『嫌われる勇気』 第一夜 感想

読書会まで時間がないので雑に書く。一言で言うと、

「自分なら『納得できない!暴論だ!』と反発しまくるかと思いながら読んだけど、第一夜はそんなに反発するところがなくむしろ同意できるところが多かった」

という感想になった。


本としての出来について

まずは内容の前に本の出来について語る。

嫌われる勇気3

なんだこの表紙は。一行目が「嫌」の一文字で不自然に改行されているのが気になって仕方がない。「嫌わ」「れる」「勇気」の方がまだ読みやすくないだろうか。

ひらがな3文字を一行に並べたいのなら、縦書きにして「嫌われる」「勇気」にすればよかったのではないだろうか。

そして真ん中に赤い文字があることにしばらく気がつかなかった。薄くない青に濃い赤は相性が悪すぎるだろう。どういう色彩感覚をしているんだ。


嫌われる勇気2

引用:https://www.amazon.co.jp/dp/B00H7RACY8/ref=cm_sw_r_tw_dp_1D1R2FCSX73QBHR9BQXT

ツイートでも書いたけど、余白が気になる。同じ大きさの他の本は上をもっと空けているのに、なぜそんなに上を詰めているのか分からない。こんな仕様の本は初めて見た。

だが、「悩みを持った青年が、アドラーの教えに長けた哲人と対話をする」というスタイルはすごく良い。小説の形だから非常に読みやすいし、暴論に見えることを言う哲人に対していちいち青年が「あなたの言うことは暴論だ!」と怒ってくれるのでストレスが少ない。これは非常によくできた仕組みだと思う。青年のツッコミがなかったら読み手がストレスを抱えまくることになるだろう。


次からは本に書かれていることとそれに対しての感想を書いていく。

すべては捉え方次第


「世界はシンプルであり、世界を複雑なものにしているのはその世界を見ている人間である。『どうであるか』ではなく『どう捉えるか』が大事だ」みたいなことを哲人は言う。

これはある程度は分かる。ぼくはかなりのプラス思考で、普通の人だったらマイナスに感じることをプラスに捉えることができることが多いからだ。

だけど「どう捉えるか」という問題でないこともたくさんあると思っている。例えば死ぬ寸前の飢餓や病気などプラスに捉えようがないだろう。物理的に苦しいんだから。この哲人は「すべては捉え方次第なので誰でも今この瞬間に幸せになれる。1人の例外もなく」と言っているが、この哲人をボコボコに殴って「お前は今も幸せなんだろ? すべては捉え方次第だもんなぁ?」と言ってみたらなんて答えるのかすごく気になる。


目的のために感情を作り出している


「人は感情に動かされて何かをするのではなく、何かをするという目的がまずあってその目的を叶えるために感情を作りだす」と哲人は言う。

これは第一夜で一番納得できなかったことだ。「そこまでの暴論言うか!噂には聞いてたけど!」という感じである。

そりゃある程度は目的のために感情を作りだす場合もあるだろうけど、突発的でコントロールが効かない感情は絶対にあるだろうとしか思えない。そういうものまで目的のために作り出したなんて意味不明すぎる。

だけどまぁ読み進めていくうちにもう少し納得いく説明が出てくるんだろう。


人は未来を自由に選び取ることができる

哲人は「人は未来を自由に選び取ることができる」と言う。「過去が人に与えている影響はゼロではないが、全てを決定しているわけではない。大事なのは『今、ここ』であり、今後の人生をどのように生きるかは自分で決めることができる」と。

この主張にぼくは大賛成である。ぼくも全く同じ哲学を持っている。

「人は変われる。いつからでも、どんな風にも」

というのがぼくの哲学であり信念である。だからこそぼくは人を変える学校を作りたいと思っているのだし、だからこそ自分が生まれ変わろうと今必死にもがいているのだ。ぼくは自分が劇的に生まれ変われると信じているし、人のことも変えられると思っている。

もちろん変わることは容易ではない。自分1人で変わるのは不可能に近い。だが人の助けがあればずっと変わりやすく、不可能はないと思う。

……と言い切りたいところだけど、実は例外はあると思っている。例えば麻原彰晃とか植松聖みたいな人はもうどうしようもないだろうと思ってしまう。だがそういう極端な例でない限りは変われると思っている。

だから、この「人は変われるか」という点に関してはぼくは青年とは対極である。ぼくは他の人から言われているように青年とすごく似ているなと思っているが、ここは全く共感できない。変われないと嘆いていたっていいことはないだろう、足掻けよ、と思う。


トラウマなど存在しない

繰り返しにもなるが「トラウマなど存在しない。過去は現在に影響を与えているが、現在からの選択は自由にすることができる」と哲人は言っていて、これも同意できる。

ぼくにも色々と苦い過去はあるしその影響はかなり受けていると思うけど、過去による影響から絶対に逃れられないとは全く思っていない。分かりやすい話でいうと、子どもの頃から病院のお世話になっていたのと母親に「恩返しするのよ」と言い聞かされていたせいで「返すべき恩を少なくしよう」と考える特性がぼくの中にできてしまっているみたいだが、そんなのはそういう特性があると自覚して変えようと決意すれば変わるだろうと思っている。もちろん簡単ではないし試行錯誤や一進一退は繰り返すだろうが、どんな過去による呪縛も乗り越えられると思っている。

ただこれはぼくにまだ深刻なトラウマがないからそう思えるだけで、深刻なトラウマを持っている人はそうは思えないだろうし、そういう人に軽々しく「トラウマは存在しない」と言ってはいけないよなとは思う。


目的に沿って生きている

「引きこもっている人は引きこもりたいという目的に沿って生きているし、小説を書けないと悩んでいる人は小説を書きたくないという目的に沿って生きている」と哲人は言う。

これも結構分かる。人間には意識と無意識の両方があり、意識は変わることを望んでいても無意識が変わらないことを望んでいたら人は変わらないことを選択してしまう。

人間には「恒常性(ホメオスタシス)」という特性があり、変化を恐れるのだ。

……ということをぼくは知識と体験によって知っているので、あまり真新しい話ではなかった。


大切なのは何が与えられているかではなく、与えられたものをどう使うか

これも完全に同意する。与えられていないものに目を向けていたって仕方がない。与えられているものを上手に組み合わせながら活用していけば大抵の望みは叶う。


ライフスタイルは10歳前後で決まる

と本に書いてあったけど、めんたねさんは「10歳前後“まで”に決まる」と言っていた気がする。どっちだろう。


青年のキャラがいい

内容とは別だが、青年のキャラがいい。

・「先生を頭ごなしに否定しようとは思いません」と自分は理性的であるとアピール

・「この人生をやり直せるならわたしは喜んで先生に跪きましょう。もっとも、先生がわたしに跪くことになるやもしれませんが」というセリフ

・「論破してやろう」という意志

・「言葉が汚くてすみませんでした」と自分の非を認め謝る素直さ

などなど、噂に聞いていた通りものすごくぼくに似ている。共感しながら読めるので楽しい。


今のところの印象

「嫌われる勇気」に対しての今のところの印象は、「暴論を理解するのが難しそうだけど希望のある本だなぁ」である。

人間の感情への捉え方があまりにも荒唐無稽で意味不明なところはあるが、「人はこれからの人生をどのようにでも選ぶことができる」というのは非常に大きな希望だと思うし、ぼくの哲学ともマッチしていて好きである。

だけど第二夜以降でたぶん「こんなの納得できない!」と思い出すのかなと思っている。


以上。他の人の感想に興味があるので、今夜の読書会が楽しみである。

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