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お金に流されないための「お金」入門 ー『お金のむこうに人がいる』著者・田内学 × ライター・りょかち トークイベント #お金のむこうに人がいる

昨日のイベントです。途中まではライブをオンラインで視聴。30分くらいまで、ですね。で、今朝、それ以降をアーカイブで視聴しました。

田内さんの肉声がどんなんかなぁ、という関心が参加の理由です。

「価値」と「価格」の違い

いつも500円で売られている(500円は所謂「定価(メーカー希望小売価格)」か?)が300円で買えた。で、その翌日に100円で売られていた。さて、得したのか、損したのか。という設問。

「価値」と「価格」の違い。とても大事なことです。価格が高い=価値がある、そんな等式が至る所で見られますよね。「食○ログ」のレーティングなんかも似たお話。広告宣伝等に多額のコストが費やされ、それが結果として価格を高くしていることもあったりしますので、価格が高い≠価値がある、価値と価格は別物。

“Price is what you pay. Value is what you get.”

バフェットさんもこう仰っています。

投資や資産運用のブログ等を眺めてみた際に(僕の発信も含めてです)、「価格」のことにのみフォーカスした発信が非常に多いのが実状です。価格が騰った、下がった。フィーや手数料の多寡の話も「価格」の話と言って良いと思います。

自分がお金の代わりに手に入れている資産の価値ではなく、「今ナンボ」が大事。その資産がどんな未来の実現づくりに関わっているか、には大きな関心が払われず(関心はほぼゼロ?)。

おそらくですが、投資や資産運用を通じて保有している資産を「お金」そのものと認識している人がスゴく多いのだろう、と推測しています。「お金」だからこそ、それが増えた、減ったが気になってしまう、気になって仕方が無い。でも、違っているんです。お金は「株式」等に代わっているんです。そして、その「株式」等は上場していて、流動性があれば、刻一刻とその価格は変化します。一方で資産の価値は刻一刻と変化するか、というと、普通、そんなことは無いはずなんです。価値が変わらなければ、価格が下がるのは、500円のジュースが300円になるようなものです。それは「買い」なんでしょうし、さらに翌日100円になっていたら(消費期限等が度外視できるなら)もっと沢山買い込むってことになるんじゃないか、って思います。もちろん、価格が100円に下がる相当な理由があれば話は別でしょう。

正直なところ、僕自身、「価値」と「価格」の違いが腹の底から納得できたのは、ここ数年のことです。理解が足りていなかった。もっと早くこの違いがストンと腹の底に据えられていたら、僕自身の投資行動はもっと早く変わっていただろうな、と思っていまして、その点は少し残念に思っています。一方で、時間が掛かっても違いを理解、納得できて本当に良かったとも思っています。

自分の「好き」は自分で決めろ

イベントで知った、りょかちさんのこの言葉。

ググったら5年前の記事の見出しにありました。

自分の好きなものくらい、自分で決めなきゃダメ。他者からのレコメンドにポチらされてばかりじゃ、量産型の脳みそになってしまうよ。

自分だけの「価値」のモノサシ、価値観が大事。

「お金の増やし方」、そんな本ばかりでええのん?

田内さんが本を書く動機、理由として挙げられていたコメントを意訳してみました。確かに「お金の増やし方」の本は、益々増えているようですね。

「お金の増やし方は、田内さんの”読みたいこと”ではなかった」と。

お金はあくまで手段に過ぎない、お金を増やしたところでそれを受け取って働いてくれる人が居なかったら意味ないやん、そんな話が”読みたいこと”だった、と。

田内さんの #お金のむこうに人がいる  を読んで、働いてくれる人が少なくなったら、居なくなったら、お金(とか、保有資産の評価、時価とか)ばかりに目を向けていたらアカン、ということに気づかされました。

老後の話、未来の話、そうした不安に備えてお金を用意することは確かに重要です。でも、働いてくれる人が少なくなったら、です。お金で解決するとなると今の想像以上にお金が掛かるような問題もあり得るし、もっと言えば今はなんとかお金で解決できるけれど将来は解決できない問題だって出てくるかもしれない。

お金や資産を増やす、という意図や行動は大事なことではあるけれど、ずっとそこにフォーカスし続けていてええのんか?って、考えさせられました。

投資には責任が伴う

投資=未来のために労力を使うこと、に続いて、投資には責任が伴う、というお話がありました。たくさんのお金が投資された結果、それが所期の成果をまったく生み出せなかったとしたら、そこに費やされた働きが無駄になってしまう、もっと他に働いてもらうべき場所があったとしたらその無駄はさらに大きくなる。だから、投資には責任が伴う、と。

成果が出なくても多くの人がたくさん働いたことで別の副産物が価値を生むこともあるんじゃないかなぁ、と思ったりもするのですけれど、未来をつくろうとするか意思を持って選ぶことは極めて重要、と僕も思います。幅広く分散して群衆の英知に任せる、という考えもあるでしょうけれど、それはそれで一種の責任逃れでしょ、と僕は感じます。

まとまりの無い感想ですね、、、

なんともまとまりのない感想を書き連ねちゃいましたが、それには理由がありまして。

「お金の増やし方」、そんな本ばかりでええのん?

と似たような話なんですが、投資や資産運用の文脈において、あまりにテクニックのような話題が多過ぎるなあ、というのをますます強く感じていまして。

たとえば、株式を持つなら全世界が良いのか、米国がいいのか、とか、債券はポートフォリオに加えるかどうか、とか、暗号資産はどうですか、とか。

要は「お金」の話。それも「価格」に大きく、大きく偏った、重心を置いた話。「お金」の向こう側、「お金」と引き換えに保有している資産は見てますか?って。

この種のテクニック的な話よりも、投資のリターンはどこからもたらされるのか、田内さんの本でいくと誰が働いてくれているからリターンがもたらされるのか、誰の働きがリターンのカギを握っているのか、そういうことの方がはるかに、はるかに大事だと思うんですよね。「価値」の話とも言えるかもしれません。

長い目で見れば「お金」や保有資産の時価が勝手に、独りでに増えることなんてあり得ない(短期では起こり得るかもしれません)わけです。投資先の会社に関わる人たちの働きで価値が創り出され、それがたくさんの人たちに評価され、その価値を創り出す関係者として参加する権利(株主、オーナーになる権利)を買いたい、欲しいという人が増えるから、保有資産の評価が上がり、それを売りに出したら買った時より多くのお金を手にすることができる可能性が高まるわけです。

「価値」が伴っていなければ、認められなければ、お金には換えられない、ってことになるでしょう。米国にあるとか、日本にあるとか、中国にあるとか、どの市場に上場しているのか、そんなことは実はあまり関係がなくて、その投資している先が「価値」を保ち続けられるか、が本当に考えるべきことだと思うんですけどね。

将来の年金等の問題への対応として資産形成を促すという方向は必要だと思いますが、少子化への対処、そして、今の若い人たち、幼い人たちが働きがいのある社会をどうつくるのか、その問題も同じ文脈で捉えなければならない、直結している。これも #お金のむこうに人がいる  からもらった大きな気づきでした。

イベントに参加してよかったです。大正解でした!

田内さん、りょかちさん、関係者の皆さんに深く感謝です。



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