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この期に及んで その3

最終地点に到着すると、『命の行進』団は、最後のまとめともいうべき法要を広島の道場で行うのですが、その場所に、リエさんたちが来てくれて、北海道以来、久しぶりに会うことが出来て、なんだかとてもうれしかったのですが、そこでも大勢の人たちとのかかわりの中だったので、満足に話すことも出来ず、そこでもすぐにお別れとなりました。


リエさんからは北海道で、名刺を頂いていたのですが、行進が終わってからは、どなたにも個人的に連絡を取ることはほとんどなく、また来年、同じコースを歩く時に、またどこかで会えたらいいなぁ・・・、ということにして、

行進が終わると、しばらくは地元の仙台に戻って、体のメンテナンスや、その当時は仙台駅前のデパートの前で托鉢をしていたので、また久しぶりに駅前に出て、托鉢をしたりしていたのですが、やはり長旅の疲れが出たのか、体も気持ちも、なんとなくだるいような重いような感じで、そんなことをFacebookに投稿していたら、ある時、登録されてない番号から携帯に電話がありました。

すぐに取れなかったので折り返して電話してみると、なんと!


リエさんからで、Facebookの投稿を見て、気になって電話をして下さったとのことでした。


心配して下さったことがうれしくて、その電話をきっかけに、それから毎日電話で話をするようになり、そこからお付き合いが始まりました。


当時の自分は、入院している母の病院へ顔を出したり、以前からとてもお世話になった知り合いの高齢の尼僧さんのお世話だったり、二人暮らしの父の面倒を見たりと、かなりバタバタしていて、疲れ切っていました。


そんな中で、リエさんと電話で話している時も、気が付けば電話しながらいつの間にか眠ってしまっていたりして、かなり酷かったことを思い出すと、恥ずかしくなるのですが、

いつでもリエさんは、自分のことをしっかりと見ていてくれて、支えてくれていました。


それまでは、女性と真剣にお付き合いをしてきたことがなかったので、リエさんから学ぶことは本当に多く、本当に勉強になります。

男性と女性の捉え方や考え方の違いについても、よく話し合うので、お互いに分かり合えなくてイライラすることではなく、お互いに、自分にない感覚を取り入れていく感じが、とても勉強になります。


全国を歩くことがなかったら、リエさんとも当然出会ってないし、こうしてご縁をつなぐことも出来なかった。


一人で生きていく事を選んでいたら、こうして気持ちを向けることもなかったでしょうし。


かけがえのない人に出会えた気持ちは、いつも感じています。



ただ、そうなると、3回にわたって書いてきたこの文章のタイトルが、なぜ『この期に及んで』なのか?


というと。


かけがえのない人と出会えた喜びを感じているのに、

尊敬できる人と出会うことが出来たことに、喜びを感じているのに、


自分の中に一瞬芽生えた、未知の世界へ踏み出す「不安」を、『この期に及んで』感じたからです。

出会えた奇跡を有難く思いながら、現実の生活に対する不安を感じてしまったり、

幸せな瞬間を、数多く感じることが出来ているのに、自分の中の漠然とした不安が心に広がっていくのも感じました。



でも、それは本当に一瞬のことで。


入籍する、と話したときに、たくさんの仲間が喜んでくれて、お祝いの言葉をかけてくれたこと、

話を聞いた方が、お会いした時に本当に喜んでくれたこと。

自分の不安なんか吹き飛んでしまうほどの、周りの皆さんからの温かい気持ちや思いが伝わってきて、

どうしたら、こんな素晴らしい方々にお返しが出来るだろう、と考えることが出来るようになり、

また、震災でもそうでしたが、人は(命というものは)いつどこでどうなるか、誰にも分らない。

それならば、せっかく出会うことが出来た人を大切にして、その方との関わりから生まれてくる力を大きく育てて、皆さんに分けてあげられるようになりたい、と思うようになりました。


リエさんと出会い、これからさらに新しく前進していきます。


一人では難しかったことを、二人で乗り越えたり、力を合わせたりしながら、喜びの世界を作り上げたいと思います。




 

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