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5月はどうでした?

たまには、月日の振り返り。

そういえば、ブロガー歴はもう20年くらいなのですが、いちばん最初はどんなことを書いていたのかなーと、まったく思い出せなくなりました。
当時、好きだったアーティストのことだったかな。その繋がりで、当時はHPの管理人(といっても、作りっぱなし)でBBSという掲示板機能があって、そこで同ファンの友達同士で交流していたのでした。
一応、カフェバーというコンセプトがあって、お茶でも飲みながら語りましょう的な。夜な夜なチャット会をしたこともありました。
皆、夜遅くまで起きていたのです。

というのから、20年くらい経ってふと、リアルカフェバーっていいなぁと思いました。とはいえ、実際お店を持つというのではなく、どこかでお茶を飲みながらおしゃべり会みたいなね。ネット配信するとか。このネット配信は、20年前では考えられないことだったけど
今は、そういうことが可能になっているので、通信の発達は今後益々というのを実感します。
おしゃべり会をするなら、どんなテーマがいいかなぁとか考えます。
その昔好きだったアーティスとは、今は疎遠になってしまったので、自分の好きなことを発信するとしたら何がいいかな?とか。何だかワクワクします。
そして、単純においしいもの、お茶、時間を楽しみたいというのがメインですが。

5月を振り返る、に
ゴールデンウイークにタロットカードの占い鑑定をしてもらいました。
出かけ先で、化粧室を探すために入ったショッピングモールで、フロア案内を見ていたら
んっ?占いサロンなんてあるんだーと。
せっかくなので、ちょっと視てもらいたいなと思って寄ってみることにしました。
自身でも、占星術を学んでいるけれど、自分の都合よく好きなようにどんな風にも詠めてしまうので、まっすぐまっすぐにといつも心がけているのだけど
他者から(占術師)がどんな風に詠んでくれるのか、時々気になって、昨年はとある神社の露店で手相鑑定をしてもらって、これがおもしろかったのです。
定期的に、詠んでもらうのもいいなーというわけで、今回はタロットで恋愛について!!!詠んでもらってきました。
タロットの知識がほとんどないので、とても新鮮素直にに聞くことができるので良き。
占術師の方に、わたしも占星術で自分の星を詠むけれど、自分のことはつい都合よくという、上記の話をした上で占ってもらいました。

ちなみに、わたしの星で詠む恋愛運を参考までにお話すると、ベースに持っているものと実際に自分が経験してきたことで感じているのが
人への猜疑心がとても強いので、人を好きになる、愛すること(とくに異性)それから人から愛されることも、烈しい感情を持って拒絶し否定するというのが詠めます。が!一生そんなわけでもなく、目覚めた時はまっしぐらなエネルギーの持ち主であり、どこで呼び醒まされるのかというのもあるのです。
愛されることへの恐怖心というのは、これどうしたものかと思ったり
あまりこういった悩みは、周囲で聞くことはなく、そんな意味でもわたしにとっては劣等感であったけど、まぁ、それでも生きられるもんですよ、となる。
無理に人を好きになるものでも、好かれるものでもないからね。
とはいえ、自然に自然にーというのがなかなか難しい星、というのは
詠み取ることができ、そして不思議なものである意味それを課題にしているには、ちゃんと理由もあるね?に繋がるのです。

あれ?自分で詠めてるなら、他の占術はいいのでは?と
そんなことはなく、自分の詠みはあくまで内側からなので、外から知りたいわたしの好奇心よ、というのが他者から感じ得ることでまた自身の喜び輝きに繋がるというのも知っているのです。
(こんな部分も、やはり星に出とる)

鑑定内容は、割愛(企業秘密である)も、とっても実になる時間を分けてもらいました。
アドバイスいただいたことを心にとめ、また自身の方向性をです。
恋愛などはとくにそうだけど、自分だけでどうにかなるものでもなく。しかし、自分でどうにかなることがあるなら、それは精一杯コミットしていく必要があります。
ボーっとしていても、何も生まれませんからね。

自分の、人生の後半戦で恋愛の話をすることになるなど想像もせず
もっと大切なことを言えば、それらを通して自身の魂が今後どんな風に
成長していくのか、というのが核で、残りの時間をそんな風に楽しみに想いながら過ごせることは、幸せなことです。
しかし、愛されることへの想像力が皆無なことに、少々絶望しますが、どの人も多くはそんなに変わりないのかな?と思いながらも、自身の物語をつづりましょう。


5月の後半は、ちょっとしんどかったー
でも、そのおかげで自分がどんなものことに苦手やしんどさを感じるか?を
知ることができて、無理くり頑張ってきたんだなぁと思いました。
そんなに頑張らなくても、君は輝き色褪せることなく、何人たりとも侵すことことなどできぬだろう、と。

そう考えると、自分を愛することは、どうやら完成に近づいているようです(真顔)





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