ブライアンインタビュー(i紙 2022年4月)

Brian May:
‘I think a lot of the woke stuff is very punitive. My generation has been vilified’

ブライアン・メイ: 「woke関係の多くはとても懲罰的だと思う。僕の世代はけなされてきた」


クイーンのツアーに先立ち、ギタリストがフレディ・マーキュリー、映画「ボヘミアン・ラプソディ」論争、そして自身の「保守的な」政治観について語る

By Chris Harvey
April 15, 2022 

「ロックンロールは僕たちが子供の頃生まれた」とブライアン・メイは言う。「僕たちは地球上で一番幸運だった」。クイーンのギタリストはZoomで話しているが、技術的な問題があり私たちに見えるのは ”Brian” の文字が浮かぶ黒いスクリーンだけだ。

その白い5文字の後ろのどこかから穏やかで思慮深い声が発せられ、そこにはボリュームのある巻き毛が象徴的な髪型を作るグラムロックの人がいる。そのギターリフが地殻を変動させ、まるで氷に火をつけるように “We Will Rock You” の白熱のソロを鳴らす天体物理学者だ。

この74歳は、2020年前半に経験した心臓発作についてずっと考えている。自転車を漕ぎ、低脂肪の食事をしてタバコは吸わないメイにとってそれはショックな出来事だった。

彼は3本の動脈の閉塞の治療でステントを装着したが、「あの心臓発作は、早期のコロナ感染のためだったかもしれないというのが僕たちが達した結論だった ー(コロナ拡大の)波の直前に日本と韓国にいたので」と言う。その年の1月にクイーンはアダム・ランバートと東アジアのツアーに出ていて、メイはその旅の間ずっと咳をしていた。

それから2年余り、バンドはついにステージに戻る。そしてこのギタリストは、5月のベルファストでのツアー再開時に体調が万全であるよう集中している。

その前に、1998年のアルバム「アナザー・ワールド」の再発売がある。1991年のフレディ・マーキュリーの死後、メイが1990年代に発表したソロ2作品の2番目のものだ。

どちらの作品も今なお古びていないが、「アナザー・ワールド」の始まりは変わったものだった。優美なタイトル曲は映画「スライディング・ドア」のために書かれたものだが使用されなかった。スラッシュメタルの「サイボーグ」はビデオゲーム用に作られた。そしてクイーンの定番ロック曲になってもおかしくなかった「ビジネス」は、ツキに見放されたプロモーター役でティモシー・スポールが主演した1993年のBBCのコメディドラマ “Frank Stabbss Promotes” のテーマ曲として作曲された。

当時続いた辛い喪失を考えると ー メイは友人でありフロントマンのマーキュリーだけではなく父親と結婚生活も失い、それが1992年のデビュー作「バック・トゥ・ザ・ライト」につながった ー「自分の人生には何もないし誰もいない」というスポールのための歌詞のわびしさには個人的な意味があったのだろうか?

「歌や詩を書いたり絵を描く者は自伝的になるのを避けられないというのが僕の持論だ」と彼は言う。「僕はうつだ。そこで溺れはしないがそれは自分の中にあり、時に支配されて『自分には何もない』と感じる。僕が成功したロックスターだとか金があるとか言わないでくれ。僕には素晴らしい相手、素晴らしい子供たちがいる。それでも自分の中の何かが、お前は失敗している、希望はないと言う。論理的な話ではないんだよ」

メイは「イーストエンダーズ」の元スター、アニタ・ドブソンと2000年から幸せな再婚をしているが、「アナザー・ワールド」の曲の数々が今も十分通用する理由のひとつは「同じ闘いが続いているし、自分はいつかそれに勝つことを願っている。そしてアルバムを聴く人たちが共感してくれて、それぞれの闘いに勝てるよう願っている」からだと言う。

「チャイナ・ベル」では別の種類の闘いがほのめかされている。ハードなロックで歌詞には言外の意味があるようだ :「見つけたままに彼女を受け止める   でも決してやめられない」。これはヘロインのことだろうか。彼は「違う」と断言する。「ヘロインをやったことは一度もない・・・恋愛関係が自分のドラッグだと思う。僕は中毒になりやすい性格ではあるが対象は薬物ではない。ありがたいことに。他の諸々に加えてそんなものがあったら、僕はとっくに死んでいただろう」

私は自分が読んだ1977年ニューオリンズでのクイーンのアルバム「Jazz」の破廉恥で堕落した発表パーティについての記事に言及する。ドワーフが頭に乗せて運ぶトレーから最上級のボリビアコカインが提供され、ヘビ使いやヌードのウエイターがいて、客には好みの「口腔的満足」がトイレでサービスされたと伝えられているものだ。

その記事はマーキュリーではなくメイが「団長」だったと示唆していた。本当だろうか?「いや、逆だと思う。本当に。僕は外れの方にいた。パーティは楽しんだが、頭は大体別の場所にあった。あのパーティの最低でも半分の時間は車にいた。来てくれるのを期待していた女性を探してね。自分の中の中毒性ロマンチストには、パーティーで何が起きているかよりそちらの方がずっと大事だった」

彼はロックが快楽主義的だったその時代全体を、「ある程度のユーモアと赦しと共に」振り返る。「だってその頃の生活は違っていたのだから。何もかもが違っていた。僕は常に、人の気持ちを考える、まっとうな人間であろうとしていた」

「僕はロックスターの人生を生きていたが、過剰なほどではなかった。そしてそこには多くの混乱がある。僕はクイーンがツアーに出始める少し前に結婚したので ー 最高のアイデアではない ー ツアー中に性的な関わりを持つことには抵抗し、実際に長い間そうはしなかった。しかし徐々に壁がいくらか崩れたのだと思う。ただ、自分にとっては常に音楽が至上だった」

最近のBBCドキュメンタリー "Freddie Mercury: The Final Act"  では、バンドの栄光の年月の辛い最後がさらけ出された。番組はエイズを患ったマーキュリーの晩年の物語と、その病気が流行した80年代に愛する人を失った人々の体験談を伝えた。

メイのこの番組への密接な関わりは、2018年の映画「ボヘミアン・ラプソディ」- メイとクイーンのドラマーロジャー・テイラーは公開まで12年以上をかけて大事に育てた ー がマーキュリーのセクシャリティと病気を軽視したという批判への返答だったのか? メイは批判について「あれはばかげていると思う」と言う。

アカデミー賞に輝いたラミ・マレックが役を引き継ぐずっと前にマーキュリーを演じることが決まっていたサシャ・バロン・コーエンの降板後、噂は絶えなかった。サシャ・バロン・コーエンの以前の作品を見たテイラーは最近、フレディ役としては彼は「全くのクソ」だっただろうと述べた。

そこには怒りがあるのか?「残念なことだよ。僕たちはしばらくの間とてもうまくいっていたのだから。彼はプロジェクトにある程度のエネルギーをもたらしてくれて、それにはこれからもずっと感謝する・・・しかし別れ方は残念だった。こちらは『良い友人同士として別れたいと思う。君がしてくれたことに感謝している』と言った。その後、彼の広報担当者が彼は僕たちを見捨てたのだと公言した。彼は結局作品をこき下ろし、作中にゲイのセックスが足りなかったので降りたのだと言った」

「僕たちが何かを避けたとは思わない」とメイは言う。「全てそこにあると思う。僕たちはフレディを過度に美化しなかった。そして僕たちを演じた子たち(※”boys") は実に見事だった。彼らは僕たちの皮膚の内側に入り込んだんだ」

「見られたのが性的なディテールばかりだったら、この映画は十億ドルのヒットになっていなかったと思う。それは必要ではなかった。僕はあの作品をとても誇りに思っている」

続編もあるかもしれない。「僕たちが語りたい物語はある。映画のラストはライブエイドで、それはもちろんクイーンの物語の終わりでは全然ないので」とメイは認める。「でも一貫した物語が必要だし、楽しませるものでもなければならない。フレディがまず最初に『退屈なものは世に出すな』と言うだろうからね」

そのようなことを公に話すのが難しかった時代に性的アイデンティティの可能性を拡張させたロックバンドの一員である彼は、今日の社会で二極化する性とジェンダーの話題についての意見はあるのだろうか?

「正直、僕はとても保守的だ 」と彼は言う。「そしてwoke(※人種、階級、ジェンダーなどの社会問題に対して意識が高いこと)関係の多くには困難を感じる。なぜならとても懲罰的だと思うから・・共感が足りないし、視点や思いやりにも欠けている。有害なことが多いと思う」

「僕の世代はけなされてきた。誤った決定をしてきたと見なされ、そして今はボキャブラリーが容認できないと思われている。しかし人々のボキャブラリーを変えることではその人たちの行動は変わらない」

率直に語ることを好む者として、自分が誤解されそうかどうかを常に自問している、もう経験したが、と彼は言う。「僕がバンド内にトランスセクシャルの人を望まなかっただろうと思い込んだ人がいる。くだらないが。僕たちはそんなことは気にしなかった」

「僕が実際に言ったのは『フレッドはストレートというわけではないと気づきませんでしたか。彼は厳密にはイギリス人でも白人でもなかった。そのことが僕たちにとって髪一本ほども違いになったと思いますか?』だ。ノー。僕たちはみんなミュージシャン、夢を持った若者だった。重要なのはそれだけだった。僕たちは音楽にビジョンがあったのだ。そしてそういう無垢なものは、悲しいかな、失われてしまったと思う」

しかし現在彼を最も苦しめるのは、ドナルド・トランプから始まりプーチンに続く「もはや真実には価値がない」というあり方だ。全く新しいことというわけではない、と彼は指摘する。

「イラクには大量破壊兵器があると言われた。僕たちはみな、『トニー・ブレア、イラクに侵攻するな』と言って抗議した。彼は『私には正当な理由がある』と言って侵攻した。そして正当な理由などなかった。だから僕たちには汚点がなくもない。しかし現在起きている暴力の規模、語られている嘘の規模はとにかく巨大で、絶望的に悲しい」

「誰かが死ぬまで拷問されているのに、恥知らずにも嘘をつけて『いや、それはありません』と言えるという事実、それが僕を打ちのめす」

https://archive.ph/qi2nE


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