コーヒー休息

浮遊術は浮遊していると言うことであった。つまり、質量mの人が重力加速度gとするとmgと釣り合う上昇のするFの力が必要である。その力Fを上昇する加速度aとするとmaでまた、aがgの時であると言える。その場合がひとつ浮遊している場合であるが、もうひとつ、浮遊するためには質量mがゼロのとき浮遊しているとも言える。質量mがゼロになる場合、m>0以上の場合、mからm=m‘のm‘が抜けてなくなれば、質量m=0を達成し、浮遊することとなる。m’がここで生命を構成する何かしらの、例えば、修行することにより無の体験をするとしたら、修行することがm‘となり、無の体験=m-m’が成立すると言う論法で浮遊が達成されると言う主張で何かしらの修行で無の体験をしてたことによっって、浮遊したと言うのは理屈では理解できるが、無とは一方で真空のことで真空とは何の気体粒子がないと言うことなのでそこに質量mの物体が入るとエントロピーが増大に働くので物体は最大限膨張することとなるため、物体もまた、消失してしまうため、無が達成されてしまうことと物理的になるため、前者の説明では精神エネルギーで物体の質量mをゼロとすると言う理解されるのではと思えた。

終わり。

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