くぼたか史 ep14 空っぽ

卒業文集の原稿を前に、ぼくは重い気持ちになっていた。小学生の時のように立派な卒業文を書きたいけど、書くことがない。中学校の3年間では何も頑張ってこなかったし、望月さんと川端とのことでは色々な気づきやドラマがあったけど、あんなプライベートなことは文集には書けない。これはもうどうしようもないんじゃないか……?

いや、諦めてはいけない。何か書けることがあるはずだ。ぼくは中学校での思い出を1つ1つ思い出していくことにした。


まずは体育祭。クラス対抗の大縄の朝練や放課後練を毎日頑張ったな。はじめのうちはぼく含めやる気がない人が多かったけど、練習を重ねていくうちに白熱してみんな一生懸命打ち込むようになった。
連続で飛べた最高記録を競う競技だから、誰かが引っかかったらその時点で記録が止まってしまう。このプレッシャーは半端じゃなくて、自分が引っかかりませんようにと願いながら必死に飛んでいた。

でもぼくが感じていたプレッシャーはD組の谷口くんの比ではなかっただろう。谷口くんは生まれつきの障害で足が悪い。変わった歩き方をしていて、心無いクラスメイトから「谷口の真似」とか言われて真似されたりすることもある。

その谷口くんはみんなに迷惑をかけたくないからといって1年生と2年生の時は大縄を欠場したんだけど、3年生の時は担任の徳田先生の熱意ある説得を受けて出場することにした。詳しくは聞いてないけど、「みんなでやることに価値があるんだ。勇気を出して出てみないか」とか言われたんじゃないだろうか。徳田先生がそういうことを言う情景は簡単に想像できる。

D組が練習するのを見る時はいつも胸がきゅうっとなっていた。他のクラスは20回とか30回とか連続で飛べるのに、D組はいつも5回ぐらいで谷口くんが引っかかってしまうのだ。いくら徳田先生が「みんなで参加することが大事なんだ」とかクラスメイトに言っていたとしても、毎回自分で大縄を止めてしまう辛さは想像に余りある。それでも谷口くんは途中で辞退することなく最後まで練習に参加し続け、本番の時は10回以上飛んだ。本当に尊敬の念が絶えなかった。
ぼくも水泳の授業では誰よりも泳げない上にお腹の傷を隠すためにダサい"上げパン”の水着を着なければならないというハンデを背負いながら1回も欠席せずに出席し続けたけど、谷口くんと同じことができるかといったら自信がない。本当に凄いと思う。

ちなみに谷口くんとはこの学校でぼく以外唯一の身体障害者として何か通ずるものがありそうで最初から仲良くしたいなと思っていて、2年生の時に話しかけたら無事に仲良くなれた。よく家に遊びに行ってスマブラをやったりバカ話をしたりしている。良い友達ができて本当に良かった。


ええと、なんの話だっけ。ああそうだ、体育祭だ。体育祭で他には……臼井くん事件もあったな。

臼井くんはかなり変わった人で、いつも空気を読めないことを言ったりしてよくバカにされている。そんな臼井くんとぼくは3年生の時、短距離走で一緒に競うことになった。

練習では毎回ぼくが負けていたんだけど、本番では奇跡的に勝ってぼくは大喜びした。練習では勝てなかった相手に本番の底力で勝てるなんて!
……でも、ゴールした後の臼井くんの言葉で、そうではなかったことを知った。

「わざと手を抜いたんだよ。君がいつも頑張って走ってたから、1位にさせてあげたいと思ったんだ」

ぼくはその言葉を聞いて、お礼を言うどころか怒った。

「なんだよそれ。勝負なんだからそんな同情で手を抜くなよ。全力で走ってくれた方がぼくは嬉しかったよ」

すると臼井くんは笑った。

「君はいいやつだな。自分が負けてでも他人に全力を出して欲しいなんて」

ぼくは臼井くんの行動は嫌だったけど気持ちは優しいなと思ったから、もう怒るのはやめてそのあとは仲良くしゃべった。正直臼井くんはかなり変な奴だなと思ってたけど、その一件以来「実はすごくいいところがある人なんだなぁ」と一目置くようになった。


体育祭の思い出はこんなところかな。じゃあ次は合唱コンクールのことを思い出そう。

体育祭も嫌いだけど、合唱コンクールはもっと嫌いだった。なんせぼくは「音感が分からない」という父親の遺伝子をそっくり受け継いでしまって、絶望的に音痴なんだから。「イメージ通りの音が出せない」とかいうことではなく、「自分の音が外れているかどうかも分からない」というタイプの音痴で、例えばSMAPの中居という人が音痴だということすら全く分からない。

だから練習しても一切上達しないのに、毎日のように朝練や放課後練に参加しなければならないのがすごく嫌だった。体育祭にも言えることだけど、その行事が好きな人もいれば嫌いな人もたくさんいるのに、どうして学校は行事にほぼ強制的に全員を参加させるんだと思った。運動が嫌いな人は体育祭に出なくてもいいし、歌が嫌いな人は合唱コンクールに出なくてもいいという緩い感じにして欲しいとよく思う。
でも行事の後は充実感があったりして、「強制されないとこんなこと絶対にやらなかっただろうから、やっぱり強制って大事なのかな」と思うこともある。

合唱コンクールも体育祭と同じく練習しているうちに白熱してしまって、上達しないと分かっているのに一生懸命練習に取り組むようになった。まあ、空気に流されていたというやつだ。
それで本番はものすごく緊張して、ぼくがぼくなりにうまく歌おうがどうしようが結果には全く関係ないのに、その場に立っているのもやっとだった。大勢に紛れて歌うだけでもこんなに緊張するのに、たった1人で重要な指揮者をやる晴人は本当に凄いなと思った。

本番では優勝できなくて、クラスのヤンチャ組が「『Believe』じゃ勝てねえよ。『空駆ける天馬』じゃねえと」とか言ってたのを聞いてめちゃくちゃダセえなと思った。結果が出るまではそんなこと一言も言ってなかったのに、結果が出てから勝てなかった要因を何かのせいにするのはカッコ悪い。


合唱コンクールはそれぐらいかな。あとは印象に残ったイベントは特にないな……。あ、でも先生の思い出は結構あるかも。先生について思い出してみよう。

ぼくは1年生と3年生の時は宮内先生に、2年生の時は徳田先生に担任をしてもらった。

宮内先生はあの『鏡の法則』の本を勧めてくれた女の先生で、普通に好きだ。

まず、ぼくの病気を気にかけてくれるのがありがたい。1年生の時、入院中にお見舞いに来てくれて嬉しかったし、ぼくが休んだ時、クラスメイトに「久保くんは1日に何度も痛い思いをしてるんだって。でも気づかないでしょ。一生懸命我慢しているからだよ」と言ってくれたらしいことにはすごくジーンとした。

あとはなんだろう、「気持ちを伝えてくれるところ」が好きかな。
3年生の時、火災報知器のランプが立て続けに何者かに壊される事件が起きていた。生活指導の先生が全校集会で「本当に酷い行為です。壊した人はすぐに名乗り出なさい」と怒っていたのがぼくは納得できなくて、教室に戻ってから、「何か知ってることがあれば書いてください」と言われて配られた紙にこう書いた。

「わざわざ学校のものを壊すなんて、たぶん心に何かストレスとかがあってやっているんだと思います。ただ頭ごなしに叱るのではなくて、教師ならその心の問題を見て、優しく話を聞いてあげて欲しいです」

その紙が回収された後、宮内先生はぼくとすれ違う時に小声で「読んだよ」と言ってくれた。それがすごく優しい言い方で、「ぼくの真剣な思いや考えをきちんと受け止めてくれたことを伝えてくれて嬉しいな」と思った。

あと、よくクラスメイトに弱音を話すのだけど、先生なのに弱い部分を割とさらけ出してくれるところがいい。

ああ、それと、山村くんに激怒した事件もあったな。山村くんが何かの拍子に「先生って腰掛けで先生やってるんでしょ?」と言ったら宮内先生は信じられないぐらい激怒して、その言葉で本当に傷ついたということをすごい熱意で伝えていた。

うん、やっぱりあれだな、こうして振り返ってみると、宮内先生の特徴はやっぱり「気持ちを伝えてくれること」と言える気がする。ぼくは先生のその特徴が好きだ。


徳田先生は40代ぐらいの関西人の男の先生で、大縄に参加するように谷口くんに説得したエピソードが象徴するように、ものすごく熱い人だ。

1番印象的だったのは1年生の時の体育祭の本番後の出来事だ。校庭に持っていった椅子を教室に戻すために運ぶ際、ぼくはふざけて背もたれと座面の間にある隙間に頭を入れて運ぶというバカなことをしていた。するとそれを見つけた徳田先生に大声で「やめなさい!」と怒られたのだ。「もし首が折れたりしたら大変なことになるんやで」と本気の目で訴えられて、何がどう大変かよく分かんなかったけど、とにかくその真剣さがビシビシ伝わったのをよく覚えている。

あと、2年生の時の合唱コンクールの本番後にも真剣に訴えられたことがあった。他のクラスは負けて泣いていたのに、ぼくのクラスだけ誰も泣かずに笑っていたのだ。
だから解散したあと、友達に「うちのクラスだけ泣かずに笑ってたってことはさ、やっぱ真剣さが足りなかったんだよね」と愚痴ったら、それをそばで聞いていた徳田先生に「それは違うで」と熱く言われた。

「うちのクラスも他のクラスに負けないぐらい真剣にやった。その思いを、他のクラスは泣くという形で、うちのクラスは笑うという形で表しただけやで。笑ったからって、うちのクラスが他のクラスより真剣じゃなかったことにはならないんやで」

ぼくの目を真っ直ぐに見てあまりにも本気で訴えていたから、ぼくは正直その言葉自体にはそんなに納得できなかったけど、「ああ、徳田先生はこのことを本当に本気で伝えたいんだな」ということは強く感じて、「そういう視点も持っておいた方がいいな」と思うことができた。どういう内容であれ、人の本気の熱意というのは伝わるのだ。


さて、他にはどんな思い出があるだろうか……。
10分ぐらい考えて、ぼくは再び頭を抱えた。本当に何もない……。空しくなるぐらい何も浮かばない。病気で弱かったとはいえ、「健康でさえあれば他はどうでもいい」と思っていたとはいえ、青春時代である中学校の3年間がこんなに空っぽだとは……。これで良かったのか……?

はあ、今思い出した中でどれかのエピソードをそれっぽく書くしかないのか……。

そう思った時、待てよ、と思った。ここまで何もないなら、もう素直に何もなかったことを認めた方がいいんじゃないか……? なぜ空っぽの3年間を送ることになったかを率直に書いた方が潔いんじゃないか?

そうしよう、とすぐ思った。ぼくは思ってもないことをそれっぽく取り繕って書くのに強い抵抗を感じる性分だ。今の1番の本心は「空っぽの3年間を送ってしまったことを後悔している」ということなんだから、その気持ちをありのままに書こう。

あとはあれだな、『鏡の法則』を読んで仏のような心になったことも示しておきたいな。特に不親切であったわけではなかったもののそんなに親切でもなかったクラスメイトに感謝の気持ちを書いてみよう。川端も除かずに。


卒業式の日、ぼくはやっぱり泣けなかった。泣けている人たちが羨ましい。ぼくも劇的な青春を送りたかったなぁ……。

少しでもドラマチックにしたくて、ほとんどの人が帰ったあと、ぼくはこっそり裏庭に行った。ポケットから折りたたんだ紙の束を取り出す。中学時代毎日のように書いていた日記の、望月さんへの気持ちを書いた部分を全部切り取ったものだ。

せっせと穴を掘りながら、望月さんには本当に迷惑をかけたなぁ、と改めてしみじみと思い出した。でも、今はそんなに嫌われていないような気がする。

1ヶ月ほど前の寒い朝、学校に行く途中でたまたま望月さんと鉢合わせした時、「手紙読んでくれた?」と聞くと、望月さんは笑顔でこう答えてくれたのだ。

「はい! 今もポケットに入れてます!」

驚きの答えだった。嫌っていたはずのぼくの手紙を大事にポケットに入れてくれているという事実はきっと、少なくとも今はぼくのことを毛嫌いしているわけではないという証拠と言えるだろう。本当に嬉しかった。

穴を掘り終え、日記を切り取った10枚ほどの紙の束を中に入れる。土をかぶせて完全に埋めた。

これで、望月さんとの思い出はこの学校に残り続ける。ぼくは1人で感慨深い気持ちになって、静かにその場をあとにした。


3月31日、ぼくは電話を手に震えていた。望月さんとの件は完全に終わったけど、まだもう1つだけやらなければならないことがある。川端の件だ。

ぼくは川端を心の中で許したけど、許したことを本人に伝えてはいなかった。きちんと伝えなければならない。そして伝えるのは、法律的には中学生最後の日である今日が相応しいと思った。

電話帳と5分ぐらいにらめっこしてから、勇気を出して川端の電話番号をプッシュする。バクバクする心臓を押さえながら待っていると、「はい」という声が聞こえた。川端本人の声だ。

「あ、あの……川端? 久保だけど」

「……おう」

明らかに間があったし、「おう」という声はだいぶ戸惑っていた。そりゃそうだ。卒業した後にこのぼくからいきなり電話がかかってきたんだから。突拍子もない行為だということは分かっている。けど、気にせずやり切るしかなかった。

「あのさ、1つだけ伝えておこうと思って……。色々言い過ぎたりしてごめん。それと……保育園の時、仲良くしてくれてありがとう」

川端は黙っている。「じゃあ」と言って電話を切ろうとしたら、切る直前に一言だけ聞こえた。

「……ごめん」

そのまま電話を切り、ふーっと息を吐く。

最後、川端は謝った。それも、あの「ぼくは怒ってるからね」と言った直後に聞いた時と同じような、誠実な声に感じた。

なんてドラマチックなんだろう。最後の最後で、ぼくは川端を許したことを伝えられたし、川端もぼくに謝った。実に美しいドラマだと思った。







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(後書き)

「ドラマチックであること」を求めて変わったことをして自己陶酔に浸っているのが気持ち悪すぎますね。いくら中二病だったとはいえ本当に恥ずかしいです。

ちなみに「色々言い過ぎたりしてごめん」は想像です。「保育園の時仲良くしてくれてありがとう」しか覚えていなくて、でもそれだけではなかったような気がするしそれだけ書くのも不自然なので、「まあ何か言うとしたら謝罪かな」と思ってあのように書きました。

これで中学校編は終わりです。

この前のキャスで「コスパが悪いのを理由にせっかく書いていて楽しいくぼたか史をやめると、また『べき思考』が強化されてしまうから細々と続けるかもしれない」と言ったのですが、やはりあまりにも長すぎるこの先を書くのはちょっとなという気分になっています。果てのない道をゆっくり進むのを嫌に思う性分な気がしていて……。

なので、コロコロ変わっているので断言はできないのですが、現時点ではやはり今回で一時休止とさせていただくつもりです。

明日、これまでのくぼたか史の総合考察や感想を書きます。

ほぼ自己満足で書いたこの自伝小説をここまで読んでいただいて、本当にありがとうございました。

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