作品の批評はどのようにすべきか?

ぼくはこれまでツイートや配信などで漫画や映画やドラマなどの作品の批評を度々行ってきたのですが、その度に「何言ってんだお前は」と大ブーイングの嵐が起きていました。

毎回批判ばかり起きるということは何か問題があるのかなと考え、最近作品批評についてのあり方を見直して整理してみたので、記事にまとめてみます。


作品の評価には2つの軸がある

まず、作品には「好き,嫌い」という軸だけでなく、「良い,悪い」という軸も存在すると思います。

「いや、好きか嫌いかしかないんだ」という意見もよく聞きますが、本当にそうでしょうか? 分かりやすく考えるために、超短編小説を例に出してみましょう。判断する要素を極限まで少なくするためです。

「超短編小説」と検索すると、トップのページにこんな54字小説が掲載されていました。

画像1

引用元:https://president.jp/articles/-/25936?page=2


とても面白いですね。最後に「うわっ! 未来変わっちゃってるよ!」という驚きを味あわせてくれています。

ではこれと同じ内容で、もし最後の3文字が「心配…」だったらどうでしょう。全く面白くないですよね。なんの驚きもひねりもありません。

他は同じで最後が「鈴木…」である作品と、最後が「心配…」である作品、前者が明確に「良い」と言えると思いませんか? もし作品の評価軸に「好きか嫌いか」しかないのであれば両者の価値が同じであることになってしまいますが、それはちょっと苦しいかなと思います。


「良い,悪い」という軸にはいくつもの項目がある

今の例は54字小説だったので非常にシンプルでしたが、大抵の作品を評価する際はもっと複雑に色々な項目を考えなければなりません。

例えば漫画の『ドラゴンボール』なら、こういった項目があるでしょう。

・絵のクオリティ
・バトルの面白さ
・話の複雑さ
・リアリティ

もっと色々ありますが、考えやすくするためにとりあえず4つとしておきます。

これらの項目で棒グラフを作成するとこんな感じになるかなと思います。

スクリーンショット 2021-09-27 18.40.56

平均すると10点満点中5点になるので、ドラゴンボールはそれほど良い作品ではないのでしょうか? ぼくはそうではないと思います。なぜならドラゴンボールはそもそも複雑さやリアリティを度外視した作品だからです。


作品にはそれぞれの「枠」がある

作品にはそれぞれ、「これはこういう作品です」という「枠」があると思います(この表現が適切か分からないのですが、「枠」が自分の中ではイメージとしてぴったりなのでこの表現を使います)。

先ほど挙げたドラゴンボールであれば、「リアリティ度外視で、単純に分かりやすく面白いバトルを描く作品」という枠で描かれた作品と言えるでしょう。そういう作品に対して、もし誰かが「クリリンは普通の人間なのに空を飛ぶなんておかしい! リアリティがないから失格!」と言ったとしても、「いや、知らんし……。そんな作品じゃないから……」となります。

飲食店で言えば、「油を多く摂取してもらって満足してもらう」という枠でやっているラーメン屋に「健康に悪いから失格!」という指摘をしてもしょうがない、みたいな話ですね。

つまり、「その作品が決めた枠内でどれだけ高いポイントを稼いでいるか」がその作品の良し悪しを判断する基準になると思います。ドラゴンボールであれば、「フリーザ編までのバトルは面白いけど、セル編と魔人ブウ編のバトルはやや緊張感に欠けて面白くない」という意見があれば、それは妥当な評価である可能性があります。


人によって「良い,悪い」の評価に差が出るのはなぜか?

「好き,嫌い」は人によって当然分かれて良いですが、「良い,悪い」という評価は人によって分かれて良いのでしょうか? ぼくは、分かれてはいけないと思います。

……と言いながらまた暴論を言っている気がしていて怖いのですが、どうですかね……。

「良い,悪い」という軸が「好き,嫌い」と完全に独立して存在するなら、先ほど出した棒グラフは人類みんなで1つに決まるのが理想だと思うのですよね……。

棒グラフは実際にはかなり細かくなります。先ほど挙げた4つの項目以外にも「キャラクターの魅力」「話の整合性」などたくさんの項目がありますし、またそれらの項目をさらに分解もできるでしょう。例えば「バトルの面白さ」は「迫力」「戦略性」「意外性」「分かりやすさ」「複雑さ」などに分けられるでしょうし、「キャラクターの魅力」も「カリスマ性」「ビジュアル」「ギャップ」などに分けられるはずです。

すると、棒グラフの項目は30とか50とかになります。

スクリーンショット 2021-09-27 19.34.15

(イメージ)

作品を評価する側はこういう棒グラフを正しく作らなければなりません。

つまり、その作品が良い作品か悪いか適切に評価するには、

①必要な項目を全て洗い出し
②それらの項目の値を全て正確に算出し
③それらの値はその作品の枠内において適切なのかを判断する

という3つのステップが必要なのではないでしょうか。

そして、

1.考えが足りず必要な項目を全て洗い出せない
2.良さや悪さを理解する能力や感性が足りず、項目の値を正確に算出できない
3.その作品の枠を履き違え算出した値が適切かどうかの判断を誤る

これらの要因によって「良い,悪い」の評価が人によってバラけてしまうのではないでしょうか。

そして素人だとこのバラつきが大きくなってしまうので、①②③が得意な人が審査員となって作品の良し悪しを判断し、作品に賞を与えているのではないでしょうか。

解像度を自分なりに精一杯上げてみるとこういう説明になったのですが、考えすぎて変なことになっているかもしれません……。


ぼくは枠が狭かったりズレたりしているのかもしれない

ぼくはどうなのかというと、②の「各項目の値を正確に算出する」は得意で、③の「算出した値がその作品の枠内において適切なのかを判断する」が苦手なのかなと思います。

ぼくは以前に進撃の巨人のラストを酷評したことがあるのですが、その理由は、「進撃の巨人は『差別や戦争をしている者同士の対立とその解消を描いた作品』だと思っていたのに、ラストではそのテーマについていい加減に描かれたと感じたから」です。

しかし配信で「自分は『進撃の巨人』は『巨人に振り回される人類を描いた作品』だと思っていたから不満はなかった」というコメントがあり、「この作品をそういう風に捉えていたら確かに不満はないか……」と思いました。ただ、続けて「あんだけ人類の対立を丹念に描いてたのにそれについて最後きっちり描かなくてもいいと思うなんて、作者も読者もおかしいだろ……」とも思いました。

このように、

【自分が決めた枠に固執し、そこから離れられない】

というのが、ぼくの作品批評の特徴であり欠点かなと思います。

他の人が「いや、この作品はその枠じゃなくてこの枠じゃない?」とか「世の中にはこんな枠もあるよ。自分はこの枠が好きだな」と言っても、「いや、この作品は絶対この枠だ!」とか「そんな変な枠あるか! あったとしてもそんな枠を好きになるのは少数派だよ!」とか言ってしまう。そしてそれを感情的に口汚く罵りながら、分かりやすいように話さないからいつも叩かれているのかなと思います。

もっと柔軟に、「自分はこの枠のつもりでこの作品を見てたけど、もしかしたらこういう枠の作品だったのかもしれないなぁ」とか「こういう枠が好きな人もいるのか。ぼくにはその枠の魅力がさっぱり分からないけど、その人にとってはその枠が大事だということは否定しちゃいけないな」とか考えられるようになれば、感情的に怒ることも少なくなるし、叩かれることも減るのかもしれません。ので、今後はそのように気をつけてみようと思っています。


ぼくは「好き,嫌い」と「良い,悪い」を区別できているか

ぼくの作品批評に対する姿勢や考えについて、以前ぼくの悪口記事を書いた堀元さんにまた別で悪口記事を書かれたことがあります。

有料記事なのであまり詳しくは書けないのですが、簡単に言うと、

・「作品の評価は『好き,嫌い』の1次元ではなく、『好き,嫌い』と『良い,悪い』の2次元で行われる」とレンタル話し相手は主張している。

・ぼくもその主張には賛成だが、レンタル話し相手は黙ってろと思う。なぜならレンタル話し相手は「良い」と言っている作品は必ず「好き」で「悪い」と言っている作品は必ず「嫌い」であり、1次元の世界に生きているからだ。2次元に生きているなら「悪いけど好き」や「嫌いだけど良い」がある筈である。

・そしてレンタル話し相手はある時こんなツイートをした。

1次元の世界の住人なのに苦し紛れに30次元を持ち出してしまった。愚かすぎる。


といったことが一部に書いてありました(記事にはもっと詳しく面白く書いてありますし、様々な知識も得られるのでぜひご購読ください)。

ぼくの説明が下手すぎたのですが、ぼくが言いたかったのは、「『好き,嫌い』『良い,悪い』の他にいくつも軸があって30次元になる」ということではなくて、「作品を評価するための項目は30個ぐらいある。その30個の項目の値から『好き,嫌い』『良い,悪い』の2次元の評価が下される」ということでした。


これで「苦し紛れに30次元を持ち出した」とは思われなくなったかなと思うのですが、もう一つの「レンタル話し相手は『好き,嫌い』と『良い,悪い』が常に一致している1次元の住人である」という指摘についてはどうでしょうか。

分かりやすく考えるために、先ほどの4項目で表したドラゴンボールのグラフをまた見てみましょう。


スクリーンショット 2021-09-27 18.40.56

こういう値を算出したとき、

「ドラゴンボールは『話の複雑さやリアリティ度外視で、絵のクオリティやバトルの面白さが大事という枠で描かれた作品だ」と分かっていれば、ドラゴンボールは「良い」作品になります。

そしてその上で、「自分はドラゴンボールを読む上では話の複雑さやリアリティは気にならなくて、絵のクオリティやバトルの面白さがよければ満足だ」という人は、ドラゴンボールを「良いし好き」と評価します。

そして、「ドラゴンボールは複雑さやリアリティを度外視した枠で描かれた作品だと分かっていても、単純すぎたりリアリティがないのはどうしても気になる」という人は、「良いけど嫌い」と評価します。

そして、「ドラゴンボールがどんな枠で描かれた作品かなんて知るか。話が単純すぎたりリアリティがない作品は嫌いだし悪いんだ」と考える人は「嫌いだし悪い」と評価します。

問題なのはもちろん最後のケースです。自分が重視している項目のポイントが低いからといって、「その作品の枠に必要なポイントをきちんと稼いでいる」という事実を無視する。これが1次元の住人です。

ぼくはそういうことをしていたでしょうか……。していないと思いたいですが、ちょっと分からないです。堀元さんの記事ではぼくはドラゴンボールを「嫌いだし悪い」と評したと書いてあるのですが、そう言ったかあまり覚えてないです。配信で「フリーザ編のクライマックスを読んでみたら全然面白いと思えなくてびっくりした」と言った記憶はあるのですが、流石に天下のドラゴンボールを悪いと評してはいない気がします……。


ただ、「悪いけど好き」「嫌いだけど良い」と評した作品がなかったのは事実です。そこで本当に自分は1次元の人間なのかと思ってよく考えてみたところ、ありました! 「好きだけど悪い」も「嫌いだけど良い」も見つかったので挙げてみます。


悪いけど好き


・SOSの猿

伊坂幸太郎の小説です。2人の主人公の視点を交互に書いているのですが、なぜそんな作りになっているのかの必然性があまり感じられなくて読み進めるのがストレスになる「悪い」作品です。でも長期間続いた自分の悩みを解決してくれたので「大好き」な作品です。


・左ききのエレン

絵が驚くほど下手なので、漫画としてはあまり「良い」評価はできないと思います。もちろんこれは「絵のクオリティ度外視でストーリーを楽しませる」という枠で描かれた作品だとは思うのですが、それでもやはり絵が下手というのは漫画としてはなかなか無視し難い要素でしょう。

エレン

引用元:https://cakes.mu/posts/12577

でもぼくはこの作品が「大好き」です。「絵が下手だけどストーリーが面白いから好き」なのではなく、「絵も好き」です。下手すぎて「こんなに下手なんてぼくみたい! このクオリティでも商業作品として売っていいんだ! しかも人気になれるんだ!」と親近感と希望を抱けるからです。

・クロちゃん(芸人)

作品ではないですが。人として「最悪」だけど「好き」です。


嫌いだけど良い

・今どきの若いモンは

浅いことしか書いてないのに「今どきの若い人にはこういうのがウケるんだろ」という魂胆で描いて大当たりしているのが気にくわないので「嫌い」です。

でも、「『今どきの若いモンは』と言って若い人を貶すのではなく逆に褒めるおじさん課長を描く」という目の付け所はかなりセンスがあると思いますし、キャラクター、文字の書き方、漫画全体の雰囲気、Twitterでの見せ方など、今どきの若い人が好むポイントを全て完璧に押さえているので「すごく良い」と思います。

・カマたくの動画


「これは何? 何のどういう奴なの? マジで何?」というように同じことを何度も繰り返す手法や、明らかに優れた人なのに「自分なんか大したことない」というスタンスで動画を出し続けている潔くなさ、無駄にたくさん笑い声を入れるところ、など嫌いな点が多いです。良い人ですし良いこと言ってますし基本的には好きなんですが。でも、そういう「嫌い」な点は全て人気を得たりバズったりするための手法として非常に上手いなと感じているので「良い」と思っています。


他にはあまり思いつかないので少ないと思われるかもしれませんが、基本的には「良い」と「好き」、「悪い」と「嫌い」は相関すると思うので、これぐらいあれば十分に2次元の住人と言えるのではないでしょうか。そうでもないですかね。


結論

「この作品は悪い! 駄作!」と言うのは、どんどんやっていっていいとぼくは思います。あの棒グラフにはきっと「正解の形」があり、それは多数の人間が何が良いか悪いかという意見を出し合うことで見つけていくものだと思うからです。

そういう思いもあってぼくは悪いと思った作品を積極的に酷評してきたのですが、動機のほとんどは「愚痴を吐いてスッキリしたい」というものであったので、上手に伝えようとせず感情的に罵っていてばかりでした。

その上、自分の感じ方に強く囚われ、他の感じ方を検討できなかったり、感情に引っ張られて良い悪いの判断が正常にできていなかったのかもしれません。

これからは、

・冷静に分かりやすく伝える
・自分が想定した枠が適切かよく疑う
・良し悪しの判断が好き嫌いに引っ張られてないか一歩引いて見る

の3点を意識していこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?