人間は、「自分の考えを押し付ける」という行為を権利ではなく義務だと考えているのだ。

「自分がこの人を高いレベルに押し上げて良い人生を歩ませなければいけない」と思っている人間にとっては、「考えを押し付けない」というのは相手の尊重という美徳ではなく、義務の放棄という悪になる。

しかしその義務を果たした結果、ぼくはどうなったか? 「欠点を直してあげよう」という利他心を持って、「より良い人間にしなければ」という義務感に駆られて、「この人なら大丈夫」と信頼して考えをぶつけた結果、どうなったか?

全ての人から嫌がられ、ある人とは絶交寸前までいき、ある人からはブロックされた。自分の周りからどんどん人が離れていった。「多少嫌がられるかもしれない」とは予想していたが、多少どころではなかった。「この人なら大丈夫」では全然なかった。想像もしていなかったぐらいの勢いで人はぼくに反発し、心を閉ざした。

ぼくは訳が分からなかった。なぜ人が離れていくんだろうと、ずっと不思議で仕方がなかった。そんな悩みのピークにいた時に『女王の教室』を見返し、ハッとさせられたのである。


人には人の考えがある

ここでもう一度、阿久津真矢が神田和美に言ったセリフを引用してみよう。

「『みんなのため』とか言って、しょせん周囲に自分の考えを押し付けてるだけじゃない、あなたは。自分だけが正しいと勘違いするのはやめなさい。人に無理に分かってもらおうと思うのもやめなさい。そんなことをしていたら結局、自分の周りには誰もいなくなって、一人ぼっちになるだけよ」

ぼくに向けて書かれたセリフのようだ。ぼくが噛みしめるべき教えが、このセリフに詰まっている。

そう、「相手のため」と言っていながら、ぼくはただ自分の考えを押しつけていただけだった。自分だけが正しいと勘違いしていたし、人に無理に分かってもらおうとしていた。

そういうことをしたらなぜ人は反発するのか? それには、自身が務める会社の不正のニュースについて詰められた時の、阿久津真矢の夫のセリフが参考になる。

「自分の父親がそうだからってムキになるな。お父さんだってきっと色々な事情があったんだ。私立の学校なんてしょせん会社なんだから、経営していくにも色々あるんだ。それなのに、『教育者が不正するなんて絶対許せない、裏切りだ』なんて言って自分から家を出るなんて……」

そう、人には色々あるのだ。人には人の、考えや、価値観や、生き方や、事情や、選択や、正義がある。それらは誰にとっても極めて大事なものだから、偉そうに否定されたら人は反発するのだ。自分の核を傷つけられたような気持ちになるのだ。

たとえそれが会社の不正という犯罪行為であっても、である。「不正を許容しろ」ということではない。「自分から見たらどれだけ酷いことであってもその当人にとってはそれは色々な事情から選択した結果なのだから、無闇に否定したら反発されて当然」という話である。

犯罪をした人間でさえそうなのだから、犯罪をしていない人間が反発するのはもっと当然である。

真鍋由介は色々と考えた末に「学校に行かない」という選択をしたし、神田和美の中学のクラスメイトにとっては「バラバラのクラスのままでいる」というのが自分たちが良いと思う生き方だった。
「学校に行くべき」「クラスみんなで仲良くなるべき」というのは、あくまで神田和美の考えでしかない。それを無理やり押し付けたら反発されるのは当たり前である。

笠原くんがお礼を言わなかったことは、おそらく試行錯誤の結果ではなく単にうっかりしていただけだろうと思う。だけどそれでも、お礼をあまり言わない(言えない)というのが笠原くんの生き方なのだ。それを友達の分際で偉そうに否定してはいけなかった。

ぼくが説教してきた他の人たちにも、それぞれの生き方や考えがあっただろう。ぼくはそれを全く尊重してこなかった。嫌われて当たり前である。


ではどうすればいいのか?

では、一体どうすればいいのだろうか? 「人には人の考えがあるから」と、一切の干渉を控えなければならないのだろうか?

そうではない、とぼくは思う。

自分の考えを押し付けようとする背景には、勘違いからくるエゴもあるが、純粋な利他心もある。それは嘘ではない。

「この人はこのままじゃダメになってしまいそうだな。なんとかして良い道を歩んでもらいたいな。自分に何かできるかな」

そういう利他心自体はとても素晴らしいものだ。人間が持つ極めて尊い感情である。ただその感情のぶつけ方を間違えると人を傷つけてしまうので、細心の注意を払わなければならない。そういう話だと思う。

「人に無理に分かってもらおうとするのはやめなさい」と言った後、阿久津真矢は神田和美にこう諭す。

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「あなたのやったことが本当に相手のためを思っているなら、あれこれ言い訳をしなくても、相手は分かってくれます。あなたの愛を感じ取ってくれます。辛くてもそう信じなさい」


この言葉を受けた神田和美は、数日後にまた阿久津真矢の元を訪れる。今度は2人の友達を連れて。そして、元気よくこう報告する。

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「先生に言われた通り、『周りの人に何言われようと自分の好きなことやろう』と思ってお笑いのサークル作ったら、2人が入ってくれたんです!」

2人の友達もにこやかにそれぞれこう言う。

「私たちも面白いこと大好きだったし!」
「それに、和美ちゃんがクラスを明るくしようと一生懸命なの見て頑張ろうと思って!」

これが、1つの正解だと思う。自分の考えに合わない人を無理やり動かそうとするのではなく、自分の考えに共感してくれる人にはたらきかける。そういう姿を見せれば他のクラスメイトも共感してくれるかもしれない。もちろん共感してくれないかもしれないが、その時はその時である。無理やりなんとかしようとしてはいけない。

この神田和美の姿を見て阿久津真矢はほんのわずかに微笑み、「これでもう、私のところに来る必要はないわね」と告げる。神田和美はついに、自身の最大の欠点を克服したのだ。


自分の考えに共感しない人にもはたらきかけたい場合

神田和美はとりあえず自分の考えに共感してくれる人にはたらきかけることを選んだが、自分の考えに共感しない集団や個人にどうしてもはたらきかけたい場合もあるだろう。持論だが、そういう場合は以下のことに気をつければ良いのではないかなと思う。

・自分の考えが間違っていたり相手に合わなかったりするかもしれないと疑う
・偉そうにしたり怒ったりしない
・自分の気持ちを伝える
・相手が変わらなくても放っておく

最初の2つは説明不要だろう。

「自分の気持ちを伝える」というのは、「あなたはここがおかしい」とか「あなたはこうすべきだ」という言い方ではなく、「自分はこう感じた」とか「自分はこうしてほしい」とか「こうした方がいいんじゃないかと自分は思う」とかいう言い方にするということだ。

人の生き方を決める権利は誰にもないが、自分の気持ちを言うのは自由である。そして、気持ちを表明されただけでは人はおそらくそんなに気分を害しないのではないかと思う。

「学校に来ないなんて卑怯よ」と言われたら反発したくなってしまうが、「私が寂しいから学校に来てほしい」と言われたら学校に行こうかなという気になりやすいだろうし、「お前は自分のことしか考えてない」と言われたら心を閉ざしてしまいたくなるが、「ぼくのことも少し考えてくれたら嬉しかった」と言われたらそんなに嫌な気持ちにはならないかもしれない。

例えるなら、ボールをただ見せるイメージだ。「自分はこういうボールを持っているよ」と相手に見せるだけで、ぶつけることは決してしない。

相手がそのボールを気に入ったら受け取ってくれるかもしれないが、受け取らないかもしれない。その時は、「そうなのね、分かった」と言って、文句を言わずにボールを持ち帰る。その結果相手は不幸になってしまうかもしれないが、それは相手の問題だと考え、良い意味で放っておく。

そうするだけで、人との関係を悪くするリスクは激減できるのではないかなと思う。


まとめ

神田和美と阿久津真矢は、人並み外れて純粋で利他心の強い人間だ。それはすごく良いことである。「他人なんか関係ない」と無干渉・無関心を決め込む人よりも、「人のために何かをしたい」と燃える人間の方がずっと素晴らしいと思う。ぼくも自分のそういう面が好きだし、誇りに思っている。

だが、そういう人間はしばしば、自分と同じことを人にも要求しがちになってしまう。

しかし無闇にそんなことをすれば人間は反発する。それはその人のレベルが低いからではなく、人には人の考えや価値観や事情があるからだ。他人の目からどれだけ間違っているように見えても、それらを無理やり変える権利は誰にもない。

ただし、少しはたらきかけることはできる。冷静に謙虚に、自分の気持ちをそっと伝えることだ。ボールをぶつけずに、ただ見せることだ。

その結果、相手はそれを受け取ってくれるかもしれないし、受け取らないかもしれない。もし受け取らなくても、それはその人の選択なのだと考えて尊重しなければならない。やれる範囲でやっていくしかないのだ。


以上、ドラマ『女王の教室』を見て気づかされた自分の勘違いと教訓について書いてみた。ぼくの発信を普段から見てくれている人たちからは、「いやお前、この気づき普段全然活かせてねえじゃねえか」と思われているかもしれない。

そう、この記事に書いた気づきを得たのは半年前なのに、ぼくはこの半年間でも様々な対人トラブルを引き起こしている。ぼくはいま26歳だが、長年かけて染み付いた生き方はそう簡単には変わらないみたいだ。色々と偉そうに書いたが、阿久津真矢の教えを半分も理解・実行できていない気がする。

正直に言えば、この記事を書いている途中までは「いや、『自分だけが正しいと思うのはやめなさい』って言われてるけど、神田和美の『クラスみんなで仲良く』っていう価値観は絶対正しいだろ」と思っていた。
そしてこの記事を書きながら、「いや待てよ。仲良くしたくないと考える人もいるから、神田和美の考えが絶対正しいわけでもないのか」と気づいて、「『クラスみんなで仲良くなるべき』というのは、あくまで神田和美の考えでしかない。それを無理やり押し付けたら反発されるのは当たり前である」などとしれっと書いたのである。「まだそんなことも分かっていなかったのか」と自分で驚いた。

そんなぼくだから、たぶんこの先も何度も、同じ過ちを繰り返しそうになるだろう。体癖を変えるのは本当に難しい。だけど、その体癖が良くないものであると頭で認識できているのとできていないのとでは、きっと天と地ほどの違いがある。

だからぼくは、『女王の教室』というドラマを忘れないようにしたいと思う。神田和美の失敗を、阿久津真矢の後悔を、心に刻みつけなければならない。

自分が正しいと過信しそうになった時、他人に自分の考えや価値観を押し付けたくなった時、阿久津真矢のこの言葉を思い出そう。

「自分だけが正しいと勘違いするのはやめなさい。人に無理に分かってもらおうと思うのもやめなさい。そんなことをしていたら結局、自分の周りには誰もいなくなって、一人ぼっちになるだけよ」

いい加減、目覚めなければならない。

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