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俳諧奇談連句雑談 その三  梅村光明

 今回も引き続き『醒酔笑』に掲載された、連歌・俳諧絡みの笑話を今風に読み下して参ります。
 「東京やなぎ句会」の発足時からのメンバーの一人、矢野誠一氏の著書に『落語歳時記』というのがあり、その新年の項の「初天神」について書かれた箇所では、天満宮での神事としての「鷽替」が説明され、それに関係す
る記述の原典として、『醒酔笑』巻之一、「謂被謂物之由来」の冒頭のエピソードが紹介されています。それが左記の第一話〈そらごとの語源〉です。


  〈そらごとの語源〉
 そら言(空言・虚言)を言う者を、なにゆえ「嘘つき」と世間では称してきたのか。それは鷽という鳥は木の空(そら、つまり木の上)に留まって琴を弾くという謂れによって、「空琴」(そらごと)が「鷽つき」(うそつき)と称されるようになったのです。


  〈めとも言いもとも言う〉
 連歌師の宗祇が、弟子の宗長と連れ立って海辺を歩いて行く夕暮れ時、漁民が網で藻を引き上げているところに出会します。宗祇が「これの名は何と言うのか」と問いますと、漁民は「めとも言うし、もとも言います」と答えます。
 すると宗祇は、「なんと、これは良い前句なり」と言って、「めともいうなりもともいうなり」と詠み、宗長に「これに付けなさい」と命じると、
 「引連れて野飼いの牛の帰るさに」
 「牝牛はうんめと鳴き、牡牛はうんもと鳴くなる」と宗長は詠みました。
 それに宗祇が感心していると、宗長が「一句沙汰あれ」と句を求め、「読むいろは教える指の下を見よ」と宗祇は詠みます。その意味は、いろは歌の「ゆ」の下は「め」で、「ひ」の下は「も」になります。つまり指(ゆひ)の下に「め」と「も」があることを宗祇は示したのです。


  〈人のぼらけを嫌う〉
 月例の連歌会の席で、宗匠が「朝ぼらけ」という言葉を用いたところ、一座する連衆皆が、その句に品格と趣きがあると感じ入るところへ、末座から
「夕ぼらけ」の五文字が出されるに、宗匠が「あら珍しい」と言うと、再び、「その儀ならば、昼ぼらけ」にしょうと直せば、宗匠が「それはなおさら妙な言葉ですな」とやり込めれば、この作者嘆きて言うに「これこれ、われはして人のぼらけや嫌うらん」と。


  〈坡谷斎(はこくさい)の斎号〉
 才能と知恵の足りないのを棚に上げ、思い上がっている人物が、相国寺の仁如和尚の聯句の席に参上して、頻りに斎名(雅号)の付与を求めたところ、和尚が「あなたはいかに学問を極め、そこから得た徳と功がありますか」と問えば、「そうですね、東坡(詩文・書において宋代第一人者)や山谷(東坡の門人で宋代一流の詩人)には比べられないけれど、ひと通りは詩や聯句の道には明るいです」と答えました。
 すると和尚は、好ましい考えとはお思いにならず、「結構ですね。それならば東坡の坡と、山谷の谷を取り合わせ、坡谷斎(はこくさい)と命名しましょう」となりました。
 これは、はこ(糞)臭いにかけた皮肉です。               

  〈御意に従え時鳥〉
 河内の国に交野という所があります。そこの領主は大塚彦兵衛と申す人物で、周囲からは崇敬の念を持たれていました。さらに連歌師の宗祇とは入魂の間柄でした。
 卯月(陰暦四月の異名)の初め、宗祇が交野に立ち寄り、彦兵衛のもとで休息する機会に、さまざまな風流ごとを語り合うなか、時間を過ごしていると、彦兵衛が「なんと祇公はいまだに郭公の初音を耳にしていないのか」      と言い、宗祇が「そうです、夢にも訪れていない」と答えると、大塚氏が
 「それならば、私が発句を詠んで鳴かせてみよう」と言い、
  鳴けやなけわが領内の郭公
と詠めば、宗祇は
   孫子をつれてなけ時鳥
と脇句を付けても時鳥が鳴かないので、第三を付ける人が誰もいなく、困ってしまい、「いっその事、あなたがお付けください」と宗祇は乞われて、
  とにかくに御意にしたがえ郭公
と詠みました。
 このように、時に応じて人の心を傷つけないように、宗祇はうまく収めたのです。

     (タイトル写真)城山を望む ←徳島城趾

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