くぼたか史 ep6 5年生

笠松くんが奥田くんを引きずっているのを見た平岡先生が、信じられないことを言った。

「その辺にしておきなさい」

ぼくは思わず平岡先生の方をまじまじと見た。「その辺にしておきなさい」? 笠松くんが奥田くんに何かをされてその仕返しで引きずっているとかなら分かるけど、奥田くんは何もしてなくて一方的に酷い目に遭ってるのに、なんでそんなことを言うんだ? 教師なら「やめなさい! 何やってるの!」って叱るべきだろ。

40代のおばさんである5年2組の担任の平岡先生にはいつも本当にがっかりさせられる。藤田先生と大違いで、教師としての熱意や能力を全く感じない。「生徒を良い方向に導こう」みたいな気概を見せられたことも、面白いことを言って生徒を笑わせたこともない(1度だけ生徒の名前を呼び間違えるという事故で笑いが起きたことはある)。しかも頭も固い。

以前、クラスで卓球が流行った時があった。と言っても体育館で卓球台を使ってやるやつではなくて、教室で机を合わせてやるやつだ。ラケットとボールだけ本物を各自持ってきて、机と机の間に下敷きを挟んで楽しくプレーしていた。

でもそれを、平岡先生が禁止した。教室で卓球をやると危ないからだそうだ。
だけど、ぼくたちは納得できなかった。他にもっと危険な遊びをしている人たちがたくさんいたからだ。
ぼくたちの学年には反抗心真っ盛りな生徒がたくさんいて、先生の手に余っていた。音楽の先生はタケに反抗されすぎて感情的になってタケの鉛筆を折ってしまったし、温厚な竹山先生も授業中に生徒に騒がれ続けたストレスで泣きながらブチ切れたらしい。

そんなヤバイ学年だから教室で卓球より危険な遊びをしていた人たちなんていくらでもいたのに、そちらには注意せず、ぼくたち真面目グループが卓球をやっているのを禁止するのは筋が通らないと思ったのだ。

この話をお母さんにするとお母さんも憤って、確かPTAの時か何かに平岡先生に話をしたらしいんだけど、平岡先生は考えを変えなかった。教師失格だと思う。


平岡先生から視線を外し、ぼくは奥田くんを同情的な目で見つめた。奥田くんも李さんと似た感じで、なんだか変わったところがあって酷い目に遭いやすい。いじめというレベルでは全然ないと思うけどよくからかわれたりする。でも、こうして地面を引きずられるのは初めてだ。男子のノリではあるんだけど、見ていて痛々しい。

ぼくは奥田くんを見ながら、奥田くんはいい人なのにな、とぼんやり思った。
4年生の時、クラスの代表委員が全然決まらなかった時があった。誰も立候補しないので推薦で決めませんかと誰かが提案したけど、藤田先生は頑としてその案を受け入れなかった。

「こういうのは自分で立候補することに意味があるんです。誰かが立候補するまでいくらでも待ちます」

そして、本当に30分ぐらいじっと待ったのだ。みんな一刻も早く退屈で重苦しい時間を終わらせたいのに、ぼく含め誰も立候補しない。だけどその時、奥田くんがゆっくりと手を挙げたのだ。

「じゃあ……ぼくがやります……」

声が小さかったしすごく嫌々という感じだったけど、誰もやりたがらない中で勇気を出して名乗りを上げた奥田くんを、ぼくは本当に尊敬してしまった。


ああ、でも奥田くんにはやっぱり変なこともあったな。プールの着替えの時間、男子は教室で着替えるんだけど、奥田くんが西川さんの机に裸のまま座ってしまって、あとで男子がそれを西川さんに告げて西川さんが泣き出してしまったことがあった。ぼくとしては正直面白かったけど、まあ嫌われるよねとは思った。


さて、奥田くんを助けるべきだろうか。でも引きずってる子も悪い子じゃないし、いじめじゃないからな……。

ぼくは心の中で先生を責めてたくせに、何もしなかった。



家に帰って少しのんびりしてから、塾に向かった。

塾の授業はいつもは17時から始まるんだけど、今日は1限目の算数でいつもより多く小テストをやりたいから10分早く集まってくれと言われている。だから16時45分には着くように家を出ようと思ってたのに、なぜか家を出るのが遅くなってしまった。いつもそうなんだよな……。やばい、遅刻する……。

全速力で自転車を漕いだけど、塾に着いた頃には16時53分になっていた。息を切らしながら教室に入る。すると、爆笑が起こった。

「やっと来たか久保〜!」

ぼくは目をぱちくりさせた。小テストをやっているんじゃなかったのか……?
困惑していると、沼田先生が種明かしをしてくれた。

「最近久保がいっつも遅刻するから、前回の授業の始業してから久保が来るまでの時間に、『久保は言われた時間より必ず遅く来るから、次は10分早く授業が始まるってことにしよう』ってみんなに言っといたんだよ。そしたらお前本当に遅れてきたから、やっぱ嘘の時間言っておいて正解だったわ!」

またみんなが爆笑する。ぼくは恥ずかしくて穴があったら入りたかった。確かに最近いつも遅刻してたし今日も遅刻したから、何も言い返せない……。ぼくは基本的に時間を守れるし最近も学校にはちゃんと間に合ってるのに、どうして最近の塾にだけいつも遅刻してしまうんだろう……。


トボトボと席に着くと、いつも通り授業が始まった。といっても急にすごく真面目になるわけではなく、さっきの賑やかな雰囲気がある程度残ったままだ。この塾はゆるい空気なのがいい。いつもみんな笑い合っていて、学校よりも楽しいぐらいだ。特に女子が面白いし優しい。前にぼくが病気のトラブルを起こして授業中に半泣きになった時、みんな本気で心配してくれた。

授業の流れで、沼田先生が面白い話をし始めた。「『0』って数字は実は最初は存在してなくてな……」

「あ、知ってます!」ぼくはとっさにつぶやいた。「インド人が発明したんですよね!」

「ああ、そうそう」沼田先生はそう頷いたけど、若干顔に影が差した。それを見てぼくは猛烈に反省した。ああ、またやってしまった……。

ぼくはこうして、自分の知っていることを場の空気を読まずにパッと言ってしまうところがある。「言ってしまう」というか、長い間それが悪いことだとすら気づいていなかった。

詳しくは覚えていないんだけど、以前ぼくが「沼田先生から意味不明に叱られた」とお母さんに言って、お母さんが塾に行って沼田先生と話をしたことがあった。しかし沼田先生は「それは久保くんが悪いんですよ」と答えたのだ。

「久保くんは授業中に唐突に、『これ知ってます!』としょっちゅう言ってくるんですよ。科学雑誌の……『そーなんだ!』って言うんですか? それを読んでいることですごく知識があるみたいで、どうしてもひけらかしたいみたいです。しかし塾には全体の流れや空気というものがありますから、それを乱すなと私は叱ったのです」

母は驚いて、そのまま帰ってきて沼田先生から聞いたことをぼくに伝えた。ぼくはそこで初めて、ぼくがやっていたことが全体の迷惑で、沼田先生はそのぼくの不適切な行為を適切に叱っただけだと分かり、反省した。

「そっか……。それだったらぼくが悪いね。これから気をつける……」

素直にそう言ったぼくを見て、お母さんは「強く叱られたのに自分が悪いって思えて偉いね」と褒めてくれた。

……ということがあったからもう同じ過ちはしないと思ったのに、油断してたまにこうしてついまた同じことをやってしまう。気をつけないとな……。


しばらくすると沼田先生が小テストプリントを配り、みんなで取り組み始めた。流石にみんな完全に静かになる。いつも賑やかな人たちが真面目に黙ってしまうのってなんか怖いな、といつも思う。

うーん、なかなか難しいテストだ。7割ぐらいしか解けない。やっぱりぼくってそんなに天才じゃないのかな……?

どういうわけか、ぼくは1度だけ全国テストの算数で100点を取ったことがある。平均点が70点ぐらいのテストだったから、72というとんでもない偏差値が出た。先生たちも本当に驚いて、「この子は天才だ!」という目で見てくれたんだけど、なぜかそのあとは普通の成績に戻ってしまった。本当にどういうまぐれで100点を取れたのか、意味が分からない。


でも、学校や塾の勉強はともかくとして、ぼくは地頭はいいだろうと思っている。菌つけごっこで菌を自由に取ったりつけたりできるシステムを信じていないこともそうだし、この前も1つ、「ぼくって頭いいなあ」というか、「人って頭悪いなあ」と思った出来事があった。

何かの本で「この世に絶対はない」と読んで「確かに」と思ったぼくが、給食の時間に「絶対そうだよ!」みたいなことを言った内村さんに突っ込んだのだ。「この世に絶対はないんだよ」

すると内村さんは「そんなことないよ。例えば月曜日に少年ジャンプが発売されるのは絶対でしょ?」と言ってきた。ぼくは「今日大地震が起きたら発売されないじゃん」と即座に切り返したのだけど、内村さんの返答はなんと「でも発売されるかもしれないじゃん」というものだった。「絶対」という言葉の意味を分かってないなんて頭が悪すぎるなと思った。


言葉の意味が分かってないといえば、武藤くんも酷かったな。あるとき「久保って最低だな」と言われたから、「『最低』って、一番低いって意味だよ? ぼくは犯罪者とかより酷い人間ってこと?」と言ってめちゃくちゃ怒ったことがある。ほんとにみんな、言葉は正確に使って欲しい。


あ、自分の頭がいいと思ったエピソードをもう1つ思い出した。リレーだ。

体育の授業でリレーをやるとき、ぼくのチームは相手チームより1人少なかったから、誰かが2回走ることになった。クラスのみんなは1番足の速い飯塚くんを最後に2回連続で走らせようと話していたんだけど、ぼくはおかしいと思ってこう言ったのだ。

「最初と最後に走った方が、途中で体力回復できていいんじゃない?」

すると、普段はぼくのことを軽く見ているヤンチャな人たちが全員「確かにそうか」と納得してぼくの案を取り入れてくれた。あれはなかなか気分が良かったな。


色々なことを思い出してしまって全然テストが進まない。それにしても本当に難しいな、この問題……。

ああ、こうやって問題が解けなくて頭の悪さを突きつけらるのって嫌だなぁ。頭が良くなって、どんな問題でもたちまち解ける人になりたいなぁ。





〜〜〜〜〜

(後書き)

今回もぼくとしては重要なエピソードがあんまりなかった気がしています。前々回も今回も、「ぼくの中では重要な記憶じゃないけど、この年代の記憶を遡ってみたら一応こういうのがあったから書いてみた」という部分が多くて、それらがぼくのライフスタイルを考える上で重要なエピソードかどうかは自分ではよく分からないです。


この記事の年代である5〜6年生の時期にぼくが触れたコンテンツに、漫画の『ブラックジャック』と『ケロロ軍曹』があり、記事の中で書けなかったのでここで補足します。

(ちゆさんがチャットで『ケロロ軍曹を読んだのは中学生の時とのことです』とおっしゃっていて、確かに以前ちゆさんにそう言ったのですが、昨日「やっぱり小学生の時だったわ」と気づきました。モアちゃんの「ってゆ〜かぁ、○○○○(四字熟語)?」という口癖を掃除の時に真似をして言ってみたら小野さんに「面白くないよ」と引かれた記憶を思い出したからです。小野さんと中学は別です)


ぼくの母は「漫画は教育に悪いから子どもに読ませちゃいけないものだ」という考えを持っていました。そして友達と漫画の話をしたり友達の家に漫画があったりしたことはほとんどなかったのでぼくも漫画が欲しいと母に言うことはなかったのですが、母がなぜかある時急にブラックジャックの漫画を買ってくれたんですね。「ブラックジャックは教育的だからOK」という判断だったみたいです。

初めて漫画というものを読んだぼくは相当な衝撃を受けました。「面白すぎる!!」

そりゃあこの世にある漫画の中でもトップクラスに面白い『ブラックジャック』なのでそう思うのは当然なんですが、ぼくは本当にハマって、小学生の間だけでも全17巻を3周はしたと思います。優しくて熱いブラックジャックを見て、こんな人になりたいなと憧れました。


またケロロ軍曹もかなり面白くて何回も読みました。地球征服という野望を持ちながらダラけたりふざけたり失敗したりしていつまでも何も達成できない、そのくせいつも明るくて面白いケロロを見て、「こういうキャラっていいなぁ」と思っていました。


ブラックジャックの方はどうか分からないですが、ケロロ軍曹の方はぼくの人格にかなりの影響を与えたのではないかと推測しています。さっき言ったケロロの特徴、ぼくに酷似していますよね。「ケロロはいいキャラだなぁ」と思っただけで「ケロロみたいになりたい」と思った記憶はないのですが、何度も繰り返し漫画を読んでいるうちに無意識にケロロの生き方を真似するようになってしまったのかもしれません。

もしその影響から逃れることができないのなら、ぼくは一生地球征服ならぬ世界平和を達成できずに毎日ギャグ漫画のような生活を送り続けることになってしまいます……が、なんとかして逃れるつもりでいます。


ああそうだ、大事なことを忘れていました。この記事で書いた塾に通っていたのは学芸大学附属中学に受かる為でした。

母はなるべくなら子どもを公立に通わせたくないという考えを持っていて、でも私立はお金がかかるからと、国立の学芸大学附属中学にぼくと姉を受験させました(子どもだったのでぼくは特に疑問も反抗もなく「はーい」という感じでした。姉もおそらく同じ感じだっただろうと思います)。

ただしスパルタでは全然なくて、健康で生きていればそれでいいという考えも強かったので、塾には行かせるけど、帰ってから勉強させようとは特にしてなかったみたいです。確かに家で勉強した記憶はほとんどありません。

ぼくは学芸大学附属中学は相当難しいところだと噂で聞いていて、家で勉強してないし塾でもゆるゆるとやっていたので受かるはずないと思っており、子どもながらにして「子どもの能力を高く見積もりすぎなんじゃないの……?」と考えていました。

でもおととい母に電話で聞いてみたら、「学芸大学附属中学はそんなに詰め込みが必要なくて発想力が問われる要素が大きいから可能性は普通にあると思った」とのことです。


さて、受験日当日は、とんでもない事件が起こりました。
朝、ぼくが「今日は大事な日だから何言っても怒らないよね! 例えば○○交差点の場所が分からないとか言っても」と言うと、母が笑った後「本当に分からないわけじゃないわよね?」と聞いて本当に分からないことが判明し、「なんでそんなことも分からないの!!」と激怒されてしまったのです。

ぼくは(自分では発達障害のせいだと思っているのですが)道や建物を覚えるのが極端に苦手で、そう怒られることが頻繁にありました。小学生の時か中学生の時か覚えてないのですが、いつだったか本当に強く怒られて、「そんなことも分からないのに受験勉強したって仕方ないから、もう塾に通うのはやめて毎日1時間街中を歩き回りなさい」と言われたこともあります(結局それは激怒した時の勢いで言っただけでうやむやになったので塾を辞めることも街を歩き回ることもなかったのですが)。

なので受験当日、「そんなお母さんでも流石に今日は怒らないよね?」と冗談を言ったら普通に怒られてしまって、それがすごく激しかったのでぼくがしょげてしまい、母に「このままじゃちゃんとした気分で受験できないから家の下を走って気分転換してきなさい」と言われその通りにしたのを覚えています(こうやって書き連ねると相当ヤバい親に見えますが、印象に残ったエピソードを挙げているから自然とそうなっているだけですからね。基本的には良い親です)。

そしたらぼくもお母さんも冷静になって、「受験当日にこんなに怒ってごめんね。頑張ってね」と言われて受験したような気がします。


しかし受験本番の様子は全然覚えていません。実はおととい母に電話したとき、「そういえばぼくって塾通ってたし学芸大学附属中学を狙ってた気がするけど、本当に受けたんだっけ?」と言ったぐらいです。受験の記憶がすっぽり抜けているのです。

これはなぜかと言うと、小学校の卒業前からぼくの持病が悪化していた為だと思います。

ぼくは中学の記憶がかなり少なく、それも同様の理由なのですが、ぼくの脳は自分にとって特定の種類のネガティブな記憶を忘れる構造になっているようです。

「特定の種類の」というところがポイントで、これまでのくぼたか史で見てきたようにぼくはネガティブな記憶もたくさん覚えています。でもなぜかすっこ抜けている記憶もいくつかあり、その1つが「体調が悪い時の記憶」であるようです。

中学校に入学してからしばらく持病に苦しめられていたということは覚えているのですが、小学校の卒業前に苦しかったという記憶は一切なく、受験本番のことも覚えていません。母はしっかり覚えているのに、これはちょっと恐ろしいなと思います。

……と書きながら思ったんですが、どうなんですかね。他にも遠足とか運動会とか大事な記憶がないこともたくさんあるし、中学までの記憶はそもそも「覚えていることの方が少ない」ので、その「覚えていない」中にたまたま体調不良とか受験本番とかが入っていただけで、別に「体調が悪い時の記憶がごっそり抜け落ちる」構造になっている訳ではないのかも……? ちょっと分かんないですね……。


とにかくぼくには受験本番の記憶はないのですが、電話で母に聞いたところによると、「今日は痛みはゆるいから大丈夫」と言って出かけたらしいです。

いや、ていうか病気が大変ななか必死に出かけようとしてたんだったらなおさら道が分かんないからって怒らないでくれよ!

……とまあそれは置いておいて、合否はどうだったかというと、普通に落ちました。そりゃそうですよね、必死で勉強してなかったんですから。体調が良くても受かってなかったと思います。

母によると、不合格結果を受け取った母が帰宅するなりぼくは期待した顔を苦笑させて「どうだった?」と聞き、「そうか、ダメだったんだ」と悲しそうに笑ってたらしいです。

そしていつもと同じ公園で友達と遊んでいたら、前回の記事でドッヂボールのボールを横取りしたあのジャイアンみたいなキャラのタケが「えー、お前落ちたの〜!」とふざけて野次って笑ったので、お母さんは「この野郎……」と思ったけど、ぼくは苦笑してそのままタケと一緒に遊んで、母はそれを見て本当に立派な子だと思ったそうです。


ちなみにそういったエピソードから母はぼくのことを「勝ち負けにこだわらない人。負けを受け入れられる人」と昔から評価しているのですが、小学校の卒業アルバムを見るとぼくはクラスメイトから「負けず嫌いな人」1位に選ばれています。どういうこと……?

ついでに言うと、その卒業アルバムでは「大人になっても変わらなそうな人」1位にも選ばれていました。なんでぼく小学生の時から今と同じこと言われてんの……?

そのアルバムの写真を確かに撮ったはずなんですが、なぜかスマホのどこを見ても見つかりません……。ここに貼ったら相当面白かったのに……すみません……。

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